軍主流派の不満噴出、背後に国王側近 タイ・クーデター
2006年09月21日02時34分
国会に盤石の基盤を持つタクシン政権を一夜にして転覆させた19日の軍事クーデターは、軍内部で昨年来展開されてきた激しい内部抗争の結末でもあった。元首相のプレム枢密院議長をバックにしたソンティ陸軍司令官ら主流派と、タクシン氏の警察予備士官学校時代の同級生を中心とする新興勢力の争い。タクシン氏は、国王の側近中の側近であるプレム議長の権威に議会制民主主義の手続きで挑戦した結果、敗れたともいえる。
 タイの政治をめぐる主な動き
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 タイ政局の構図
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 記者会見に臨むソンティ陸軍司令官(中央)ら=20日午後3時すぎ、タイ・バンコクで
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91年の軍事クーデター、軍事政権と市民が衝突し多数の死者を出した92年の政変の反省から、軍首脳の間には政治から距離を置く傾向がしばらく続いた。毎年の人事異動が恒例となり、強力な派閥もできなかった。
ところが01年に首相に就任したタクシン氏は03年にいとこを陸軍司令官に据えたり、予備士官学校10期生と呼ばれる同級生を多数取り立てたりして、軍内部で影響力を拡大していった。
元陸軍司令官で、軍にも大きな影響力を持つプレム議長は、首相派の増大に危機感を抱き、タクシン氏と交渉の末、昨年10月、ソンティ氏を陸軍司令官に就任させることを了承させたとされる。
ところが、今年に入り、タクシン氏一族の株取引疑惑が発覚、反首相運動が盛り上がるなかで、軍内部でも、主流派と首相派のせめぎあいが激しくなっていたようだ。
プレム議長は6月、士官学校での講演で、軍を競走馬に例えて「政府は騎手に過ぎない。騎手が交代しても馬はオーナーである国王と国民のために走る」と政権交代に触れる発言をした。
これに対して、タクシン氏は「憲法を超えたカリスマのある人が政治に混乱をもたらしている」と話し、議長への反論と受け止められた。
翌7月、ソンティ司令官が約130人の将校らをバンコクから異動させる人事を断行。タクシン氏の同級生らが多数含まれていたことから、さまざまな観測が飛び交った。
例年10月1日に実施される軍首脳人事が今月半ばになっても決まらず、ソンティ司令官の留任をめぐり、水面下のやりとりが続いているとみられていた。
先月24日、タクシン氏私邸の近くで爆発物を積んだ車が発見され、「暗殺未遂」として軍人らが逮捕された事件では、解任された軍幹部が「プレム議長を陥れるわなだ」と発言していた。
ソンティ司令官は20日、クーデターに踏み切った理由のひとつに、タクシン氏の「不敬な言動」をあげた。同氏も常々国王への批判は慎重に避け、敬愛を表明していたことから、プレム議長へ向けた攻撃的な姿勢が、軍主流派を直接行動に駆り立てたと見られている。
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