東北新幹線くりこま高原駅内にある栗原市田園観光課。麦屋弥生さんの机には、観光資源を調査した時の写真が飾られた=19日、久松弘樹撮影
岩手・宮城内陸地震で土石流に巻き込まれた宮城県栗原市の温泉宿には、市委託の観光アドバイザーとして、地域の魅力の再発見に尽くしていた麦屋弥生さん(48)=東京都葛飾区=が宿泊していた。活動から1年半、積み上げてきた市民参加型の観光の夢は、残された仲間が引き継ぐ。
「星がきれいですね」。13日夜。栗駒山のふもとに立つ「駒の湯温泉」。麦屋さんを車で送り届けた栗原市田園観光課長の二階堂秀紀さん(52)は、自宅へ戻ろうとしたところで声をかけられた。周囲を山に囲まれた夜空に輝く星。それが、麦屋さんと交わした最後の言葉だった。地震が起きた翌朝、二階堂さんがかける電話に、麦屋さんの反応はなかった。
05年に10町村が合併した栗原市。佐藤勇市長は、山や田んぼが囲む市全体を「田園観光都市」として観光産業を振興する方針を打ち出した。06年10月、市の観光資源を開拓する部署「田園観光都市室」(現田園観光課)を創設。草津温泉など観光地の再生を手がけた経験を買われ、麦屋さんが観光アドバイザーとして市に迎えられた。
栗原市は、西に温泉や登山で知られる栗駒山があるが、平地には名所旧跡が少ない。なにげない田園風景に新たな発見はあるのか。麦屋さんや二階堂さんら5人は、町を歩くことから始めた。
栗原市は約800平方キロメートルと宮城県でもっとも広い。麦屋さんらは、市民が参加し、地元の観光資源を再発見するボランティア「くりはら磨き隊」を昨年3月に発足。市民38人が参加し、調査は本格化した。
07年8月、栗駒山のふもとの栗駒文字地区を歩いた麦屋さんらは、農家の入り口に立つ大きな門を見上げた。「何に使われていたんですか」。麦屋さんは、磨き隊の菅原敏允さん(75)に聞いた。住居や納屋としても使われた長屋門だった。地区には、36棟の門が点在していた。「この景観は観光資産になる」。目を輝かせた麦屋さんの言葉で、無用となっていた門が、地域の財産に変わった。
市南部の高清水地区の山を通る旧奥州街道を歩いたこともある。杉に囲まれた散策しやすい山道は、地元区長らによって定期的に草が刈られていた。
「地元の人が参加してこそ、その土地は輝く」。麦屋さんが感動したこの道の写真は、観光用ポスターに採用された。各地には、市民が作った地図を手に、散策する観光客が増えた。
ボランティアガイドの養成や、もてなしの講座、郷土料理の創作などの実施が決まった矢先、地震が起きた。
18日、都内で営まれた麦屋さんの告別式。二階堂さんは遺影に「麦屋さんの遺志を引き継いでいきます。安らかに眠ってください」と語りかけた。
地震から3日後、磨き隊の菅原さんの自宅に「広報くりはら」の最新号が届いた。巻頭に、麦屋さんが監修する「くりはら研究所だより」。思い入れの強かった奥州街道が特集されていた。