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日本三景襲った津波 国宝に避難、観光客も泥掃除 松島

2011年3月16日15時0分

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写真:土産物店が軒を連ねる道には船が打ち上げられていた=14日、宮城県松島町、長沢幹城撮影拡大土産物店が軒を連ねる道には船が打ち上げられていた=14日、宮城県松島町、長沢幹城撮影

 松島や、ああ松島や――。大津波は、名勝も襲った。「日本三景」の一つ、宮城県・松島は汚泥に覆われ、静まりかえる。多くの観光客も被災し、国宝・瑞巌寺に避難している人たちもいる。

 松島湾を望む絶好のポイントである中央広場に人影はなく、桟橋に大小の遊覧船が停泊しているだけだ。地面は汚泥で覆われ、広場にある町観光協会の建物わきでは、泥だらけの観光パンフレットを職員が片づけていた。

 中心部を走る国道45号は一部が冠水したまま。道路わきにある伊達政宗の茶室「観瀾(かんらん)亭」に続く門や生け垣は水に流され、傍らにボートが乗り上げている。

 伊達家の菩提(ぼだい)寺、瑞巌寺の本堂につながる約180メートルの参道も泥で覆われた。国宝の本堂に被害はなかったが、やはり国宝の庫裏と廊下の壁に数カ所ひびが入った。政宗の青銅像や伊達家2代藩主・忠宗の位牌(いはい)も落下して破損した。「庫裏は400年前に建てられた貴重な建造物。被害が出て残念だが、崩壊するまでにならなくてよかった」。同寺宝物課の新野一浩さん(45)は言う。

 参道の前に軒を連ねる土産物店では、店の人たちが店内の泥をかき出していた。「明るい時間しか作業できないからね」。店の女性(38)によると、地震そのものの被害は小さく、こけしや瓶が倒れたくらいだった。「津波が来るぞ」という叫び声を聞き、観光客らと一緒に参道を走った。しばらくして店に戻ると、店の商品はすべて押し流されていた。

 一緒に泥の処理をしていた群馬県伊勢崎市の大学2年、渡辺智彦さん(20)は、1人で瑞巌寺の宝物館地下にいたところを地震に襲われた。立っていられないほどの大きな揺れだったが、寺の職員らに助けられ、何とか脱出した。

 避難場所は瑞巌寺の修行道場だった。普段は立ち入りできない建物だ。観光客や住民約300人が寝泊まりし、修行僧らが食事の世話やトイレの水くみをしてくれた。被災した土産物店からは食料も差し入れられた。

 宿泊場所や食事を提供してくれた寺への恩返しのため、浸水した参道や土産物店の片付けを手伝った。ラジオからは、ほかの被災地の甚大な被害が流れ続けている。「ぼくらは幸せな方です。食事も暖かい布団も用意してもらえている。お寺や松島町の皆さんに本当に感謝しています」

 道場に避難中の岩手県宮古市宮町、宮本沙奈恵さん(28)は友人と松島観光に来ていた。午後3時の遊覧船に乗ろうとしていた時、地震に遭い、近くの広場に避難した。足元の地面が割れ、津波と聞いて寺まで走って逃げた。

 宮古市には夫の靖大さんが残っていた。夕方、携帯電話に連絡があった。

 「大丈夫か」

 「無事でよかった。うん、私は大丈夫」

 そう答えた所で、電話は切れた。その後はいくら電話してもつながらない。

 14日、仙台駅まで臨時バスで帰ることになった。宮古市の自宅に帰るか、大阪府堺市の実家にいったん身を寄せるか。相談した友人から「被災地に行っても、会えるかどうかわからない」と言われ、堺市に向かうことに決めた。

 「夫に声が届かないことが、こんなにつらいとは思わなかった」(佐々木隆広、伊藤和行)

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