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海岸沿いにあるソマリア・モガディシオの国際空港に降りる。26日午前11時半(日本時間午後5時半)、駐機場にはこの朝ナイロビから到着した2機のジェット旅客機が……[記事へ]
前回からの移動距離
27日午前9時過ぎ、アフリカ連合(AU)軍の装甲車両6両を連ねてモガディシオを出発し、北西に向かった。前線近くまで連れて行ってくれるという。そもそも、地域に……[記事へ]
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マハムード・ガイウエロさん(60)が歌の封印を解いたのは、つい2週間前のことだ。若者のつどいで彼が歌った自作の曲は氏族主義を非難する中身だった。様々な氏族の……[記事へ]
前回からの移動距離
体に染みついて離れないと感じるにおいというのはあるもので、新人記者の場合はたいてい火事現場のそれだ。風景や音のように頭の中で再現することがにおいはできないの……[記事へ]
前回からの移動距離
右から左から、声がかかる。アブディ・モハマド・イスマイルさん(35)は笑って言う。「みんな、シャバブに気をつけろ、だって」。今年に入ってソマリアでは17人の……[記事へ]
前回からの移動距離
アフリカに来るにあたってどんな準備をしたのかを書けと、このコラムを担当してくれている国際報道部のデスクに言われました。恥ずかしいことにほとんど準備らしいこと……[記事へ]
前回からの移動距離
「風に吹かれて」って、全然、風が吹いていないじゃないか。そう言われそうなので、街角の様子を書いておく。といっても、実際に風はほとんど吹かない。夜中に連日、激……[記事へ]
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福島第一原発の事故と状況は全く違う。でも、ここにも災害と人災が重なって故郷へ、家へ戻れない人たちがいる。 まだ完全に安全というわけではないので、モガディシ……[記事へ]
前回からの移動距離
故郷に戻れない人があふれる一方で、ソマリアには次々と人が帰ってきている。内戦を逃れて海外に渡っていたディアスポラと呼ばれる人々だ。 ハッサン・アブカールさ……[記事へ]
前回からの移動距離
ソマリアへの6泊7日の旅も終わりを迎えた。そこで、書き漏らしたことを思いつくままに。 【安全】日本にいたころ、ネットで「ソマリアに旅行に行きたいのですけど……[記事へ]
前回からの移動距離
ナイロビからモガディシオに向かう場合、「行きはよいよい帰りは怖い」となる。本当は「怖い」ではなく、「面倒」なのだけど。 モガディシオ行きはナイロビから1時……[記事へ]
前回からの移動距離
ナイロビに戻りました。ナイロビの空港を出ると、にわか雨が降っていて、ものすごく大きな虹が空にかかっていました。よく見ると、二重になっています。 郊外のひら……[記事へ]
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ここで、おことわりというのか、紹介というのかわからないけれど、書いておきます。朝日新聞にはれっきとした「アフリカ特派員」がいます。杉山正ナイロビ支局長がその……[記事へ]
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南スーダンに到着したからには、何か書かなくてはと思うのだけど、着いてすぐに実のあることをさらさらと並べられるほど能力はなく、コオロギのことぐらいしか思いつか……[記事へ]
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1日たっても、何も進まないというのはつらい。8日は外国メディアの登録が必要だというので、最初に情報省に出かけた。朝8時から開いていると聞いていたが、8時半に……[記事へ]
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内戦を引きずるソマリアと違い、南スーダンは独立して1年を経ている。 首都のジュバは建築ラッシュだ。平屋、2階建ての小さな店が街道沿いに白や黄土色のまぶしい……[記事へ]
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南スーダンのジュバの街には、携帯電話、電化製品の宣伝に交じって、標語のような看板が目につく。「独立を選んでくれてありがとう」と、誰が誰に言っているのかよくわ……[記事へ]
前回からの移動距離
