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「無職の男として去る」 タクシン氏、英国へ

2006年09月21日09時29分

 首相の座を追われたタクシン氏はタイの歴代宰相のなかでも極めて特異な存在だった。軍政支配の教訓をふまえた現行憲法で初めて達成できた国会での絶対多数を背景に、経済運営では高い実行力を示したが、一方で強権的な政治運営を続け、都市中間層などの反発を買った。タクシン氏の追放をめざす反対派は憲法をはみ出す禁じ手を連発。最後は15年ぶりのクーデターを招き、憲法停止という事態でひとつの時代の幕を閉じた。

 クーデターを起こした「民主改革評議会」のメンバーは、直後に国王に面会を求め、記者会見場にも国王夫妻の大きな写真を掲げて、国王への忠誠を最大限にアピールすることを忘れなかった。

 同評議会はさらに20日夜の声明で、国王の理解を得たことを強調。国内メディアではすでに、次期首相の候補として王室に近い人物の名前も取りざたされている。

 タイの英字紙「ネーション」(電子版)によると、タクシン氏は滞在先のニューヨークからロンドンへの出発前、記者団に「私は首相としてここに来たが、無職の男として去ることになった。(国のために)働くつもりはあるが、誰も仕事をくれないだろう」と述べた。

 タクシン氏の与党は01年の下院選挙で圧勝。タイの政治史上、初めて与党が過半数を握り任期をまっとうした。05年の選挙では7割以上の議席を獲得。連勝も初めてだった。

 クーデターが繰り返され軍政が市民を弾圧した反省から97年に制定された憲法は民主化の総仕上げと評された。

 この憲法で選挙制度が改正され中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に変わり、与党の過半数獲得が可能になった。

 タイの歴代民政首相はいずれも連立政権を組み、政権基盤が弱かった。これに対し、タクシン氏は強い政権基盤の下で、斬新な政策を次々と実行に移した。農民への債務繰り延べなどの貧困対策を進める一方、外資を積極的に受け入れ、アジア通貨危機の後遺症を乗り越えた。

 しかし8割を超す支持率もあって、いつしか基盤が強くなりすぎた。

 政権に批判的なマスコミには名誉棄損の訴訟を連発。1400人以上がテロで死亡した南部の治安対策では、強引さが事態を悪化させたと指摘されている。

 昨年まで万全に見えた体制が、今年初めに発覚した親族の株取引疑惑で一転、窮地に追い込まれた。巨額の利益を得ながら、税の捕捉を逃れていたことが分かり、退陣要求に油を注いだ。

 タクシン氏は「合法」「民主的手続き」を強調して株取引を強行、混乱収拾をねらい、2月末に下院を解散した。一つひとつは違法と言えなくても人心は離れ、支持率は3割台に落ち込んでいった。

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