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安全なの?危ないの? 30キロ圏外、振り回される住民

2011年4月12日9時0分

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図:外部被曝の積算線量(SPEEDI)拡大外部被曝の積算線量(SPEEDI)

 計画的避難区域とされた福島県飯舘村。ほとんどが福島第一原発の半径30キロ圏外で、避難指示や屋内退避指示(自主避難要請)ではなかった。

 「何で今ごろになって避難なのか。国の言っていることはとにかくちぐはぐ」

 従業員68人を抱える精密部品加工会社を営む林和伯さん(67)は憤る。先月中旬、従業員の強い要望で操業を再開したばかり。「命令でもない限り、国から言われても村から出るつもりはない」

 村中心部に住む農家の女性(55)も「この前、国際原子力機関(IAEA)が村は危ないと言ったのを国が打ち消したのに、今度は避難しろという。一体どっちなのか」と戸惑う。

 村は先月19日から、希望する住民を栃木県鹿沼市に避難させた。だが、和牛農家を中心に、徐々に村に戻る人が増えている。その一人、菅野千代子さん(69)は牛が心配で先月末から自宅にいる。「戻れて良かったと思ったのに今度は今生の別れだなんて。心の準備にまだ時間がかかる」

 飯舘村の西側に隣接する川俣町も一部が計画的避難区域に入った。同町山木屋で乳牛80頭を飼う牧場経営者、高橋健司さん(38)は「牛はうちの財産で生活の糧。見捨てることはできない」。原乳の出荷制限で乳は搾って捨てている。従業員1人を解雇し、牛乳やチーズなどの製造工場も休業。健司さんを手伝う母の里子さん(64)は「町からは何の連絡もない」と途方に暮れる。

 町内で民生委員を務める渡辺とくいさん(67)は「30キロ圏外は大丈夫だといっていたのに、何を信じていいのかわからない。国がしっかりした情報を発信してくれないと混乱するばかり」と話した。

 これまで避難指示、屋内退避指示、それ以外の三つの地域に分かれていた南相馬市。屋内退避区域の同市原町区に住むトラック運転手、横山久司さん(51)は、1週間前に避難先の栃木県鹿沼市から帰宅していた。ところが、自宅が計画的避難区域に。「小出しにしないで、はっきり境界線を引いてくれないと身動きがとれない」と政府に対する怒りの声を絞り出した。

 浪江町にあった勤務先は原発事故で、福島市へ移転。「『通えるか?』との会社の問いに、答えを保留している。先が見えない生活は、もう限界」と憤る。

 同じ原町区の農業原田みよこさん(63)は、震災直後から夫と子どもと一緒に福島市に避難したが、高齢の両親は「避難所に行くくらいなら、放射能の影響があっても構わない」と自宅に残った。両親の様子が気になり、2時間ほどかけて何度も帰宅した。「30キロ圏内は『絶対に入っちゃいけない』という宣言もなかった。中途半端で逆に困る」

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