モーリタニアのシンゲッティ旧市街地では、ドアが埋まるほど砂が押し寄せている。ファティメットさん(34)の家には高さ約10メートルの砂丘が迫り、のみ込まれる恐怖におびえる
国内で近年みられる気象や異変の記録
アラブ系民兵組織の襲撃が激しかったといわれるダルフール地方北部の村。人影が無く、焼き打ちにあったと思われる住居の土壁だけが無残な姿をさらす
スーダン・ダルフール地方のエルファシェールで、井戸からくみ上げた水をドラム缶に入れる青年。上下水道が普及していないこの町では、彼らの売る水が貴重な水源となっている
南極の氷から調べた大気中のCO2濃度の変化
ダルフール地方
各地から異変の報告が寄せられている。
夏、秋と記録的な暑さだった07年。熊本県天草市で10月、沖縄などでしか収穫できないとされてきた島バナナが実った。福島市のリンゴ園では12月になってもかなりの量の「ふじ」が色づかず、ジュース用になった。
九州ではコメの品質低下に歯止めがかからない。収穫したうち最上級の一等米の比率が、01年の72%から30%まで急落した。佐賀県では07年、主力品種の一等米比率がほぼゼロだった。
原因は近年の暑さだ。だが、九州沖縄農業研究センターの森田敏さんの研究で、単に暑いだけではないことが分かってきた。この5年、実りに影響する8月中旬〜9月上旬の気象に、「日照時間が短くて暑い」という特徴が読み取れた。これまでない時期に台風が来たり、梅雨明けが遅れたりした影響だ。
「気候が揺らぎ始めている。北陸などコメどころへの影響も大きくなってくるだろう」と森田さん。品質低下はすでに39県で報告されている。
07年夏、同じ温帯のイタリアで熱帯病「チクングニヤ熱」が突然流行し、感染症研究者に衝撃を与えた。インドからの帰国者が感染源となり、死者1人を含む約300人が発病した。
ウイルスを広げたのがヤブ蚊の一種ヒトスジシマカ。日本では東北地方以南に生息し、刺されてかゆいだけの蚊だ。だが、国立感染症研究所の小林睦生・昆虫医科学部長は「病気を媒介する蚊と位置づけを改める必要がある」という。
蚊は高温なほど世代交代が盛んで、一定の密度を超えると一気にウイルスを広げるとみられる。ヒトスジシマカは90年代後半以降、生息域を北へ広げ、05年には青森県境に近い秋田県八峰町に到達した。環境省が3月に出す温暖化の影響についての中間報告では、日本での新たな脅威としてチクングニヤ熱を加える。
「温暖化の影響は徐々にくるのではない。ある閾値(いきち)を超えた時、リスクは急に高まる」と小林さんは警告する。
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豪雨、洪水、干ばつ。世界各地を異常気象が襲う。社会基盤が脆弱(ぜいじゃく)な地ほど、人々の生活が大きく脅かされている。
アフリカ西部・モーリタニア。世界遺産にも登録されている古都シンゲッティでは、旧市街の家々やナツメヤシの林が拡大する砂漠にのみこまれていた。この30年で家や生活手段を失った数千人が街を去ったという。
古都周辺の砂漠化が始まったのは70年代前半の大干ばつ以降。60年代に100〜150ミリ程度あった年間降雨量は、0〜50ミリまで減った。「干ばつと人による伐採で砂漠を囲っていた自然の植生が消え、砂漠が動き出した」と同国環境省のサレック専門官は説明する。首都ヌアクショット郊外の観測では、風が強い日は砂丘が1日4メートル前進したこともあったという。
そして、サハラ砂漠の東端にあたるスーダン。環境の異変は、史上最悪の人道危機の遠因にもなっていた。
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紛争の地を覆っていたのは、乾燥だった。
アフリカ・スーダンのダルフール地方北部。空からは、赤茶けて乾いた大地に黄色を帯びた農地がまばらに見えた。豊作時には背丈ほどあるアワの穂だが、07年の大干ばつのため腰の高さしかない。収穫期というのに、農民の姿もほとんどなかった。
奇妙な風景が目に飛び込んでくる。いくつも並ぶ円形の盛り土。伝統的なカヤぶきの家々が焼き打ちに遭い、空っぽになった村の跡である。
ダルフール紛争は、アラブ系遊牧民と黒人農民の対立が政治的に利用される形で、03年に始まった。しかし避難民らの記憶をさかのぼると、その起源はこの地を襲った気候変動にたどりつく。
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「この10年ほどで、作付けする秋にまともに雨が降ったのは2回だけ。村にやってきた遊牧民が『北にはもうラクダに食べさせる草がない。もう少しいさせてくれ』と頼んできたんだ」。北部出身のアブドゥルさん(46)は振り返る。
