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甘い想定、頼った「最終手段」 福島第一原発事故

2011年3月14日

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 福島第一原発では、1号機に続いて炉心溶融の可能性が強い3号機でも格納容器にある弁を開ける作業をとった。このガス放出弁は、実は、原発の建設時には「日本では炉心溶融が起こらない」として装備されていなかった。海外の動きにおされて導入したこの弁が、今は最悪の事態を回避する命綱になっている。当初の事故想定がいかに甘かったかを示している。

 弁は格納容器内のガスを放射能除去フィルターを通して外部に出すものだ。

 1号機は12日に放出を行った。電源がないため、職員の手や小型のコンプレッサーで弁を開いた。圧力容器から出たガスで8気圧まで上昇していた格納容器内の圧力が大きく下がった。格納容器は4気圧まで耐えられる設計。8気圧は厳しい状況だった。

 専門家は、もし弁がなければ、格納容器の爆発から大惨事にいたった可能性が高かったとみる。弁に助けられた。

 3号機でも13日から、弁を開けた。

 福島第一原発の6基の原発は1970年代に、福島第二原発の4基の原発は80年代に運転を開始した。いずれも建設当時に弁はなかった。炉心溶融などの過酷事故(シビアアクシデント)は起こらないという考えからだった。

 しかし、79年、米スリーマイル島(TMI)原発で炉心溶融が起き、爆発の一歩手前までいった。86年には違う炉型の旧ソ連チェルノブイリ原発で炉心爆発が起きた。

 このため、フランスやスウェーデン、ドイツ、米国では炉心溶融に備え、格納容器に弁をつける変更を始めた。

 日本ではその後も「過酷事故は起こらない。対策は不要」とされてきた。しかし、92年に原子力安全委員会が「検討が必要」との見解を出し、その後、電力業界も「確率は極めて低いが安全性を高める」として方針を変えた。

 東京電力などがもつ沸騰水型炉(BWR)は90年代半ばから弁の設置を始めた。ガスは格納容器下部からフィルターを通って外部に出るようになっている。

 一方、関西電力などの加圧水型炉(PWR)の格納容器は大きくて余裕があるので、弁はつくらず、格納容器内を冷やす装置の強化などで対応している。

 ただ、弁の開放は放射性ガスの放出という「やってはならないこと」の実施だ。格納容器の防護機能を自ら捨てて、圧力容器という最後のとりでを守る「最終手段」といえる。実際、今回、弁を開いたときには、原発周囲の放射線強度が上がり、被曝(ひばく)者もでている。

 リスクも大きい。1号機ではガス放出のあと、建屋内で水素爆発がおきた。建屋の壁が吹き飛び、負傷者4人を出した。水素がたまったことにはガス放出が関係しているとみられている。

 もし大きな爆発が起きれば、大規模な放射能放出も考えられる。ぎりぎりの判断と覚悟が求められる作業だ。

 東京電力は弁を開けることをどこまで現実的に考えていたのだろうか。

 炉心溶融を起こし、大量の避難民を生み、放射性物質を放出させた事実は、日本人の原子力への考えを決定的に変えるだろう。「想定外の……」の繰り返しでは片づけられない。そして、まだ原発の危機は全く去っていない。(編集委員・竹内敬二)

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