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2011年8月1日3時52分
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優秀賞 井口勝文さん

写真:井口勝文さん井口勝文さん

■「首都圏の発想から、ローカルな発想へ」井口勝文(いのくち・よしふみ)さん(70)=建築家 

 今回の震災がなくとも、過去に何度も反省の機会はあった。戦後一貫して進めてきた成長指向の国づくりからの脱却。今度こそは方向転換を、そんな思いが語られたのは今回が初めてではない。少なくとも過去に3回はあった。

 私にとって最初のそれは1973年のオイルショックだった。無限だと思いこんでいた地球の資源とエネルギーに限りがあることを劇的に思い知らされた。地下鉄ホームの煌々(こうこう)とした明かりが半分の明るさに落とされたとき、むしろほっとした安らぎを感じたことを覚えている。今回の計画停電で薄暗くなった東京の街を歩く時、その時のことを思い出した。

 その当時商店街のオープンモールの仕事に関わっていた。「これからは自動車の来客は減る。歩いて楽しむ街をつくろう」。真剣にそう話していた商店主に向かって私も大きくうなずいていた。でもそうはならなかった。日本は前にもましてたくましく成長して、アメリカもしのぐ経済大国になったかのようだった。

 そして1990年のバブル崩壊。我々がつくってきた都市の、「繁栄」というものが虚像に過ぎないことを改めて思い知らされた。そして追い打ちをかけるように1995年の阪神・淡路大震災。都市のパラダイムシフト、それが不可避であることをこのとき我々は思い知ったはずだ。

 しかしその後の成長路線は前にも増して首都圏に集中し、大都市はそれに追随した。その分地方の疲弊はどんどん進んで現在に至っている。今回もまた喉元過ぎれば熱さを忘れる、同じような経過をたどってまた、成長指向を続けるのだろうか。それとも人口減少という避けられない現実を前にして起きた大震災、東京一極集中の危なさと脆(もろ)さを思い知らせてくれた原発災害、今回こそは国と都市のありように、しっかりと新しい展望をもつ機会になるのだろうか。復興、復旧のあり方が議論されているが、議論はやはり東京からの視点で語られているようにしか思えない。東京の視点で考える限り、国の構造は基本的には変わらないだろう。既に限界を超えているはずの国の構造的矛盾が東京からは見えないのだ。地方在住の私から見れば、東京一極集中の構造を変えることが今回の復興、復旧計画の基本的な課題と思えるのだが。

■世界一のメガロポリス、東京は生き延びるのか

 世界に類を見ない巨大なメガロポリス、東京一極集中の危なさとそれによる地方の疲弊は以前から語り続けられていた。そのことが今回、はっきりと具体的な姿で現れた。

 東京一極集中とは、資本も権力も文化も全てが東京を中心に動いているということだ。金も情報も、全てが東京から地方へ向けて一方的に流れる。その結果日本中が東京の価値観で塗りつぶされ、地域の個性もプライドも失われていく。多様性を失った単細胞の社会が不健康で、危機に際して脆弱(ぜいじゃく)なことは、世界の歴史が証明している。日本は明治以来ひたすらその単細胞化に励んできた。近世に育まれた多様で豊かな、かけがえの無い各地の文化が失われてきた。そして特に戦後は、その傾向を加速して物質的な豊かさとは裏腹に、決して幸せとはいえない生活環境をつくってしまった。

 中心市街地の疲弊、郊外の砂漠化、そして農村の疲弊。美しかったはずの山や川、親密な人のぬくもりのなかで暮らしていた町や村。それらの多くが失われた。国栄えて山河なし。それが今の日本の姿だ。70年代から皆で警鐘を鳴らし続けながら、それでも変わることが出来ずに続けてきてしまった我々の国づくり、都市開発の結果がそれだ。