土曜日だし、大きな宣伝の看板も出しているし、一つやわらかいものでも眺めてみますか。とまあ、その程度の関心で10日にジュバで開かれた「ミス・マライカ」コンテス……[記事へ]
前回からの移動距離
ジュバの街にあふれるオートバイタクシーに興味はあった。ボダボダと呼ぶらしい。一説によると、境界から境界まで走るので「BORDER BORDER」、ボダボダと……[記事へ]
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11日はジュバからジョングレイ州のボルに向かった。丈夫な車がなかなか手に入らず、出発が昼になってしまった。悪路で、ボルの宿泊先も確保していないので、できるだ……[記事へ]
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それで、ジョングレイ州にいったい何をしに来たのか。そう言われると、風に吹かれてというだけあって、確固とした目的があるわけではない。ただ、新聞で「紛争地をめぐ……[記事へ]
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ジョングレイ州まで来て、さてどうする。 国という新しい形ができたけれど、この州では古くからの対立がなお続いている。ここに住んでいる人たちは、新しい国ができ……[記事へ]
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ジュバのホテルで車を待っていた時、泥だらけの四輪駆動車が3台、続けて駐車場に入ってきた。随分ひどい状態の車だと思ってよく見たら、内装にビニールがかかり、ホイ……[記事へ]
前回からの移動距離
南スーダン編で、校舎もなく、木陰で学んでいる子どもたちについて書いた。拉致されるのが怖くて、学校に行けない子どもたちについても書いた。 ジュバの町中を移動……[記事へ]
前回からの移動距離
ソマリア、南スーダンへの短い旅を紹介してきました。右往左往や個人的な思いや泣き言も含めて書いてきましたが、こうした経験は特別でも何でもなく、海外にいる特派員……[記事へ]
前回からの移動距離
ソマリア、南スーダンに続いて、コンゴ(旧ザイール)に向かう。この三つの地域は12年前、ナイロビ支局に勤務したとき、内戦のさなかにあった。いずれも一定の区切り……[記事へ]
前回からの移動距離
死んだ街が生き返った。そんな感慨を、ブルンジのブジュンブラに入ってもった。12年前から10年前にかけてここをたびたび訪れたころ、街のごく周辺で戦闘が繰り返さ……[記事へ]
前回からの移動距離
話は少しさかのぼる。10月にナイロビから最初の訪問地、ソマリアのモガディシオに向かう飛行機で機内誌をパラパラめくっていて、途中で手が止まった。そのページには……[記事へ]
前回からの移動距離
ブルンジに来た理由は、コンゴ入国のためのビザを手に入れるためだった。ブルンジ入り前に申請の手続きを進めた時には、行き先のコンゴ東部ゴマの周辺で戦闘が起きてい……[記事へ]
前回からの移動距離
ブジュンブラのコンゴ大使館を再度、訪問する。こちらは反政府武装勢力がゴマを制圧する前からビザを申請している。それなのに、今になってビザを出さないというのでは……[記事へ]
前回からの移動距離
23日夜、コンゴ(旧ザイール)東部の中心都市ゴマに入った杉山正ナイロビ支局長が電話をくれた。ルワンダとの国境もコンゴの反政府武装勢力M23が抑えていて、入国……[記事へ]
前回からの移動距離
どうせ日曜日でコンゴ(旧ザイール)大使館は開いていない。駄目なら戻ればいい。25日午前9時にルワンダのキガリを出発して、とりあえずコンゴ国境を目指すことにし……[記事へ]
前回からの移動距離
普通の記事と違うことをと、考えはした。いい知恵が浮かばない。事情もあって、26日は定点観測をすることにした。動かずにゴマの町や人を見つめようという「ものぐさ……[記事へ]
前回からの移動距離
街なかにいる人たちの中には、ひとまず安定が訪れ、自分の暮らしに戻ることのできた人たちがいる。では、ゴマ郊外にできている国内避難民のキャンプにいる人たちはどう……[記事へ]
前回からの移動距離
27日にサケに行こうと思ったのは前日、ゴマ郊外にある避難した人たちのキャンプ、ムグンガ1を訪ねたからだ。定点観測と称して溶岩の上に腰を下ろしていたとき、オマ……[記事へ]
前回からの移動距離
反政府武装勢力の「M23」に撤退の動きが見られると聞いて、ゴマの町に出てみた。重火器を備えた大型車両が止まっていたガソリンスタンドには、その姿がない。朝、来……[記事へ]
前回からの移動距離
