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仲間を探そう、漁を休み300戸が一丸 不明父子の地元

2008年02月23日11時47分

 イージス艦「あたご」とマグロはえ縄漁船清徳丸が衝突した事故は、23日で発生から丸4日がたった。行方不明になっている吉清(きちせい)治夫さん(58)と哲大(てつひろ)さん(23)の2人が暮らす千葉県勝浦市の川津地区は約300戸の小さな漁師町だ。海原に船で乗り出す毎日は「板子一枚下は地獄」。そのなかで互いに支えあってきた仲間たちは、漁を休んで2人の捜索を懸命に続けている。

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海に向かって行方不明の2人の無事を願い経をあげる川津地区の女性と漁師たち=23日午前8時29分、千葉県勝浦市の川津港で

 午前8時半。川津漁港の岸壁には約60人の女性や漁師たちが海に向かって手をあわせ、経を唱え始めた。事故が起きてから毎朝続けている「御法楽」という儀式だ。その中に雷(らい)孝子さん(74)の姿もあった。

 「うちの父ちゃん(夫)の時も、みんなずっと捜してくれたんだ」

 10年前の1月。夫の乗った船はマグロ漁に出かけたときに大型マグロ漁船と衝突し、夫は海に投げ出された。地元漁船が休漁して1週間、真冬の海で捜索を続けたが、当時70歳だった夫は見つからなかった。「何もあがらないのも、つらいんです」と雷さん。漁船による捜索で、形見のニット帽だけが回収された。半年後、葬式をした。

 地元では今回の事故発生後も、海保や海自、県によるものとは別に、地元・川津地区の約20隻と、近隣の約40隻が独自に捜索を続けている。

 現場まで往復6時間。5万〜7万円に及ぶ燃料代は各自の負担だ。しかも、いまは1年でも大切な漁期。「収入がゼロの一方、負担が大きい」(外記栄太郎・新勝浦市漁協組合長)なかでの捜索が続く。

 海べりまで山がせりだし、谷になった狭い土地に漁師たちの家がはりつく川津地区では、小型マグロはえ縄漁が主流だ。2人ほどが乗り組み、丸2日帰らない。厳しい漁で後継者も少ないなか、若い哲大さんは、地区にとっても大切な存在だ。

 漁港では毎夕、捜索を終えた船が戻るころに治夫さんの兄の高志さん(60)ら親族6人ほどが一列に並んで岸壁に立つ。沖から戻った漁師たちに頭を下げる。22日夕も親族が「どうもありがとうございました」と声をそろえると、漁師たちは「心配いらねい。気にしなくていいっぺ」。

 23日の捜索は、しけのために中止せざるをえなかった。港での御法楽には漁師らも加わって手をあわせた。事故当時、清徳丸の近くにいた金平丸の市原義次船長は「今日は祈ることしかできない」。今後は川津以外の漁船は漁に戻ることが決まったが、川津の20隻は24日以降も捜索を続けるという。

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