 一方震災後の現実は、既に東京一極集中を許さない方向に進んでいる。地震と津波はともかく、それに伴う原発災害ではその直接の被害の及ぶ範囲はまだ予断を許さない。首都圏3800万人が固唾(かたず)を呑(の)んでその行方を見守るという、尋常でない事態に陥っている。同時に電力不足は住民の生活だけでなく、日本と世界の経済に深刻な影響を与えている。

 もとはといえば首都圏に集中した巨大なエネルギー需要をまかなうために1カ所に集中した、巨大な原子力発電所を立地させざるを得なかったことに無理があったのではなかろうか。発電所も全国に均衡をもって配置されていれば、一度に3800万人を危機に陥れるかもしれないという原発事故にはならなかったし、国家的規模での経済危機にも至らなかっただろう。

 福島原発の放射能漏れの影響は今後10年以上は続くと考えねばならないし、首都圏の電力不足も同じように長期的に対処しなければならない事態だ。東京一極集中の是正は、今までのように掛け声だけでは済まされない。経済活動の拠点を全国に分散しなければならない。それが今や現実の課題となっているのは明らかだ。そのことを自覚して、国全体の復興計画を立てるべきだろう。

■地域経済育成の課題〈生活の豊かさを実感する地域経済の育成を〉■

 経済活動の拠点を全国に分散して新しいネットワークを構築しなければならない。そのためには地方の弱体化した政治、経済、文化を強化しなければならない。美しい故郷の環境を回復して、優れた人材を地方に呼び戻す必要がある。1962年以来5次にわたる全国総合開発計画では常に「国土の均衡ある発展」を目指しながら、その結果はいつも反対の東京一極集中を強める方向に動いてきた。小手先の対応、掛け声だけでは駄目なのだ。我々が生活の価値観を変えるところまで自覚しない限り、国土の均衡ある発展、地方の豊かな生活環境は取り戻せない。

 アメリカ型のグローバリズム一辺倒の経済構造を是正して、地域経済重視のヨーロッパ型の経済構造を採り入れる必要がある。今までは東京が先頭に立ってグローバル経済を推し進めてきた。これからは自立した地域の経済圏を各地に育てる必要がある。被災地の経済復興にはその視点が特に重要だし、そのモデルとなる事業を率先して起こす貴重な機会でもある。

 震災の復興事業はまず街の再建から始まる。地元の建設業や廃棄物処理業、港湾のサルベージ、運送業を始めあらゆる事業が復興のために総動員されなければならない。それらの雇用機会は地元の人材に積極的に与えられるだろう。それだけでなく復興後の地元の産業を担う会社や団体としてインキュベートすることが重要だ。地域経済の柱である漁業も早急に復興されなければならない。そのためには今までの全国一律の流通体制に代わる、地域を支える地域内の流通体制を強化しなければならない。復興事業は外部の力に頼るよりも、あらゆる分野で地域の活力を育てる方向に向けられるべきだ。地域で必要なものは地域の人が地域で生産し、地域で消費する。その中から高品質の国際商品が生まれる。そのような力強い地域経済のモデルがここで成長することを期待したい。

 生活の基本となる需要は地域でまかなう。そのような地産地消の経済構造のモデルはイタリアがよく知られている。そのような地場産業の中から個性的で高品質のグローバル企業がうまれている。地域経済を基本とするグローバル経済が、ヨーロッパ型の経済構造だ。自分の町や地域に深い愛着を持ち、家庭の生活に幸せの原点をもって暮らす。そのような生活の価値観に国の構造を変えていくべきだ。急速に経済成長するアジア諸国がいずれは日本が抱える同じ問題に直面する。そのときどのように舵(かじ)を取って国の進むべき方向を定めるか、そのモデルを示すことで日本は国際社会に貢献し、アジアのリーダーとしてGDP(国内総生産)大国の勲章に代わる一定の評価を得ることが出来るだろう。