コンゴ(旧ザイール)の反政府武装勢力「M23」のメンバーにインタビューした。現地で知り合ったナイロビ支局の杉山正支局長が、連絡先を教えてくれた。パトリック・……[記事へ]
前回からの移動距離
ケニアに来るときに決めていたソマリア、南スーダン、コンゴ(旧ザイール)への旅を、いささか慌ただしく終えた。もともと小さな話の集合体のようなこのページだけれど……[記事へ]
前回からの移動距離
本当は、このことは書きたくないのです。なら書かなければいいのですが、このシリーズの整合性のためには書くべきなのだと思うわけです。 今回のコンゴ編を通して読……[記事へ]
前回からの移動距離
10年前、10年前と連呼しているのでもう聞き飽きた方も多いでしょうが、その10年前、アフリカの特派員として一番悩んだのが、記事を届けたい人には届かないという……[記事へ]
前回からの移動距離
アフリカの風に吹かれようと思ったとき、予定が全部決まっている出張はやめようと決めた。大げさに言えば、多少の苦労やイライラも風のうちと、吹かれてみようと思った……[記事へ]
前回からの移動距離
ナイロビから5時間半、赤道を北へまたぎ、グリニッジ子午線を西へ越え、コートジボワールの中心都市アビジャンに6日、降り立った。乾期に入っているはずなのに、蒸し……[記事へ]
前回からの移動距離
ララは死んでいた。朝日新聞に載った写真を見た人で、いまも生き続けていると思っていた人は少ないかもしれない。ララはコートジボワールのアビジャンにある国立動物園……[記事へ]
前回からの移動距離
アビジャンの中心部近くを車で走っていた時だ。人だかりがあると思ったら、軍服姿の背後の路上に死体が転がっていた。車で通り過ぎただけなので、確認はできなかったが……[記事へ]
前回からの移動距離
リベリアのビザはとったものの、飛行機が確保できない。フライト2日前になっても、まだ待機者リストのままだ。もともと西隣の国に行くのに、いったん東のトーゴに向か……[記事へ]
前回からの移動距離
10日朝、6時前に起きると、ダナネの町はもやに包まれていた。7時、ホテルを出発し、一路27キロ先にあるリベリア国境を目指す。アビジャンにいたときに、一応、ネ……[記事へ]
前回からの移動距離
アビジャンに戻った11日、朝からリベリア行きの便の確保に回る。この日に予約していた便はどっちみち乗れなかったようで、そう聞くと2日かけてリベリア国境を目指し……[記事へ]
前回からの移動距離
記者として立ち会い、いまここにいることは忘れまいと思う瞬間はいくつもある。順位をつけられるものではないが、たとえば紛争がらみでは次のようなものが浮かぶ。 ……[記事へ]
前回からの移動距離
あらかじめ言っておきますが、13日は移動だけです。 ナイロビをたって1週間、ようやく2カ所目のリベリアに向かう。午前11時の飛行機で、いったんコートジボワ……[記事へ]
前回からの移動距離
モンロビア郊外の街道沿いで、スーツケースに座ってぼーっとしていた。13日に宿泊したホテルは、インターネット接続がうまくいかず、別のホテルに移ることにした。そ……[記事へ]
前回からの移動距離
コートジボワールで紛争後の和解の難しさについて書いた。リベリアでも1989年から2次にわたり2003年まで続いた内戦に関し、「真実と和解委員会」が設置された……[記事へ]
前回からの移動距離
日本の歯車が大きな音を立てて回ろうとしていた16日、日曜日を利用してリベリア中部の町バンガを目指すことにした。モンロビアから車で4時間ほどかかる。 道沿い……[記事へ]
前回からの移動距離
リベリアにとっては「米騒動」が時代の歯車を動かす一つのきっかけだった。かつて日本にとっても、そうだったように。騒動が起きた1979年のリベリアは、一党独裁か……[記事へ]
前回からの移動距離
ケニアを出発して12日、シエラレオネに向かう。フライトが夕方なので、この日の午前にいくつか取材をしようと思っていた。すると、ホテルに国会議員が訪ねてきた。 ……[記事へ]
前回からの移動距離
そう、ドタバタはリベリア・コートジボワール国境でおしまいにしたはずだった。シエラレオネに着いた今、煩わしい手続きは残っていない。ただ、情報省で記者登録をしな……[記事へ]
前回からの移動距離
また記者登録から一日が始まる。朝10時に来いと言われたが、8階にある情報省の事務室は、10時には鍵も開いていない。 担当者は気のいいおじさんで結局、1時間……[記事へ]
前回からの移動距離
シエラレオネ中部の町マケニに来た。ここには11年前に訪れた。内戦中、反政府勢力の革命統一戦線(RUF)の拠点だったところで、政府と和平交渉に転じたRUFの幹……[記事へ]
