倒壊した学校で、息子の遺影に手を添える周建君さん(右)、尚偉さん夫妻=19日、四川省都江堰市聚源、樫山晃生撮影
【都江堰(とこうえん)(中国四川省)=延与光貞】「息子は私たちの生きる希望だった」。校舎の倒壊で一人息子を亡くした母親が、がれきの山となった学校に毎日通い続けている。
都江堰市内の幸福鎮に住む周建君さん(37)。「全国哀悼日」の19日も、夫の周尚偉さん(37)と一緒に息子が運び出された場所に花輪を供え、遺影とあの世で使う「紙銭」を添えた。辺りには、生徒の靴や英語のプリント、教科書が散乱したままだ。
一人息子の周勇さん(14)は市内でトップクラスの聚源中学2年生だった。同校は地震で校舎の大半が崩れ、約900人が生き埋めになったとされ、今も20〜30人ががれきの下に埋まったままだ。
あの日、仕事が休みだった建君さんはすぐに学校に駆けつけた。懸命の救出活動が続くなか、がれきの下から運び出される生徒たちの中に、見覚えのある白と黒の運動靴を見つけた。意識は失っていたが、息はあった。救急車の中で「がんばれ、がんばれ」と叫び続けた。
だが、道路の渋滞がひどく、近くの病院に運ぶのに30分以上かかった。あきらめきれずに心電図をとってもらったが、息子は戻らなかった。
難産の子だった。妊娠中毒症で出産前にはしばらく入院。苦労して生まれたことから、「困難にぶつかっても勇敢に生きてほしい」という思いを込めて名前を付けた。
体の弱い母を気遣い、料理や洗濯を進んでやってくれる子で、社会の役に立つ人間になってくれたらと願っていた。「悩んだときも腹を立てたときも、息子がいるから楽しく生きてこられた。もう先のことは何も考えられない」と声を震わせた。
寮生活のため、家に帰ってくるのは週末だけ。最後に会ったのは地震前日の日曜日だった。学校に戻る息子に「送ろうか」と声をかけると、はにかんで「もう子どもじゃないから」と1人で家を出たのが最後になった。「あのとき送っていれば」。大人になった息子の姿を喜んでいたはずなのに、後悔ばかりが募る。
夜も眠れず、話す気力もない。家にいてもため息しか出ない。明日もまた、息子の姿を見に来るつもりだ。
建君さんは言った。
「生きていくというのはとても難しいことなんですね。今、生きている人は人生を大切にしてほしい」