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「化学賞は意外」「クラゲ85万匹採取」下村さん語る

2008年10月8日21時24分

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写真8日、米マサチューセッツ州の自宅でノーベル化学賞受賞の連絡を受けた後、電話で喜びを語る下村脩さん=ロイター

 米の自宅にいる下村さんに、電話で受賞決定の感想などを聞いた。(聞き手/高橋真理子・科学エディター)

 ――おめでとうございます。第一報は?

 「(発表の)30分ぐらい前に電話が入った。3人の人が出てきた」

 ――今のお気持ちは?

 「本当に意外だった。化学賞ということでびっくりした。医学生理学賞なら少しは可能性があるかと思っていたけど。寝ていたので、まだ眠たい」

 ――なぜこの研究を?

 「名古屋大学の平田義正先生に、最初にウミホタルをやれといわれました。米国に来たらプリンストンのジョンソン先生の提案でオワンクラゲを研究するようになった。天の恵みでした」

 ――ご自身で選んだわけではないんですか。

 「米国に来たときは、僕は若い若い学生だもの。名古屋大学に行ったのも、ただ勉強したいからということで研究生としておいてもらった。どっちの先生もいいテーマをくれました。62年にオワンクラゲがうまくいって、イクオリンとGFPを発見した。イクオリンの方が大きい発見だと思うけど、こちらは利用価値がなかったんだね」

 ――米国に居続けたのは?

 「昔は研究費が米国の方が段違いによかった。日本は貧乏で、サラリーだってこちらの8分の1。それに、日本にいると雑音が多くて研究に専念できない。一度、助教授として名古屋大に帰ったんだけど、納得できる研究ができなかったので米国に戻った」

 ――何が納得できなかったんですか?

 「規模が違う。僕は十何年かけて85万匹のオワンクラゲを採取した。100トンは超すでしょう。何十人もの人を雇いました。家族も手伝ってくれた。ノーベル賞はその副産物なんです」

 ――週末に海辺に行ったりされたのですか?

 「いやいや、夏に1カ月か2カ月滞在して、朝から晩までクラゲを採った」

 ――国籍は日本のままなんですね。

 「何でわざわざアメリカ人に変わる必要があるの? 日本人でもアメリカに住める。研究費を取るにも差別はなかったし、ほとんど不便は感じない」

 ――恵まれた道を歩まれたんですね。

 「2人の先生に出会えたのはラッキーだった。でも、その前は散々な目にあった。戦争中は勤労動員ばかりで苦労した」

 ――最近の日常生活は?

 「これまでの自分の歩みを子どもたちに伝えたいと思って手記を書いています。子どもたちは英語しかできないので、英語版と日本語版を同時に作っている。日本語版は日本にいる親類に読んでほしい」

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