 そのとき基本となる産業は農業だ。地産地消を基本とする裾の広い経済構造はまず農業から始めなければならない。有機農法を重視し、それを支持する消費者の自覚も促す必要がある。そのことによって日本の国土に適した少量高品質の作物の栽培が可能になり、世界に通じる地域ブランドの農産物、加工食品が生まれる。津波で被災した多くの農地の復興ではそのような視点で、日本の農業改革のモデルを示すことになる。大量生産大量消費を目指すのでなく、地産地消を基本としながら、その中から国際商品になる高品質の地域ブランドを育てることが重要だ。

 高度経済成長で築いた高度なグローバル経済の体制を維持することは今後の日本に欠かせない課題だが、そのことと地域経済重視の経済体制は矛盾するものではない。むしろ補完しあうものであって、そのためにも、地域経済の復興、強化が欠かせない課題である。

 今回の震災で、バランスを欠いた国土の弱点が誰の目にも明らかになった。均衡ある国土の形成が、掛け声だけでは済まされないことが現実の課題となった。活動の拠点を地方におく、そのような企業の意識変化が既に起こっている。首都圏における長期にわたるであろう電力不足がその流れを後押しするだろう。

■地域主権の課題〈自立した生活圏を守る地域主権の地方自治を〉

 「中央からは何の情報も指示も届いて来ない。私たちはテレビを見てようやく何が起こっているかを知る状態だ」。被災地の自治体がそう語るのを聞いた。自治体の苦境が痛いほど伝わってくる。

 しかしその一方で、こんなときにも遠く離れた東京にまず頼らなければならない、そんな風に考えてしまうひ弱な地方自治体の現実を見る思いだった。

 こんなときはまず地元の自治体が声を発するべきではないのだろうか。それを中央が聞いて然(しか)るべき対応を考える、行動する。生活の現場が発する声が中央を動かす。情報は中央から流れてくるのを待つのではなく、地方から中央へ送るものだという自覚が欠けているのではないか。そういう自立した自治体の体制にはなっていないことを今回の震災がはっきりと見せてくれた。マスコミに登場する識者も政府の対応のまずさを指摘するばかりで、自立した強い自治体をつくってこなかったことへの反省は聞かれなかった。地域主権の掛け声には程遠い、地方自治のひ弱な現実がそこにはあった。その一方で今回の震災は日本人の一人一人が素晴らしい自立した力を持っていることを知らせてくれた。困難に際したときのコミュニティーの持つ力を再認識させてくれた。地方自治、地域主権の可能性はまだある、そんな期待を持たせてくれた。

 復興の都市計画はまずは被災地の基礎自治体が作るべきだ。それを待って然るべき支援、対応をするのが国の役目であると、片山総務大臣は言う。是非そのように進めて欲しい。

 そのためには地方自治体の市町村に然るべき能力をもつ都市計画など地域計画の専門家が必要だ。中央集権が続き、合理化で人員削減した地方自治体にはそのような人材を抱えておく余裕はなかった。今回被災した人口数千人から数万人規模の多くの自治体には人材皆無といってもよい状況だ。

 そのような自治体は国や県が支援する、ということになる。それでは以前の通り、中央頼りの復興計画になってしまう。今回は地方自治体が直接、復興計画策定の専門家を採用すべきだ。地域計画は20年、30年をかけて実施していくものだ。そのような専門家を各自治体は採用し、育てていかなければならない。現地に根を下ろした専門家が地域の人たちが主体的につくる復興計画をサポートする、そのような体制をつくるべきだ。復興計画は世界の動向まで視野に入れた広い視点で作成し、実行していく必要がある。専門家には、世界の人材を活用し、住民が作る計画をより高いレベルに導く自覚が欲しい。

 大学や大都市では若い世代が地方で働く元気な職場を求めている。そのような活躍の場は疲弊した地方の現状では極めて限られていた。若い世代が全国各地に根を下ろして活躍することが、地域の活力を引き出すためには必要だ。復興事業はそのような機会をつくる端緒となるべきだろう。