前回からの移動距離
フリータウンから東に300キロほど離れたボーという町で、3人の男性に会った。3人ともに元戦闘員だった。内戦終結から10年、3人とも定まった職をもたない状態だ……[記事へ]
前回からの移動距離
どこかの呪術師に聞くまでもなく、呪いを受けていると言うだろう。21日、ボーの町で取材している間に車のファンベルトがまた切れて、運転手は修理しに行ってしまった……[記事へ]
前回からの移動距離
フリータウン最後の22日に、戦争の傷から立ち直ることについてもう少し聞いてみたいと思った。実はこの後、さらなるドタバタが待っていたのだけれど、恥ずかしくてど……[記事へ]
前回からの移動距離
ドタバタで始まった西アフリカへの小旅行は、やはりドタバタで終わる。フリータウン最後の日、22日から嫌な予兆はあった。 3日連続で車が故障して、4日目はとい……[記事へ]
前回からの移動距離
コートジボワール、リベリア、シエラレオネの3国を訪れて記事を書きましたが、言葉についておことわりしておきます。 記事にはいちいち書きませんでしたが、今回の……[記事へ]
前回からの移動距離
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。 と書いたが、年賀状のようなもので、実は今まだ日本時間の31日だ。 島国根性の抜けない人間と……[記事へ]
前回からの移動距離
気分も新たに紛争やクーデターからは少し離れて、夢のある話を追うのはどうだろう。12年前にコモロを訪れた時、マンゴーの木をくりぬいた漁師の丸太舟に乗せてもらい……[記事へ]
前回からの移動距離
コモロで1月1日を迎えた。イスラム教の国なので特に祝うことはないとみんな言っていたが、外国人の集まるホテルでは、カウントダウンがあって年が改まってもなかなか……[記事へ]
前回からの移動距離
12年前にクーデターの頻発するコモロを訪ねた時の記事には、3人の名前が登場する。クーデターで職を追われた元首相のジュスーフさん、建設資材会社社長のナドイムさ……[記事へ]
前回からの移動距離
最近、原稿を書いていて間違いが多い。何かに追われるように出かけては、奥歯をかみしめる日々が続く。なぜかみしめているのか、わからない。ゆとりがないので、余計な……[記事へ]
前回からの移動距離
副大統領を務めたナドイムさん(63)が再会の時に言っていた、あることが引っかかっていた。それはコモロ最大のヌジャジジャ島、つまりいまいる島の北部にホテルを誘……[記事へ]
前回からの移動距離
アフリカに来て、10カ国目の訪問地がコモロだった。これまでの9カ国と全く違い、コモロの人々が誇っていいと思うことが少なくとも一つある。 この島に来て、街な……[記事へ]
前回からの移動距離
5日はマダガスカルに移動する。飛行機の出発が午後3時過ぎなので、ホテルを昼ごろ出ることにした。フランス語圏の取材はうまくいかないなあと思いつつ、さて、マダガ……[記事へ]
前回からの移動距離
6日朝4時半に起きて食事をし、迎えのバスに乗って空港に向かう。前日に心配した通り、激しい雨と雷になっている。まあ、考えてもどうにもならない。 空港に着くと……[記事へ]
前回からの移動距離
1日遅れで6日、アンタナナリボに着いて、日曜日だったので何もできなかった。7日、まずは携帯電話のSIMを買って、いくぶんかのドルを現地のお金アリアリに換える……[記事へ]
前回からの移動距離
「アフリカの風に吹かれて」というより、アフリカの「べからず集」になってきた。ちなみにディケンズ原作の「二都物語」は70年以上も前に映画化されてアカデミー作品……[記事へ]
前回からの移動距離
ここのところ長渕剛さんの「とんぼ」が知らないうちに頭の中でぐるぐる回っている。特に好きな曲ではない。なぜかと考えると、ずっと昔に会社の先輩が酔っぱらってよく……[記事へ]
前回からの移動距離
マダガスカルも5日目になったところで、少しこの国の状況について。 クーデターのような形でラバロマナナ大統領が政権を追われたのは2009年だった。代わってラ……[記事へ]
前回からの移動距離
行くならここで、と思っていた。 こういう大仰な書き出しは、大したことのない話につながると思って間違いない。深刻な話が続いたので、アンタナナリボ最後の一日ぐ……[記事へ]
前回からの移動距離
海外の高級品を売る大型のショッピングセンターが新しくできる一方で、街を歩くと殺伐としたものを感じる。それが10年ぶりのアンタナナリボの第一印象だった。10年……[記事へ]
前回からの移動距離
