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陸前高田市長の妻、遺体で確認 激務のなか安置所で再会

2011年4月6日15時0分

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写真:久美さんの遺体と対面した翌日も、災害対策本部で職務にあたる岩手県陸前高田市の戸羽太市長=6日午前、平塚写す拡大久美さんの遺体と対面した翌日も、災害対策本部で職務にあたる岩手県陸前高田市の戸羽太市長=6日午前、平塚写す

写真:戸羽市長の妻の久美さん拡大戸羽市長の妻の久美さん

 東日本大震災で1152人が死亡、1231人が行方不明となっている岩手県陸前高田市で、戸羽太市長(46)の妻・久美さんが遺体で見つかった。戸羽市長が5日夕、市内の安置所で確認した。震災直後から災害対策に追われ、妻を捜せずにいた戸羽市長は「見つかってよかった」と涙を浮かべた。

 戸羽市長によると、見つかったのは、自宅から200メートルほど坂を上った場所。5日午後、警察官から知らされた。公務のためすぐに安置所に行けず、対面できたのは数時間後。「ごめんな」と何度も声をかけた。前日の4日は久美さんの39歳の誕生日だった。

 震災時、戸羽市長は市役所の屋上に避難した。自宅は海から見て、市役所よりも奥にある。その自宅の方まで津波が襲うのを、不安とともに見つめることしかできなかった。

 「逃げていてくれ」との願いは届かなかった。自宅にいた久美さんは、避難するために近所で声をかけ合っていたところを津波に流されたという。

 「11日午後2時40分」。久美さんと最後に交わした会話の通信記録を携帯電話に残している。「今日は早く帰れそうだ。焼き肉でも行かないか」という市長に、久美さんは「子どもたちが帰ったら聞いてみるね」と喜んだ。地震が起きたのはその数分後だった。

 震災翌日以降、災害対策本部が置かれた市の学校給食センターで寝泊まりしながら、住民の安否確認や救援物資、燃料の確保などに追われてきた。小学生の息子2人は親戚の家に避難した。「妻を早く見つけてあげたい」。常に思っていたが、捜しに行く時間はなかった。

 その間に、長男の太河君(12)が黙って母親の捜索願を災害対策本部に出していた。1人で不安に思い、届け出たようだった。

 東京都内で育った戸羽市長は28歳の頃、父親の地元の陸前高田市に移り住み、食品会社に入った。そこに総務担当として入社してきたのが、久美さんだった。いつも自然に振る舞う姿にひかれ、間もなく結婚した。

 震災の後、戸羽市長は菅直人首相に復興への支援を求めて直訴し、避難所を回って市民を励まし続ける。多くの市職員が職務中に津波に巻き込まれ、身内を亡くした職員も少なくない。

 「私だけがつらいわけではない」。戸羽市長は口癖のように繰り返している。(平塚学、井上裕一)

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