米ルイジアナ州ニューオーリンズで、電柱に取り付けられた目印(右上)の高さの土台上にクレーンで設置される建築中の住宅。カトリーナの被災後、新築の建物は土台を高くすることが義務づけられた=中田徹撮影
白血病の治療を受けたクレア・トーマスさん。費用を工面するため、複数の基金に支援を要請している=ニューヨーク、中田徹撮影
「この10年ですべてが変わってしまった。何とかしないと、めちゃくちゃになるわ」
米ペンシルベニア州の小さな町キャンプヒル。社員40人で掃除サービス業を営むドナ・パーティンさん(48)は、こう言うと1枚の紙を示した。会社が払う社員の医療保険料の動きが記されている。
97年 1人あたり月90ドル78セント(約8300円)
08年 1人あたり月369ドル45セント(約3万4千円)
10年余で4倍になり、平均的な月給の2割を超えた。
民間の保険で、加入の義務はないが「福利厚生」として普及。公的保険の薄い米国では、医療保険の主柱だ。けがや病気の時の支えも民間に任せたほうがいい――米国に根強い「選択の自由」の考え方に沿った仕組みともいえる。
パーティンさんは全米独立企業連盟(NFIB)に加わる。全米35万社が加盟。保守色が強い組織だ。医療保険についても、クリントン政権時代の公的関与を強める改革案には強硬に反対した。
ところが、民間市場に委ねられた医療費の高騰で、保険料も上昇。負担に耐えかねる声が高まり、NFIBは方針を変えた。昨夏には「次期大統領は医療改革に最優先で取り組むべきだ」と訴えるテレビ広告のスポンサーにもなった。
経済危機も重なる。パーティンさんの会社も、3年半前に進出したフロリダで売り上げが落ち込み、支社の従業員の保険加入を断念した。
「私の信条から言えば、政府が関与し過ぎるのはよくない。でも、医療は、まるでモンスター。コントロールできるなら、政府でも構わない」
「ホームレス寸前。仕事求む」。昨年11月、ニューヨーク州のポール・ノウローキさん(59)は、こんな看板を首から下げてマンハッタンの街角に立った。そこまでした大きな理由は、糖尿病や心臓病で15種類の薬を服用する妻(59)の医療費だった。
2月に、おもちゃ会社を解雇。保険料を11月分から滞納した。このままだと無保険になり月200ドルの自己負担が数千ドルに跳ね上がる。
背広姿のサンドイッチマン姿はCNNで放映され、それを見た篤志家が「保険料の肩代わり」を申し出てくれた。だが、米国の失業率は上昇の一途。何十万人ものノウローキさんが生まれかねない。
雇用の崩壊をつきつけられた米国では「政府の役割」への期待が勢いを増す。オバマ次期大統領は「1950年代以来の大規模な社会基盤投資」を表明。新政権の財政出動は2年間で1兆ドル(約90兆円)に近づく可能性もある。
ハリケーン「カトリーナ」の被害から3年余りたったルイジアナ州ニューオーリンズ市。夕方の目抜き通りでジャズ演奏に観光客が歓声を送る光景は戻ったが、市の人口はまだ被災前の7割強だ。
いまもレストランや劇場などが押し流されたままの場所が残る。現場を案内してくれた市住宅局幹部のダグラス・カーンさん(61)は、「この一角の護岸は、30年代にニューディール政策でつくられた」と教えてくれた。
29年からの大恐慌の中、フランクリン・ルーズベルト大統領は、失業を減らすため公共事業を拡大。雇用促進局が最大時約300万人を雇い、政府が雇用に責任を持つ考えは戦後も続いた。
しかし、81年に就任したレーガン大統領が「政府は問題の解決策ではない。政府こそが問題なのだ」と語って以来、政府は小さいほどいいとする風潮が米国を席巻した。
ニューオーリンズで住宅復興に取り組むNPOの責任者ショーン・エスコフェリーさん(35)は、「政府の堤防工事の遅れが被害を大きくした。道路も橋も老朽化がひどい」と訴える。
