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安全な高台か、便利な海岸か 明暗分けた選択

2011年4月23日10時52分

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写真:白浜集落は1933年の昭和三陸大津波を機に、高所に移転。今回の津波は左奥の海から集落の下の谷を通り抜けた。熊谷さんが指さす奥の屋根が、昭和の津波で無事だった唯一の家=岩手県大船渡市拡大白浜集落は1933年の昭和三陸大津波を機に、高所に移転。今回の津波は左奥の海から集落の下の谷を通り抜けた。熊谷さんが指さす奥の屋根が、昭和の津波で無事だった唯一の家=岩手県大船渡市

写真:写真奥の高台に立つ家並み、白浜集落は1933年の昭和三陸大津波を機に高台に移転。今回の津波では無事だった=岩手県大船渡市拡大写真奥の高台に立つ家並み、白浜集落は1933年の昭和三陸大津波を機に高台に移転。今回の津波では無事だった=岩手県大船渡市

 東日本大震災で、かつての津波の教訓で高台に移転した集落は被害を免れ、海岸に残った街は壊滅した。復興策として政府も検討を始めた高所移転。数十年に1度の災害に備え、不便な高台に住み続けるのは簡単ではない。

 岩手県大船渡市三陸町綾里の白浜集落。付近は標高23メートルまで津波が駆け上がったが、約200人が住む62戸の住宅は無傷で犠牲者もいなかった。1933年の昭和三陸大津波を機に、海岸から高台に移していた。

 民宿経営の熊谷正吾さん(85)によると、当時、未明の暗闇を襲った大津波で、住民211人のうち62人が死亡、家屋はほぼ壊滅。生き残った人々は高台に唯一残った家にすし詰めになって暮らしながら、そこより上に集落を再建すると決めたという。

 再興し、次世代が育っても、いろりを囲んで子らに話すのは津波の恐怖。「谷底に住めば、毎日の漁は楽になる。でも80年間、誰も戻ろうと言い出さなかった」と熊谷さんは言う。

 白浜集落と反対に、60年のチリ地震津波で50人が亡くなった大船渡港周辺の中心市街地は、被災地に街を再建。今回はここを中心に市内で約500人が死亡・安否不明になった。港近くで雑貨店を営んでいた男性(66)は「津波は覚えていたが、怖さを忘れていた。みんな便利な場所に住みたがった」と言う。

 長年にわたり、緊張を維持するのは難しい。

 93年の北海道南西沖地震の津波で多くの犠牲者が出た北海道・奥尻島。かつて島の過半数が参加した年に1度の防災訓練は、今は2割前後だ。

 東北大の今村文彦教授(津波工学)は、2004年のインド洋大津波後、スリランカで政府が海沿いの建築を禁じたが、今は市場もできて元通りになった例を指摘。「海岸に住みたい人にはリスクを十分に知らせた上で自分で決断してもらう仕組みが必要だ。それが津波への緊張感を長持ちさせる手段になる」と話した。(長野剛)

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