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〈選択のとき3〉あなたの参加、道のり10年

2007年4月22日

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図   ※写真をクリックすると拡大します

■なぜ実現―「小さな政府」の流れが後押し

 09年から始まる裁判員制度は、そもそも、なぜ導入されたのだろうか。

 導入は、政府の司法制度改革審議会の01年の意見書で方向づけられた。

 審議会は「判決までに時間がかかる」「裁判を活用しにくい」「官僚的」などの指摘がある司法を大手術しようと、99年に始まった。委員たちは学界、労組、消費者団体、経済界など、主に法曹界の外から選ばれた。

 司法改革はある意味で、政治改革や行政改革など「小さな政府」をめざす新自由主義的な改革の流れにも沿っていた。それなら政府も反対しにくいだろうという狙いも、推進派にはあった。

 「市民の自立」「反官僚」「参加の促進」――。新自由主義のキーワードを司法の世界で最もよく体現したのが、「市民の司法参加」だった。市民参加は、改革のシンボル的な存在となった。

 とはいえ、陪審や参審は、「たどり着けないがそこに向かっていく北極星のようなものだった」と審議会関係者は表現する。多くの人が実現不可能と思っていたという。

 一つは、最高裁などに抵抗感が強かったことだ。「今の裁判で問題はない」というわけだ。さらに、15年間で停止された、戦前の陪審制の「失敗」の経験もあった。被告が陪審裁判を辞退して裁判官だけの裁判を希望した例が多く、「国民が『仲間』よりも『お上』に裁判される方を選んだ」と指摘された。

 審議会では00年春から法曹人口の大幅増加など難題実現のメドが立ち、改革ムードが盛り上がった。そんな中、最高裁が9月に示したのが、「参審制を導入するが、市民に(有罪、無罪などの)評決権は与えない」案。だが、案は「中途半端だ」との批判を浴びた。

 その月のうちに、市民が判決の結論を左右できる権限を持つ仕組みを検討していくことで合意。いまの市民参加型の道筋が定まった。「最高裁の提案で議論がしやすくなり、突破口が開かれた」と推進派は振り返る。

■米か独か―広く選び、裁判官と決める日本型

 では、市民のかかわり方はどう決まったのか。それは裁判員と名付けられた理由とも関係する。

 「広く一般の国民が、刑事訴訟で裁判官とともに責任を分担しつつ協働し、主体的、実質的に裁判内容にかかわる」

 審議会は、こんな結論をまとめた。

 市民参加の例では、事件ごとにくじで選ばれた市民だけで評議する米国の陪審員と、自治体などが推薦した有識者から任期つきで選ばれ、裁判官と一緒に審理するドイツの参審員がある。

 裁判員制度は二つを合わせた「日本型」だ。「広く一般の国民」から選ぶ点は陪審と同じ。「責任を分担しつつ協働」する点は、参審とも陪審とも読める。

 審議会では「陪審か、参審か」で議論は割れた。プロの裁判官に不信を持ち、市民参加を突き詰めた形として陪審を主張する委員も多かった。一方、主に専門家の委員の間では裁判官への信頼がある一方、陪審へのアレルギーが根強かった。

 そこで、審議会は第三の道を探り、陪審員でも参審員でもない、裁判員という名前にしたのだ。

 本格的な制度設計は03年から始まった。焦点は、裁判員と裁判官を何人にするかという問題。

 意見書を受けた政府の検討会では、裁判員2〜3人+裁判官3人の「コンパクト型」と、裁判員9〜11人+裁判官1〜2人の「多人数型」が対立。陪審か参審かの論争の再燃とも言えた。

 検討会にはもともと「官」側の委員が多く、コンパクト型が優勢。一方、弁護士会は「官僚司法」を打破する象徴として、多人数型を掲げた。

 自民党は「裁判員4人+裁判官3人」、公明党は「裁判員7人+裁判官2人」の案をまとめた。与党協議は04年1月にもつれこみ、「裁判員6人+裁判官3人。裁判員4人+裁判官1人のオプションもつくる」という案で最終的に決着した。

■役割は―「究極の素人」、責任重い1票

 もともと、市民参加に懐疑的だった裁判所。スタートまで2年と迫ったいま、裁判員制度をどうみているのだろうか。

 ほぼ共有されているのは次のような考え方だ。ある最高裁幹部がまとめたという「制度導入の意義」で、2年前、全国の裁判官に伝えられた。

 「刑事裁判は今後、より複雑な力学の中に置かれる。被害者の声が大きくなり、被告人の権利の観点からは難しい対応を迫られる。そうした中、裁判所の判断の正当性を強めるために裁判員制度が導入されたと言える」

 つまり、外の目を入れて説明責任を果たし、判断の正当性を高めるほうが裁判所にとっても得策だ、ということだ。

 それは、会社が社外取締役を起用することで、経営を効率的にする仕組みと似ている。

 ただ裁判員制度では、法律家や大学の法学部教授、司法書士など専門知識を持つ人が裁判員になることが禁止される。いわば「究極の素人」しか裁判員になれないのだ。

 おまけに、有罪か無罪かだけを判断する陪審員と違い、裁判員は刑の重さも決める。多数決になれば、1票は裁判官と同じ。責任は重い。

 そうした人たちが主体的に参加できるためには何よりも、法律家の側が審理をわかりやすくする努力が求められる。専門用語を避けるだけでなく、法廷や評議で行われていることが裁判全体の流れの中でどこに位置するのかを常に意識してもらうことが必要だ。

 裁判員制度には反対論が根強い。注目される凶悪犯罪が相次ぎ、重罰を求める世論が高まっているとされ、それが裁判の結論にそのまま反映されるのをおそれるためだ。

 もし裁判員に選ばれたら、あらかじめ決まった方向の議論ばかりにならないよう、証人への尋問、特に反対尋問には十分に時間をかけ、納得いくまで質問すべきだ。評議では、全員一致をめざしたいところだ。それが、日本で生まれる裁判員制度を生かすかぎになりそうだ。

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