市場主義の「本家」での変動は、後を追いかけてきた日本や各国にとっても「ひとごと」ではない。米国での「政府の復権」はどこまで進むのだろうか。(浜田陽太郎、編集委員・小此木潔)
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「治療費が払えないなら、ご親族が家を売る必要があるかもしれませんね」。ニューヨーク州に住むクレア・トーマスさん(28)は病院の職員からこう言われて、ショックを受けた。
白血病と診断され、骨髄移植を受けて9カ月近く入院した。入院・治療費は合計で100万ドル(約9千万円)近いというが、夫の保険からどの程度払われるかはまだ分からない。患者の自己負担を一定額以下に抑える仕組みがある日本の健康保険と違い、米国の民間保険は、カバーの範囲にも限りがあるからだ。
米国の1人あたりの医療費は経済協力開発機構(OECD)加盟国平均の2.4倍。ハーバード大のロバート・ブレンドン教授(医療政策)は「多くの国では政府が価格を効果的に抑えているが、民間保険主体の米国にはその仕組みがないため」と指摘する。
「無保険者」の増加が医療費を押し上げているとの指摘もある。無保険者は、症状が悪化してから、患者受け入れ義務がある救急部門に駆け込み、割高な治療を受ける。その費用が保険料にはね返り、さらに無保険者を増やす。07年時点で、人口の15%の4500万人。失業率の上昇で、増加に拍車がかかりそうだ。
こうした構図を変えようと「州民皆保険」の試みも始まっている。マサチューセッツ州は07年に全米で初めて、保険加入を義務化。低所得者向けに保険料を抑えた公営保険もつくった。
ボストン郊外に住むクラリネット奏者スティーブン・ジャクソンさん(47)も加入者の一人だ。「保険に入ったのは子どもの時以来」という。
所得の低いジャクソンさんの保険料はゼロ。保険で受けられる健康診断で、日本でいう「メタボ」と指摘され、「脂っこい食べ物は避けるようにしている」という。
昨年末までに約44万人が新しく保険に加入。65万人いた無保険者は半分以下に減り、比率は全米で最低になった。
ただ、州政府の財政負担は急増している。09年の予算案では関連支出は8億7千万ドル(約780億円)。予想を1億4千万ドル上回った。財源確保のため、雇用主が従業員を保険に加入させないときの「罰金」を強化。経済界は一斉に不満の声を上げた。
オバマ次期大統領はマサチューセッツ州をモデルに改革案を練る。大手会計事務所は昨年11月、こんな試算を発表した。「実施すれば、無保険者の数は3分の1に減るが、財政負担は750億ドル(約6兆7500億円)増える」
全米税制改革協議会長を務める保守派の論客、グローバー・ノーキスト氏は、こうした改革案を冷ややかに眺める。「費用抑制策はなく、保険料に補助金を出すだけ。これでは医療費は上がり続ける。規制の撤廃と競争で、コストを引き下げるべきだ」
半世紀前に国民皆保険を達成したはずの日本。
「市販の薬で乗り切るしかないですね」。風邪気味だという札幌市の男性(37)はこぼした。国民健康保険に入っていないからだ。
自動車会社の期間工として首都圏で働いている間は職場で健康保険に加入していた。だが、仕事が11月末で満期に。「延長はできない」と告げられ、地元に戻った。国保への加入義務はある。だが、失業保険に頼る生活では「とても保険料は払えない」と考え、手続きをしていない。
厚生労働省によると、国保の保険料を滞納し、保険証を取り上げられた世帯だけでも約33万1千世帯(加入世帯全体の1.6%)。未加入者の総数は把握できていない。
政府の社会保障国民会議は昨年11月の最終報告で、社会保障費を抑え込む路線からの転換をうたった。経済危機も社会保障の充実を求める声を増やしそうだ。ただ、財源の議論は、これからだ。(浜田陽太郎)
