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そっくり「ひばりさん」 神戸で歌い続け義援金集める

2011年7月20日18時53分

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写真:東日本大震災の義援金集めのため、チャリティーでミニライブを開いている美空ひばりのそっくりさんのひばりさん=神戸市兵庫区、新井義顕撮影拡大東日本大震災の義援金集めのため、チャリティーでミニライブを開いている美空ひばりのそっくりさんのひばりさん=神戸市兵庫区、新井義顕撮影

 美空ひばりのそっくりさん一筋の芸能活動を半世紀近く続けてきた女性「ひばりさん」が、拠点の神戸の街を回り、東日本大震災の義援金を集めている。被災地へ行って歌で励ましたいが、今はまだ行かない。ひばりの歌がもっと心に響く時がまだ先にある、と信じているからだ。

 「この歌で、被災者の皆さんのお役に立ちたいのです」

 6月下旬の週末、神戸市中心部にほど近い雑居ビルのカラオケスナック。カウンターに5人が腰掛けた店内で、ひばりさんは銀色のスパンコールの衣装に身を包み、静かにマイクを握った。

 「悲しき口笛」に始まり、「川の流れのように」まで4曲。独特の声も、凜(りん)としたたたずまいも似ている。体を揺らしながら聞いていた客は「オーラがあるね」と言った。募金箱を手に夜の酒場や老人ホームを回り、これまでに集めた義援金は10万円になった。

 大阪生まれの名古屋育ち。本名は明かしてない。同世代で同じ戦後を生きてきた美空ひばりを「ご本家」と呼ぶ。歌はラジオで覚えた。実家は八百屋で、幼い頃からリンゴ箱の上がステージだった。

 1960年代にテレビののど自慢番組で10週連続勝ち抜き、優勝。歌手デビューの話も来たが断り、敬愛する美空ひばりのそっくりさんとして、マネジャーの夫とともに全国を巡る。

 東北は何度も訪れた。東日本大震災が起きた3月11日以来、テレビに映る被災地の映像を見ては、ぽろぽろ涙がこぼれた。外に出ることもできなくなった。そんなひばりさんを支えたのは、神戸に居を構えて1年後に起きた阪神大震災からの日々だった。

 強い揺れで数メートル飛ばされ、家具の下敷きにならずに済んだ。「生かされた命」と思い、各地の仮設住宅を40回以上訪ね、集会所に設けられた小さなステージに立った。

 そこで被災者の心と共振する「美空ひばりの歌の力」を知った。それは例えば、「悲しき口笛」の歌い出しだった。

 丘のホテルの赤い灯も、胸のあかりも消えるころ――

 客がなにに反応したかわからない。ただ、「みんな怖いくらい泣いてくれた。『よう来てくれた』と手を握って離してくれなかった」という。

 時が経つとともにボランティアたちは去り、震災直後に駆けつけていた有名人も見かけなくなった。「普通の生活が戻ってくるとともに、寂しさも募る。そんな時に耳になじんだご本家の歌が心に響くのよ」

 今回の震災も、今よりもっと静かで深い寂しさがこの先に待っていると思う。だから、時が来たら、現地に長く腰を据えて歌を届けるつもりだ。「それが、そっくりさんとして生きてきた自分ができる最後のご奉仕」という。

 美空ひばりの息子で、ひばりさんとテレビで共演したこともある加藤和也さん(39)は「メーク一つとっても、『ひばりさん』がどれだけ本気なのか伝わってきた」と振り返る。「うちのおふくろも生きていれば、同じように何か被災地の力になることをするはず。だから、天国でひばりさんの活躍を喜んでいると思う。ありがたいことです」(宮野拓也)

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