 今回は、市街地だけでなく、農地や山林、港湾を含めた総合的な復興計画が必要になる。都市計画区域が国土の4分の1しか占めていないという、信じられないくらいの無法国家日本だが、今回の復興事業を、都市と農村、山林や海辺の全ての土地利用を総合的にコントロールする「地域基本計画」が生まれる、端緒としたい。

 都市の無秩序な拡大が故郷の山や川の風景を無残なものにしてしまった過去の失敗を放置しておいてはならない。国土交通省と農林水産省、経済産業省の政策が一体となった国土の総合的な地域基本計画を地方自治体が策定しなければならない。その計画が策定されない限り、一切の開発行為を認めない、そのような法律を作るのが国の役目だ。

 このような地域主権の政治構造、強い地域経済とグローバル経済が両立する産業構造への変化は、地域からの情報発信を盛んにする。その結果今までのように東京から地方へという、一方的な情報の流れではなく、地方の情報、地方の価値観を全国へ、世界へ発信する双方向のメディアのネットワークが構築される。全国紙が主流の新聞、東京中心のテレビ局、東京集中の出版社、それらがつくる首都圏文化が日本を支配し、あたかも日本の文化を代表するものであるかのようだ。この状況は明らかに異常だ。日本の不幸であり、本来の日本のポテンシャルをゆがめた方向に向けて、無意味に低俗に浪費している。近世の日本には276の藩が在り、7万の町や村がそれぞれの生活と文化を守ってきた。その多様性と国民一人一人の生命力が、明治維新の偉業を可能にした。東日本の復興をそのような日本を復興する、出発点とするべきだ。

■コンパクトシティーの課題〈人口減少時代のコンパクトシティー、コンパクト農村の形成を〉

 100年前に壊滅的な被害を受けた同じ場所に町をつくってきた。合理とはかけ離れたわが国の国土計画、都市計画の縮図をそこに見る思いだ。安全な場所に、コンパクトに町を集約する。なぜそんな発想が出来なかったのか。高度成長の大きなエネルギーをなぜそこに向けられなかったのか。結局は成り行きに逆らえず、無思慮に拡散し続けて来たわが国の全ての都市の縮図がそこにはある。

 復興市街地は安全な高台とそのすぐ下の限られた場所に建設されるだろう。住宅市街地はすべて高台に、その生活を支える商業施設や公共施設もすべてそこに配置して快適な環境が高密度に建設される。高台の市街地を造るために後背の山を削ることになる。山を削るのを必要最小限にとどめるために、新しい市街地は限られた場所にコンパクトに建設されなければならない。そうすることによって市街地を囲む豊かな緑の自然環境を保つことが出来る。

 漁業などの港と港湾施設も職住近接に相応(ふさわ)しい場所に移さねばならない。港と港湾施設は高台の市街地のすぐ足元に設けるべきだ。職住近接は家庭と職場を近づけることで、家族の幸せを優先する人間本来のライフスタイルを取り戻すきっかけとなる。そのような豊かな生活を営む生活環境、職場の環境がこの地域に生まれる。そのことは港湾の仕事や生活の匂いが肌で感じられる、そんな魅力的な町をつくることでもある。町の人たちは自分たちの町と山や川を誇りに思う。美しい、楽しい港と、新鮮な海の幸が楽しめる、そんな町だ。そんな魅力にひかれて人々がこの町にやって来る。豊かな生活と仕事の場がそのまま観光の魅力となる町だ。新しい観光地の風景をそこにつくれるはずだ。

 従前の市街地は農地や緑地に変わる。緑地帯への市街地の無秩序な拡散を許さない、厳しい規制が必要だ。高台の町からは、足元に広がる緑地帯の向こうに美しい入り江や太平洋を眺めることになる。そのような誇るべき美しい風景を後世に残したい。