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「250万人の雇用を生み出す」。昨年末にそう述べていたオバマ氏は、失業の悪化で目標を「300万人」に引き上げるとみられる。手段は巨額の財政出動だ。
財政出動はムダを生みやすいと考える経済学の常識からすれば「不思議の国のアリスの世界」(ポール・クルーグマン教授)。だが、経済危機を食い止めるために必要だとする声が世界に広がる。
国際通貨基金(IMF)のストロスカーン専務理事は11月の会見で「各国が国内総生産(GDP)の2%分の景気刺激策を」と促した。主要国はそれに近い規模の対策で足並みをそろえつつある。大恐慌時にもなかったことだ。
では、危機の先まで見通したときにはどうなのか。
米東部を貫くアパラチア山脈から流れ出すテネシー川。流域に49個のダムが連なる。今回の危機対策の手本とされるニューディール政策の象徴、テネシー川流域開発公社(TVA、本社・テネシー州ノックスビル)のダムだ。最も古い1936年完成のノリスダムもなお現役で、静かな山中に澄んだ水をたたえていた。
大恐慌当時、一帯は荒れ地だった。失業率が25%に達するなか、ルーズベルト大統領は、治水と発電で農業や工業の基盤をつくることを掲げ、33年にTVA法を提案した。「民業圧迫だ」との批判には「政府の力をまとい、民間企業の柔軟さを備えた企業をつくる」と説明。議会の賛成を取り付けた。ピーク時は3万人近い労働者を雇った。
第2次大戦後は、火力や原子力を増設。発電能力は日本の関西電力並みになった。一方、議会ではたびたび「民営化せよ」という声がでた。とくにレーガン政権以降、「政府による運営は非効率ではないか、という厳しい批判を受けた」(リチャード・ドリガンズ副社長)という。
04年に行政管理予算局から「効率的に事業を営んでいる」と認められ、議論にけりはついた。ただ、職員にオバマ政権がTVA型の事業を増やすだろうかと聞くと「政府直営でなく、民間の新エネルギー開発を税制などで支援するのではないか」という見方が返ってきた。
「ケインズは、穴を掘って埋めるだけでも経済効果があるといったが、もっと有用な事業に政府支出をするのは当然。学校や公共施設、住宅を改築しエネルギー効率を良くするなど、雇用をたくさん生むとともに将来の成長に役立つ事業から始めるべきだ」
マサチューセッツ大学政治経済研究所のロバート・ポーリン教授(58)はこう話す。オバマ氏の政策に影響を及ぼした論文「グリーン・リカバリー(緑の経済再生)」を書いた中心人物だ。
「太陽光発電など再生可能エネルギーへの投資で産業発展を促せ」とも説く。石油輸入が減り、技術と競争力を背景に給料のいい雇用が生まれるからだという。「いわばグリーン・ニューディールだ」
国際機関にも同様の声がある。国際エネルギー機関(IEA)の田中伸男事務局長は12月、ポーランド・ポズナニで開いた国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP14)で「景気刺激策の中で新エネルギー分野への投資に力を注ぐべきだ」と述べた。
ただ、「政府主導だと、バイオ燃料が食料高騰を招いたように、経済のゆがみを生む」とする批判も残る。自動車大手「ビッグ3」の救済理由に環境対応車の開発なども挙がっているだけに、政府支援の「中身」をめぐる論争は、今後も続きそうだ。
グリーン・ニューディールのかけ声は、日本でも聞かれる。民主党は、新エネルギーへの転換で250万人の雇用創出を見込む構想を出した。一方、政府は「低炭素社会」の実現を掲げるが、景気刺激策の柱は旧来型公共事業に頼る。「土建国家」の夢を再び追う危険はぬぐえていない。(編集委員・小此木潔)