アフリカの東にある二つの島国を訪ねる旅は、これまでの旅とは少し違っていました。行き当たりばったりという点ではこれまでも変わりはなかったのですが、これまでは「……[記事へ]
前回からの移動距離
携帯電話を失うことの大変さが身にしみた。互いに情報を補完しあっていた2個を盗まれたものだから、日本の連絡先も、アフリカの連絡先もきれいさっぱりなくなってしま……[記事へ]
前回からの移動距離
マリへ向かってケニアの首都ナイロビの空港を飛び立った時と、マリの首都バマコに飛行機が着陸した時とでは、世の中が変わっていた。 16日午前10時、日本時間の……[記事へ]
前回からの移動距離
日本とマリの間には時差が9時間ある。ニジェール川の向こうにオレンジの日が昇るとき、冬の日本はもうわずかな日だまりが消えるころだ。 日本で朝刊づくりのたけな……[記事へ]
前回からの移動距離
18日は、もう何年もしていないことから始めた。新聞に普通のニュース記事を書くことだった。 アルジェリアの人質事件について、マリでどのように報道されているか……[記事へ]
前回からの移動距離
バマコから出ようということで、19日は車2台に分かれて北東を目指した。行き先は杉山正ナイロビ支局長が決めている。こちらはついていくだけだ。 バマコを出ると……[記事へ]
前回からの移動距離
20日早朝、バマコを出て北のモプティを目指す。イスラム武装勢力と、マリ政府・フランス軍のせめぎ合いが続いた要衝コンナに通じる都市だ。いったん武装勢力の手に落……[記事へ]
前回からの移動距離
21日は午前6時ごろに目覚めた。前夜、原稿を書きながら寝てしまった。 ジェンネのホテルは吹き抜けの中庭を囲む2階建てで、食事はその中庭でとった。真っ青な空……[記事へ]
前回からの移動距離
ニョノの町外れの民家で一夜を明かした。5部屋を7人で分けることになった。申し訳ないことに1人の部屋に入った。申し訳ないので、午前2時半ごろまで原稿を書いた。……[記事へ]
前回からの移動距離
マリ中部の町サンのホテルを午前8時に出て、23日はもう一度、モプティ方面へ向かう。前に書いたが、モプティはその北にあるコンナへの入り口にある。武装勢力に制圧……[記事へ]
前回からの移動距離
路上の旅も5日目になると、見るものすべてが珍しく心動かされる時はもう過ぎている。今回は同じ道を行ったり来たりしたのでなおのこと。きょう24日は首都バマコに戻……[記事へ]
前回からの移動距離
バマコに戻り、杉山正・ナイロビ支局長や中野智明さんとは別れて行動することにした。これまで前線を目指すアフリカ特派員の取材ぶりをそのまま書いてきたけれど、少し……[記事へ]
前回からの移動距離
前日に引き続き、マリの宗教指導者に会う。その前に、前日の指導者たちとの会話でやり玉に挙がったマドラサ(学校)の運営者に話を聞こうと思った。会うことはできたの……[記事へ]
前回からの移動距離
27日は取材の予定を入れようとしたけれど、日曜日で難しかった。この日の夜にバマコを出発する便でナイロビに戻ることにしたので、それまでの時間がすっぽりあいた。……[記事へ]
前回からの移動距離
今回のマリ行きは、内戦が激化してフランス軍が介入するという機をとらえて現地に入った杉山正・ナイロビ支局長に同行する形になりました。アフリカに来たときから「い……[記事へ]
前回からの移動距離
これまで散々、ベテラン記者にあるまじき醜態をさらしてきた。話題作りのためにへまを繰り返しているわけではない。もはや説得力など皆無だろうが、これまでドジな記者……[記事へ]
前回からの移動距離
1月31日は午後にヨハネスブルクに着いてホテルに荷物を下ろし、ジンバブエ総領事館に出かけることにした。ナイロビにある総領事館は何度電話してもだれも出なかった……[記事へ]
前回からの移動距離
からっと晴れた土曜日の2日、近くで国際的なスポーツの試合があるというので、でかけた。クリケットの国際テスト試合で、地元南アフリカがパキスタンを迎え撃っていた……[記事へ]
前回からの移動距離
日曜日にできることを思いつかなかったので、3日は少しゆっくりすることにした。4日には次の訪問地のボツワナに移動する。ただゆっくりしても何もならないので、少し……[記事へ]
前回からの移動距離
4日はボツワナのハボローネに移動する。そそくさと南アフリカを後にするには、いくつか理由がある。南アフリカは、いろんな意味でアフリカを引っ張っていく国で、アフ……[記事へ]
前回からの移動距離
不明を恥じなければならない。前日に市の中心部に行って、あまり変わっていないと思ったが、改めて周辺部を車で回ってみると、新しいモールやショッピングセンターがい……[記事へ]
前回からの移動距離
