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言葉の壁、祖国に連絡つかず 避難生活の中国人実習生ら

2011年3月17日10時31分

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写真:避難所で施設の説明を聞く中国人研修生。水産会社で被災した=14日、岩手県大船渡市、諫山卓弥撮影拡大避難所で施設の説明を聞く中国人研修生。水産会社で被災した=14日、岩手県大船渡市、諫山卓弥撮影

写真:寝起きしている図書室の前で水産加工場の日本人社員(右端)と話す孫進艶さん(左端)=岩手県大船渡市の盛小学校、古城写す拡大寝起きしている図書室の前で水産加工場の日本人社員(右端)と話す孫進艶さん(左端)=岩手県大船渡市の盛小学校、古城写す

写真:避難生活を終えて中国に帰国する研修生。水産加工会社で働いていて津波に遭った。同じ職場にいた地元の女性と別れを惜しんでいた=17日午前11時15分、宮城県気仙沼市、竹花徹朗撮影拡大避難生活を終えて中国に帰国する研修生。水産加工会社で働いていて津波に遭った。同じ職場にいた地元の女性と別れを惜しんでいた=17日午前11時15分、宮城県気仙沼市、竹花徹朗撮影

 東日本大震災では、水産加工会社などで実習していた多くの外国人が被災した。言葉も通じず、祖国との連絡も滞る中、不安な避難生活を余儀なくされている。

 約120人の中国人が被災した岩手県大船渡市。避難所となっている高台の小学校の図書室の一角に、28人の中国人女性が身を寄せていた。孫進艶さん(34)は、「ご飯もいっぱいある。寒くない。不便ない」と片言の日本語で話した。ニュースが分からず、当初は余震のたびに、外へ飛び出していたと振り返る。

 震災時、孫さんは、実習先の水産加工会社にいた。

 「逃げろ」「急げ」「走れ」。叫ぶ日本人従業員をただ、追いかけた。一度だけ振り返ると、真っ黒な水が土手を越えて近づいてくるのが見え、着替えが入ったカバンを投げ捨てたという。日本が地震国とは知っていたが、「ツナミは知らなかった」。

 避難所で、孫さんらを支えるのは、同じ避難所にいる「お母さん」と慕われる工場の日本人パート職員(57)。避難所生活の中で、孤立しないよう「積極的に掃除を手伝った方が、なじめるわよ」「日本人はきれい好きだから掃除はしっかりね」と声をかけてくれる。おかげで28人はトラブルなく生活しているという。

 故郷・山東省の両親や恋人とは、まだ連絡が取れない。実習先の工場も津波で流されてしまい、16日午後、専務から帰国の準備をするよう言われた。「家族に会えるのはうれしい。仕事がないのだから仕方ない」。複雑な表情で話した。

 実習生にとって、祖国の家族との連絡手段は遠く細い。

 16日、吹雪の舞う同県山田町役場で4人の中国人女性が途方に暮れていた。安否確認用の無料電話があると聞き、避難所から山道を約2時間かけて役場に着いたが、国際電話はかけられなかったのだという。

 その一人、趙雪琴さん(33)は衛星携帯電話を借り、大連に住む夫の曲久明さん(33)と連絡をとった。趙さんはうずくまり、受話器を耳に押しつけて何度も目元をぬぐった。「私は無事だから」。後ろで心配そうに見ていた他の3人も抱き合って泣いた。

 「お金はいいから、早く中国に帰っておいで」という曲さんに、趙さんは日本に残ると伝えた。「契約が11月まで残っている」。4人は繊維会社で実習中。着の身着のままでの避難所暮らしが続く。

 岩手県宮古市でも水産加工会社で実習する中国人女性13人がホテルのフロントの床に布団を敷いて、避難生活をしていた。日本に来て3カ月の李(リー)ティン・ティンさん(ティンは女ヘンに亭=25)は、黒竜江省に夫と3歳の娘がいる。「ただただ国に帰りたい」「子供に会いたい」と話した。(古城博隆、上沢博之、矢島大輔、杉村和将)

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