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電話から砲弾の音 ガザに夫残した女性、福岡で停戦訴え

2009年1月16日11時49分

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写真「福岡パレスチナの会」の座り込みに参加した藤永香織さん(右)とガザ出身の留学生オサマさん(左)=15日午後5時すぎ、福岡市・天神、溝越賢撮影

 パレスチナ自治区ガザで暮らす夫(36)と家族の無事を祈って、福岡市早良区在住の会社員藤永香織さん(37)が16日午後、同市である「パレスチナに平和を!集会」で講演する。イスラエル軍の激しい攻撃にさらされているガザからの夫の電話連絡が、夫婦をつなぐ唯一の絆(きずな)。福岡市から8600キロ離れた電話の奥から聞こえる砲弾や戦闘機の爆音に、いたたまれぬ思いがこみ上げる。藤永さんは集会で「私の家族を殺さないで」と訴える。

 15日午後1時。ガザは午前6時。定時連絡をしてきた夫の電話の声は、ほんの少し明るかった。空爆開始後、安否を確認できなかった義弟に出会えたのだという。

 でも、寒さが厳しく、イスラエル軍の攻撃はやむことがない。夫と一緒に暮らす親類などの3歳から16歳まで7人の子供は消耗し切っていると、不安げな声に変わった。

 この10日間は停電で携帯電話の充電もできず、車のバッテリーで充電してもらう。電波も不安定で、声がかき消されることも多い。

 「きょうはみな無事だった」と安心しても、電話を切った瞬間から、「今、砲弾が飛んで来たら……」と、藤永さんの胸に次の不安が襲ってくる。

 地中海に面したガザは、面積、人口ともに福岡市とほぼ同じ。藤永さんは障害児施設でボランティア活動をするため、97年にガザへ。そこで知り合ったパレスチナ人男性と01年に結婚した。

 だが、パレスチナ人の反イスラエル闘争(第2次インティファーダ)が始まった00年ごろからは、外国人のガザへの出入りが難しくなる。03年を最後に藤永さんはガザに入れなくなり、夫と離ればなれの生活を強いられてきた。06年6月、隣のエジプトで会ったのが最後だという。

 今月6日には、イスラエル軍の戦車砲で自宅2階の一部が壊された。たまたま1階にいた家族は全員無事だったものの、避難先の知人宅も窓ガラスは割れ、冷え込みの厳しい夜も、冷たい床の上で寝起きする生活だ。

 「もちろん、今すぐに攻撃をやめてほしい。でも、厳しいガザ封鎖が解かれない限り問題は解決しない。砲弾で瞬間的に殺されなくても、食料も水も薬もない中で、ゆっくりと殺されていく人々がいるのです」。家族全員で平和に暮らせる日が訪れることを信じ、藤永さんはこう訴えた。(編集委員・野上隆生)

  ×  ×  ×

 集会は16日午後6時半から、福岡市博多区下川端町の博多リバレインオフィス10階、市人権啓発センター(ココロンセンター)で。藤永さんのほかにも、ガザから九州大に留学中のオサマ・エルジャマルさん(35)がガザで起きていることを報告する。

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