毎日、話がショッピングセンターから始まっている。きょうはゲームシティーという大きなモールから。ボツワナのモールに来て、ケニアとはどこかが違うと感じた。ケニア……[記事へ]
前回からの移動距離
ツォディロ、神々の山に行こうと思ったのには、いくつか理由がある。ここがユネスコの世界文化遺産に登録された2001年、ナイロビ支局に勤務していた。しかし、その……[記事へ]
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ツォディロ周辺にはサン、ハンブクシュの人たちが住んできた。特にサンの人たちは、神の山とあがめてきた。 丘と呼ぶ方がふさわしいかもしれない四つの山からなる。……[記事へ]
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朝、けたたましい声で正気に戻る。寝たのか寝てないのかあまりわからない夜が白んでいた。ヴァルチャライと呼ぶ鳥の声らしい。クイナのようでオレンジ色のクチバシをし……[記事へ]
前回からの移動距離
ハボローネに戻り、9日はある人と待ち合わせをした。会ったことはなく、ツイッターをフォローしあう関係だ。ボツワナ行きを決めたときに連絡した。ツイッターが縁で人……[記事へ]
前回からの移動距離
南アフリカで開かれていたサッカーのアフリカ選手権(アフリカ杯)が10日に終幕を迎えた。試合会場に足も運んでいないし、小学校の時にサッカー少年だったというだけ……[記事へ]
前回からの移動距離
ヨハネスブルクのジンバブエ総領事から、携帯電話にテキストメッセージが届いたのは11日午後2時ごろだった。ローズバンクという、大型モールにあるホテルの部屋でポ……[記事へ]
前回からの移動距離
13日朝、6時半に起きて地元のテレビをつけると、学生の一斉テストの話をずっとしている。その結果が思わしくなかったと言っている。 ジンバブエはアフリカでも最……[記事へ]
前回からの移動距離
教育のことをもう少し追っかけたかったけれど、取材の約束を取り付けることができなかったので、14日は目先を変えて「新しい農家」に話を聞いてみようと考えた。 ……[記事へ]
前回からの移動距離
先日のジンバブエの教育の話をもう少し。2012年のO(オー)レベルの試験の合格率が前年を下回り、18・4%にとどまったことについて、メディアは「犯人捜し」に……[記事へ]
前回からの移動距離
世界遺産歩きを始めたわけではない。ただ、グレート・ジンバブエについては国の名前にもなったことに加え、その考古学的な検証をめぐっては人間の業の深さを浮き彫りに……[記事へ]
前回からの移動距離
17日は日曜日なので、街を散策しようと考えた。 ローマ法王ベネディクト16世の退位表明から1週間になろうとしていたが、驚きは次第に引いて退位の日が近づく。……[記事へ]
前回からの移動距離
今回のシリーズを「アフリカ南部」としたのは当初、どの国に行くことができるのかわからなかったからです。ジンバブエの入国許可を待ちながら南アフリカで過ごし、ボツ……[記事へ]
前回からの移動距離
中央アフリカにはこれまで来たことがない。2000年から02年のナイロビ支局時代、記事を書いた記憶もほとんどない。調べてみると、クーデター騒ぎや象牙の密猟など……[記事へ]
前回からの移動距離
24日の日曜日、ある取材依頼の結果を待つ間、朝のウバンギ川に行ってみることにした。中央アフリカはウバンギ川とシャリ川の間に国土が広がるので、フランスの植民地……[記事へ]
前回からの移動距離
急な取材が入る可能性もあるので、25日の昼はバンギにいなければならない。そこで、その日の午前中を利用して45キロほど離れたところにある、政府と反政府勢力が定……[記事へ]
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一国の大統領にインタビューをして言い訳するのも変だけど、このコラムは本来、そういう趣旨でやっているわけではない。ただ、通訳をしてくれているウィリアム・バンサ……[記事へ]
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27日は奇妙な朝を迎えた。知らないおばさんに突然、声をかけられた。テレビとか大統領とか言っている。何だろう。そのわけはしばらく後にわかった。 前日の大統領……[記事へ]
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残り日数が2日になって、追いたいテーマも二つ。反政府勢力の支配地の様子を見に行くことと、中部アフリカ一帯で横行する密猟の話を少し聞くこと。どちらも1日では終……[記事へ]
