会見で辞意を表明する福田首相=1日午後9時30分、首相官邸、松本敏之撮影
福田首相は1日夜、首相官邸で緊急に記者会見し、「新しい布陣の下に政策の実現を図らなければいけない」と述べ、辞任の意向を表明した。衆院解散・総選挙の時期や、インド洋での給油継続のための補給支援特措法の延長などをめぐる公明党との対立に加え、対決姿勢を強める民主党との間で「ねじれ国会」を乗り切る展望が開けず、これ以上の政権維持は困難と判断した。安倍前首相に続き、2代続けて約1年で政権を放棄したことで、自公連立政権の行き詰まりが明確になった。自民党は後継を選ぶ総裁選に入るが、麻生太郎幹事長が軸になるとみられる。
麻生幹事長は1日夜、記者団に対して「(福田)総裁が記者会見で『自分としていろいろなことをやってきたので、それを実行に移せる人を』という話があった。(自分が)適任かなと思わないわけではない」と述べ、総裁選出馬への意欲を示した。
自民党は同日夜、党本部で臨時役員会を開き、総裁選の実施を決めた。2日の役員会などで、党選挙管理委員会に日程を一任する。同委員長の臼井日出男元法相は「総裁選の方法は前回と同じ」と述べており、党所属国会議員と都道府県連代表による投票になるとみられる。
総裁選実施に伴い、政府・与党が12日に予定していた臨時国会の召集は先送りされる公算が大きい。福田首相は公明党が強く求める早期の衆院解散に慎重だったが、新首相の下で年内に解散・総選挙が行われる可能性も出てきた。
福田首相は会見で、辞任の理由について「民主党が国会の駆け引きで、審議引き延ばしや審議拒否を行った。決めるべきことがなかなか決まらないほか、何を決めるにも時間がかかった」と指摘。「今度開かれる国会でこのようなことは決して起こってはならない。態勢を整えた上で国会に臨むべきだ。新しい布陣の下に政策の実現を図らなければいけないと判断し、辞任を決意した」と説明した。
この時期の辞任表明については「国会の実質審議入りには時間がある。国民にも大きな迷惑がかからないと考え、この時期を選んだ。今が政治空白をつくらない一番いい時期だと判断した」と述べ、臨時国会での所信表明後に辞任を表明した安倍前首相との違いを強調。辞任を決断した時期は、総合経済対策をとりまとめた後の先週末だったことも明らかにした。
公明党が年末年始の解散・総選挙を視野に補給支援特措法の再議決に難色を示し、経済政策でも赤字国債発行につながる可能性の高い定額減税を主張するなど、同党との距離は広がっていた。首相は「自公政権が順調にいけばいい。しかし、私の先を見通す、この目の中には決して順調ではない可能性がある。不測の事態に陥ってはいけないとも考えた」と語り、公明党とのすれ違いが辞任決断の背景にあることもにじませた。
首相はまた、政権運営を振り返り、政治資金や年金記録問題、防衛省の不祥事など「次から次へと積年の問題が顕在化し、その処理に忙殺された」と語った。一方で、道路特定財源の一般財源化や消費者庁設置構想など自らが手がけてきた政策を「だれも手を付けなかった国民目線での改革」と位置づけ、「最終決着はしていないが、方向性は打ち出せた」と述べた。
福田首相は昨年9月、安倍前首相の突然の辞任を受けて首相に就任。「ねじれ国会」打開のため、民主党の小沢代表との大連立を狙ったが、小沢氏が民主党執行部の反対にあい、不調に終わった。
1月には補給支援特措法で57年ぶりに衆院で与党の3分の2による再可決に踏み切った。その後も税制改正関連法と改正道路整備財源特例法を成立させるため衆院再可決を連発。一方、日本銀行総裁人事では2度にわたり政府提案が民主党などの反対で不同意となり、戦後初の「総裁空席」の事態を招いた。政権浮揚が期待された7月の北海道洞爺湖サミット後も支持率は低迷し、与党内にも「福田首相の下では総選挙を戦えない」との声があがっていた。
首相は局面打開のため、先月初めに内閣改造に踏み切ったが、支持率は横ばい。新内閣で起用した太田農林水産相に事務所費の問題が浮上するなど厳しい政権運営が続き、安倍前首相と同様に政権を途中で投げ出す形になった。
福田首相は就任前の昨年9月の記者会見で、首相の「辞め方」について問われ、「出処進退はきちんとしなければいけない。総理大臣の場合は、日本全体のリーダーなので極めて重い」と述べたうえで「退陣の時期を決断するのは、大変重い決断だ。このことに、政治家はすべてを賭けてもいいと思っているくらいだ」と語っていた。