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警戒区域への一時帰宅始まる 福島・川内村の54世帯

2011年5月10日12時50分

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写真:防護服を着て一時帰宅し、家財道具などが散乱した部屋に入った住民=10日午後0時23分、福島県川内村、代表撮影拡大防護服を着て一時帰宅し、家財道具などが散乱した部屋に入った住民=10日午後0時23分、福島県川内村、代表撮影

写真:一時帰宅を前に、中継基地の村民体育センターで防護服に着替える川内村の住民たち=10日午前10時36分、福島県川内村、森井英二郎撮影拡大一時帰宅を前に、中継基地の村民体育センターで防護服に着替える川内村の住民たち=10日午前10時36分、福島県川内村、森井英二郎撮影

写真:「警戒区域」への一時帰宅のため、防護服を着てバスに乗り込む川内村の住民=10日午前11時2分、福島県川内村、河合博司撮影拡大「警戒区域」への一時帰宅のため、防護服を着てバスに乗り込む川内村の住民=10日午前11時2分、福島県川内村、河合博司撮影

 東京電力福島第一原子力発電所から半径20キロ以内の「警戒区域」に住んでいた人たちの一時帰宅が10日、始まった。第1陣は福島県川内村の54世帯、計92人が対象となった。自宅に向かい、約2時間滞在して必要な品の持ち出しや家の片づけなどをした。

 午前8時半すぎ、警戒区域のラインから2キロほど外にある川内村村民体育センターに、一時帰宅をする住民が集まり始めた。受け付けを済ませ、村の職員らから線量計やトランシーバー、防護服などを受け取る。十分に水分を補給し、けがをした場合にはトランシーバーでバスごとの引率者に連絡するよう職員から説明も受けた。

 「不便な避難生活を耐えてもらっていることに感謝しています。必ず村に戻れると思っています」。遠藤雄幸村長は、そうあいさつした。

 吉岡清さん(66)と妻ヒデ子さん(63)は、白や黄の菊の花束を持ってきた。これまで両親の仏前への花を欠かしたことはなかったが、家を離れてもう2カ月近くになる。「家に戻ったらまず仏前で手を合わせたい」と語った。

 92人は防護服に身を包み、居住地区ごとに5台のバスに分乗。まず3台が午前11時20分、予定よりやや遅れて出発し、続いて2台も発車した。警戒区域に入ると、バスは五つの地区に分かれ、集落ごとに止まりながら住民を降ろす。住民は徒歩で自宅へ向かった。区域外に持ち帰れるのは約70センチ×70センチのポリ袋に入る分に限られている。

 警戒区域には、9市町村の約2万7千世帯がある。第一原発から半径3キロ以内は一時帰宅が認められない。川内村は123世帯が一時帰宅の対象で、6〜7割の世帯が村に申請した。1世帯1人が原則だが、1人では危険などと首長が判断すれば2人も認められる。県外に避難中の人や高齢者の場合、代理人の帰宅も可能だ。

 12日には、同村の残りの世帯と、葛尾村の18世帯も実施する予定。対象世帯数が4千〜7千と多い南相馬市や浪江町などは5月中旬以降に行われる見通しとなっている。

 原発の20キロ圏内をめぐっては、避難指示が出た後も立ち入る人が相次いだ。このため、政府は4月22日、警戒区域に設定し、立ち入りを禁止した。着の身着のままで避難した人も多く、帰宅を望む声が絶えなかったため、一時帰宅が実施されることになった。

 本格的な帰宅については、菅直人首相が今月4日、9市町村の一つ、双葉町の町長に、原発の状態を見極めた上で「年明けに判断する」と発言している。

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