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中央アフリカでは、ほとんど外を歩きませんでした。一つにはとても暑くてすぐに汗みずくになってしまうこと、最初の日に荷物を狙われるような出来事があったこと、それ……[記事へ]
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ケニアの大統領選の投票が3月4日から5日にあり、きょう9日、やっと正式な選挙結果が出ました。 この4日あまりは、不思議な日々でした。道路はすいて、店もすい……[記事へ]
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アフリカをうろうろして5カ月ぶりに戻ってきた3月11日、東京はなんと緑の少ないところだろうと思った。でも、いつもより早い桜が散ってツツジもはや花じまいを迎え……[記事へ]
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このコラムを再開するにあたり、ちょっと原点に立ち返ってみたい。ここで目指すもの、というほどの大げさではないけれど、それは普通の新聞記事とは全く違う何かだった……[記事へ]
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13年前、ロンドン経由でナイロビ支局に着任した。当時はそれが一般的だったと思う。昨年と今回はドバイ経由だった。これも今では一般的だろう。この十数年の間に、ド……[記事へ]
前回からの移動距離
「アフリカの風に吹かれて」は、11年前の4月に殺されたナイロビ支局の助手、デグワさんの墓参りから始めた。もうアフリカに戻ることはないと思っていた身にとって、……[記事へ]
前回からの移動距離
昨年10月からアフリカ各国を旅するコラムを続けている。3月にいったん日本に帰国するためケニアの首都ナイロビを去る直前、町は大統領選の結果待ちの緊迫の中にあっ……[記事へ]
前回からの移動距離
たまたま診療所まで運ぶことになって、近くまでしか連れて行けなかった女性が気になった。元米海兵隊員のボランティアと言っていたサニーのこともなぜか引っかかったの……[記事へ]
前回からの移動距離
ウガンダとケニアといえば一衣帯水の間柄、アフリカ最大の淡水湖が間に横たわる。このコラムを再開して、ケニアからまずウガンダに向かうことにした。 ナイロビから……[記事へ]
前回からの移動距離
ビクトリア湖へ。このアフリカ最大の湖が初めて強く印象に残ったのは、中島らもさんの小説「ガダラの豚」を一気読みした時だった。もう新聞記者をしていたが、その湖に……[記事へ]
前回からの移動距離
ブガラの島に来たのは、島の姿がここ10年の間に大きく変わったからだ。前日、島にフェリーが近づいた時にぼんやり眺めていて水際の低地はジャングルなのに、湖面から……[記事へ]
前回からの移動距離
昨夜、というのは22日のことだが、ウガンダ西部のムバララのホテルでシャワーを浴びようとしたら、コーヒー色の水が出てきた。透明な水を期待しているわけではないけ……[記事へ]
前回からの移動距離
2000年3月、ナイロビ支局に着任する直前に事件は起きた。コンゴ(旧ザイール)との国境近くのウガンダの村で教会が炎上、中にいた「神の十戒復古運動」という団体……[記事へ]
前回からの移動距離
カバレからカヌングまでは3時間かかった。最初の30分だけ舗装されて、2時間半はでこぼこ道だった。この日、5月24日は先が長かったので早々にカヌング村を去った……[記事へ]
前回からの移動距離
ウガンダに入って連日、長い移動をしてきた。毎日移動していると洗濯をしたり洗濯に服を出したりする時間がないので、25日はそのための日にしてウガンダ西端の町カセ……[記事へ]
前回からの移動距離
5月26日は、車で10時間は覚悟しなければならなかったので、ひたすら走る。9割がでこぼこ道で、国立公園の動物に癒やされるわけでもない。でも、出発早々に西側に……[記事へ]
前回からの移動距離
グルはウガンダ北部、南スーダンへ向かう幹線道路にある。2000年、この町をきわめて致死率の高い感染症のエボラ出血熱が襲い、170人以上が死亡した。うち、13……[記事へ]
前回からの移動距離
ウガンダの旅は、南西端にあるカルト事件の現場だったカヌングと、北端に近いエボラ出血熱に襲われた町グルを入れたため、行程に少し無理が生じた。行きたかった場所が……[記事へ]
前回からの移動距離
