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放射能汚染のがれき手運び チェルノブイリの元作業員

2011年4月27日5時4分

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写真:ベリヤコフさんが1986年にチェルノブイリ原発で作業していた当時の、原発30キロ圏内への入境許可証。常時携行したため、放射線の影響で顔写真が白くぼけている=本人提供拡大ベリヤコフさんが1986年にチェルノブイリ原発で作業していた当時の、原発30キロ圏内への入境許可証。常時携行したため、放射線の影響で顔写真が白くぼけている=本人提供

写真:チェルノブイリ原発事故後の作業について語るベリヤコフさん=シンガポール、塚本写す拡大チェルノブイリ原発事故後の作業について語るベリヤコフさん=シンガポール、塚本写す

 「私たちはチェルノブイリで、地獄の門へと駆け上がった。誰もが恐怖で体が震えていた」。旧ソ連・ウクライナのチェルノブイリ原発事故が発生してから、26日で満25年を迎えた。事故後の原発施設内で、事態収拾のため、がれき除去などに携わった元作業員の科学者が当時を振り返った。

 事故後のチェルノブイリでは、原子炉建屋の屋根部分が最も放射線量が高いとされた。セルゲイ・ベリヤコフさん(55)はその屋上に、計6回のぼった。

 ウクライナで有機化学を専門とする大学の助教授だった。軍の予備役でもあり、核防護についても研究していたため、1986年7月31日から40日間、当時のソ連軍化学防護旅団に、志願して加わった。

 原発から30キロ圏内に滞在し、爆発した4号炉などの原発施設内に、計23回入った。階段を上下し、放射能で汚染された金属やアスファルトを手で持って運び出した。リーダー格だった。

 その間、ずっと身につけていた原発30キロ圏内への入境許可証を、ベリヤコフさんは今も持っている。放射線の影響で顔写真が白く退色している。だが、恐怖の記憶は色あせていない。(塚本和人)

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