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年末年始特集

日本ソフト悲願の「金」 最後の五輪、米に3―1

2008年8月22日

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写真米国を破って優勝し、上野(中央)に駆け寄る日本の選手たち

 北京五輪第14日の21日、ソフトボールの日本が米国を3―1で破り、初の金メダルを獲得した。ソフトボールは次回ロンドン大会で実施競技から外れることが決まっており、“最後の舞台”での悲願達成となった。日本選手団の金メダルは今大会9個目。球技では76年モントリオール大会のバレーボール女子以来、32年ぶりの優勝となった。

 日本は3回、2死三塁から狩野亜由美の遊撃内野安打で1点を先制。4回には山田恵里が中越えのソロ本塁打、最終7回にも1点を加えて突き放した。エース上野由岐子は本塁打による1失点に抑え、前日の準決勝から3試合、計413球を1人で投げきった。

 サッカー女子の日本は3位決定戦でドイツに0―2で敗れ4位に終わり、メダル獲得はならなかった。

 陸上の男子400メートルリレー予選は、昨年の世界選手権(大阪)5位の日本が1組2着で22日の決勝へ進んだ。アテネ大会で金銀の英国と米国はバトンパスのミスで敗退。

 卓球の日本勢は男子シングルス4回戦で韓陽(東京アート)が敗れ、男女とも姿を消した。新体操団体の日本は予選前半で9位と苦しいスタートになった。

◆鉄腕上野、耐えて413球

▽決勝

日本 0011001|3

米国 0001000|1

 ダイヤモンドの中に、仲間たちがはじけるように駆け寄ってきた。輪になって跳びはねて喜ぶ真ん中で、上野由岐子(26)は天に向かって叫んでいた。

 「勝った」

 2日間で3試合、28イニングを1人で投げ切った。それでも鉄腕は屈しなかった。174センチ、72キロの体は、20日に318球を投げていた。でも朝起きたときには、疲労感は消えていた。アップで軽く体を動かしたとき「いける」と確信していた。

 抜群の運動神経を持つ女の子だった。かけっこでは速すぎて、ゴールの手前でみんなを待った。男の子が交じったサッカーでボールを奪った。

 幼稚園に入る前、父正通さん(52)が草ソフトボール大会で勝って持ち帰った金メダルにあこがれた。「頑張ったら、もらえるんだ。私もほしいなあ」

 小学校にあがった。父が廃材で、ストライクゾーンにだけ穴を開けた板を作ってくれた。その「ピッチングボード」に向かって投げ続けた。夜は家のガレージでティーバッティングをした。

 中学生になった。部活の練習だけでは物足りなくなった。帰宅後、母京都(みやこ)さん(52)を連れ出し、ミットを持って座ってもらった。キャッチボールもおぼつかない母は怖がった。「絶対に構えたところだけに投げるから」。外れることはなかった。

 福岡市立柏原中学3年のとき全国優勝。周囲から「由岐子ちゃんは才能があるから」と言われた。

 反発した。「才能なんかじゃない。それだけの練習をしているから勝てるのに」

 大人になっても、その姿勢を貫いた。

 朝4時に起きて、走った。夜はゴムチューブを引っ張った。「自分の持っている24時間を、どれだけソフトボールのために使っているかが結果につながる」。本を読むときも、腹筋運動をした。

 1回に満塁のピンチを迎えた。「スピードよりも球の回転、キレで勝負した。いかにボール球を振らせるかを考えた」。4回、山田が本塁打。2―0。勇気をもらった。

 最後の7回も走者を背負った。それも切り抜けた。「体力だけでなく、精神的に頭がパンクするぐらい疲れた」

 世界一のピッチャーになる自信はあった。そのために世界一の練習を積んできた。

 決勝は95球。耐えて、乗り越えた。右肩は最後までもった。「マウンドで鳥肌が立った。まだまだ投げられます」

(2008年8月22日 朝日新聞朝刊)


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