 このようなコンパクトな市街地の形成は、肥大して砂漠化した全国の郊外を縮小して再編成するモデル事業となるだろう。地域コミュニティーの存在を見直し、親密な生活環境を整え、中心市街地を強化することにもつながるだろう。過疎化が進む農村部にあっても、同じようにコンパクトで美しい農村集落を再編、再生するモデル事業となるはずだ。

 歩いて暮らせる範囲に集約したコンパクトな都市や農村集落は、行き過ぎた便利さの追求を抑制することでもある。首都圏の計画停電は今まで如何(いか)にルーズに電力を消費していたかを気付かせてくれた。エスカレーターなしでは使えない施設や建築物。出入り口はすべて自動扉。いつも真昼のように明るく照らされた室内空間。町中に溢(あふ)れる自動販売機やネオンサイン。我々は自分の体を使い、自分で判断することをやめてしまった。世の中はすべてオートマチックに管理され、それによって自分の生活の安全、快適が保障されるのを当然と思うまでに堕落している。都市や農村をコンパクトに再編、再生することは同時に、自立した自己責任の、コンパクトでシンプルな生活環境を取り戻すことでなければならない。原発災害で明らかになった日本のエネルギー不足への対応は、放漫に都市や農村を拡大し、無闇(むやみ)にエネルギーを浪費し続けた我々の生活の価値観を変えることからまず始めなければならない。

■ストックの課題〈ストックをいつくしむ価値観への回帰を〉

 以前と同じ場所に、被災した都市や集落を復興する愚は流石(さすが)に今回は繰り返さないものとして、それ故にこそ、過去の歴史を目に見える形で残していくべきだということを主張したい。歴史の痕跡を失うことは、自分たちの存在の根拠を失うことだ。歴史の痕跡を残し、その上に新しい生活を積み重ねていく、そのような復興事業がなされなければならない。そのような復興事業は被災地に限らず、これからの全ての都市の開発、再開発のありように新しい指針を示すことにもなる。

 単純に、古いというだけの理由で多くの建築物が壊されて建て替えられている。新しいものをつくる技術は次々に現れるが、古いものを使い続けるための貴重な技術は失われていく。手のかからないピカピカの新品だけが並ぶ、底の浅い町並みが普通になってきた。そのような薄っぺらな環境を原風景として次の世代が再生産されていく現状を見過ごしていて良いものだろうか。スクラップ・アンド・ビルドで新しさだけを求める開発、再開発ではなく、浪費からストックへ、古くて使い込まれた町に愛着を持ち、そこに価値を見いだす、サステイナブルな市街地の整備が必要だ。

 古いものにはそれによって支えられてきた歴史が込められている。価値のある新しさはそれを踏み台にしてしか生まれない。そのような生活の価値観を取り戻したい。津波で全てを失った町を見るとき、そのことの重要さを今更ながらかみ締めずにはおれない。

■風景の課題〈誇るべき我々の風景を、子孫に残していこう〉

 故郷を失った人々が避難先で歌う「故郷」の歌声がテレビから流れてきた。被災した小学生も、お年寄りも、静かに涙を浮かべていた。それを見る我々も自分のことのように胸を締め付けられる思いだった。故郷の山河、町並み、そのような故郷の風景が我々の生活に如何に欠かせないものであったかを、今回の震災は教えてくれた。故郷の風景を失うことが我々の人生にとって如何に致命的なダメージを与えるものか初めて気づかされたのではなかろうか。風景を失うことは自分の存在の拠(よ)りどころを失うことだ。便利さや新しいライフスタイルと引き換えに、我々は美しい貴重な風景を失ってきた。

 美しい風景をつくり、守り育てることが国土・地域計画の一番の目的でなければならない。風景はそこに住む人たちの生活の価値観を映す鏡である。自分たちの愛すべき風景を守る。そのためには何を考えて、何をしなければならないか。それは必然的に、我々がどのように生きなければならないか、そのことを考えることである。美しい風景をつくることは、美しい生活を守ることだ。そのような価値の転換を今回こそはやれるだろうか。

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