地域の拠点都市エルファシェールの家畜市場で働く30代の男性は約10年前、遊牧民生活を断念して、ラクダを売買する商人になった。やはり牧草が減り、南下したところ「農民に袋だたきにあった」ことが背中を押した。
この地方の環境問題を研究してきたエルファシェール大のアブドゥルジャバル・アブデラ助教授(58)は「60年代以降、気温上昇と雨の減少が始まった」と話す。
年150日ほどあった雨期は約50日に短くなった。記録が残る1917年以降をみると、60年代半ばまでは最高気温が37度を超えたことはなかったが、02年は47度に。国連環境計画(UNEP)によると、過去40年間にサハラ砂漠は100キロ南に拡大。人口急増で、木がどんどん切り出されたことも拍車をかけた。
遊牧民はもともと、牧草と水を求めて乾期に南下し、雨期に北上していた。環境の激変でその移動範囲が狭まり、農民たちと生活圏が重なり始める。ときに水がある場所を奪い合い、農地荒らしや家畜泥棒などの摩擦が増えた。
87年には北ダルフール州南西部で、銃を持った遊牧民が農村を襲って農民を射殺し、家畜を奪った。農民側は遊牧民の移動を阻止しようと各地で大きな衝突に発展。この一帯の農民だったアブさん(44)は「あのころからアラブ遊牧民はやたらと銃を持つようになり、黒人を奴隷呼ばわりするようになった」と言う。
90年代に入ると、遊牧民が村外に出た農村女性を襲うなどの事件が続いた。両者の間にあった微妙なバランスは崩れ、互いに憎しみを募らせていった――。
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今はアブショク避難民キャンプで暮らすアフメドさん(25)の村が襲われたのは、03年の後半だった。
夜明け近くに川を渡ってきた騎馬集団がカラシニコフ銃を乱射し、干し草に火を付けて回った。爆撃弾が広場で爆発し、小さな鉄片が人々に突き刺さる。丘に逃げて振り返ると、何十もの黒煙の柱が立ち上り、村人の遺体が次々と井戸に投げ込まれていた。
よみがえってきた悪夢に、アフメドさんは顔をゆがませた。
●気候変動、紛争の起源に
ダルフール紛争が環境にも起因するという側面に、国連が光を当てた。潘基文・国連事務総長は昨年9月の演説で「紛争が始まった原因の一つが干ばつに伴う水の獲得競争だ。水と天然資源の不足は今も問題を悪化させている」と指摘。6月には米紙への寄稿で「同紛争には社会的政治的要因があるが、部分的には気候変動による環境危機として始まった」と説いた。
UNEPが6月に出したスーダンの「紛争後の環境評価」報告書でも、「環境の問題を解決しなければ、この地方に長期的な平和は来ない」と分析。各地の紛争後の評価をしてきたUNEPの報告書で、紛争原因の一つに気候変動を挙げたのは初めてだったという。
政治的要素が複雑にからんだ同紛争を気候変動と関連づけることには、国連内外で異論もある。UNEPのスタイナー事務局長も「スーダン政府に『紛争は気候変動のせいだ』という言い訳を与えた、という批判があることは認める」と言う。
あえて発言をした潘氏の意図について事務総長室の政策担当、ロバート・オア事務次長補は「紛争の背景にある干ばつも、ヒマラヤの氷河融解も、森林の減少も気候変動の表れだという全体像を示し、先進国が気候変動と開発・貧困対策の双方に取り組むよう促したのだ」と語る。紛争解決と予防には、環境変化で壊された人々の生活を先進国の支援で再建することが急務というのだ。
気候変動による環境変化は社会のバランスを崩し、直接の原因にならなくとも紛争の下地を作り、悪化させ、平和を脅かす要因になる。国際社会はそうした危機感を持つべき時にきている。07年のノーベル平和賞が気候変動への対処を訴えてきたアル・ゴア前米副大統領に与えられたことも、それを物語る。
11月に出た国連開発計画(UNDP)の「人間開発報告書」は、予測される最悪のシナリオを描きつつ「気候変動との戦い」を提唱した。
そこでは(1)サハラ以南のアフリカで干ばつ被害は2060年までに6千万〜9千万ヘクタール増加(2)水不足に苦しむ人は世界中で2080年までに18億人増加(3)気温の3〜4度上昇による水没で3億3千万人が住居を失う(4)マラリア感染の危険にさらされる人口が2億2千万〜4億人増加――などの恐れを指摘した。
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「環境」を巡って繰り広げられているせめぎ合いや争い、「エコ・ウオーズ」を様々な場から報告する。