毎度の旅の終わりに、そこに行こうとする人たちに参考になるような情報を入れられないだろうか。そんな提案が編集の担当者からあった。旅行会社の人間ではないし、ツボ……[記事へ]
前回からの移動距離
ナイロビのアパートを出て14時間で、西アフリカの入り口、ナイジェリアの首都アブジャの道路を走っていた。今までに見たアフリカのどの都市とも違う街が、闇の中に垣……[記事へ]
前回からの移動距離
アフリカで日本より人口の多い国はナイジェリアだけ。北東部3州に非常事態宣言が出て、軍事作戦が続いている。イスラム武装勢力のボコ・ハラムが3年ほど前から勢力を……[記事へ]
前回からの移動距離
アブジャで泊まったホテルは市場と工場、それに未整備の区画が近くにあり、市の中心部からは外れていた。隣がキリスト教の教会だと気づいたのは2日、日曜日だった。早……[記事へ]
前回からの移動距離
ナイジェリア北部の中心都市カノの道には多くのバイクが走る。シエラレオネなどと同様にオカダとも呼ぶが、現地の言葉ではアチャバという。言われて気がついたのだが、……[記事へ]
前回からの移動距離
アフリカ通ならば、ノリウッドを知っている。ナイジェリアは映画大国で、インドのボリウッドよろしく、その映画をノリウッドと称している。 でも、カニウッドを知っ……[記事へ]
前回からの移動距離
必死に思い出しているのだけれど、昨年10月来アフリカの旅を続けて冷房のきく車に乗っているのはソマリアのAU(アフリカ連合)軍と、マリに続いて3度目のような気……[記事へ]
前回からの移動距離
アブジャに別れを告げ、6日は一気に南部の都市ウォリに向かう。車で行くのは面倒だ。今までの運転手アバチャは北部の出身で、南部に行きたがらない。道を知らないこと……[記事へ]
前回からの移動距離
ナイジェリア南部デルタ州の石油都市としてウォリは開けた。この国の豊かなエネルギー資源は地元を潤していないと言われる。ウォリの街並みは、その通りに見える。 ……[記事へ]
前回からの移動距離
中野智明さんがキャッサバ干しの写真を撮り、こちらは女性たちに話を聞く。そこに若い男たちがきて、案内してくれた地元のフライデーに、許可は得ているのかと詰め寄っ……[記事へ]
前回からの移動距離
ナイジェリア南部の石油都市ウォリから、南東部のウムアヒアに8日、向かった。1968年、この都市は生まれて間もない国の首都になった。1年あまり後に消えゆく国。……[記事へ]
前回からの移動距離
3年足らずで滅んだビアフラの遺構をめぐり、国とは何なのかを思う。 植民地政策によって、一つの版図に囲われた200を超える部族。その中で対立し、追い込まれ、……[記事へ]
前回からの移動距離
南部の油田地帯を走っていると、軍や警察の検問が多くあると書いた。検問で止まり、外国人が車に乗っているのを見ると、兵士が「大丈夫か、問題は何もないか」と尋ねて……[記事へ]
前回からの移動距離
ハリウッドと同様に、ノリウッドという場所がナイジェリアにあると思う人がいるかもしれない。そんな場所はない。ノリウッドはナイジェリアのNをとってハリウッドと張……[記事へ]
前回からの移動距離
昨日は、いささか唐突にノリウッドの話を始めてしまった。首都アブジャから北へ、南へ、南東部へと足を向け、最後にラゴスにやってきた。北部ではカニウッドという耳慣……[記事へ]
前回からの移動距離
13日は日程をあけておいた。ノリウッド映画の撮影風景を取材したいと考えていた。その予定が入るかもしれなかったからだ。でも、撮影は主に野外なので雨の多いいま、……[記事へ]
前回からの移動距離
ナイジェリアの音楽シーンで注目のアーティストを紹介してほしいと、現地の通信社の芸能担当記者にお願いして、そのつてでKONGAに会うことになった。コンガという……[記事へ]
前回からの移動距離
次代を目指す若手アーティストにも会ってみたかった。ラゴスにある国立劇場の敷地に若手アーティストが芸を磨くアーティスト村があるというので、行ってみた。 ラゴ……[記事へ]
前回からの移動距離
ラゴスを離れる飛行機は、大都市の中心の空を上昇した。左側の窓から、海の上を走る高速道路が緩やかにカーブしてラゴス島を通り過ぎ、私たちが泊まったビクトリア島を……[記事へ]
前回からの移動距離
ナイジェリア編でアブジャについて「今まで見たことのない都市」などと書いたけれど、考えてみれば初めて訪れる都市はたいがいそうしたものだろう。「どこにもあるよう……[記事へ]
前回からの移動距離
エリトリアについて語るとき、この国には不名誉なことにも触れなければならない。世界でもっとも報道の自由のない国と言われていることだ。米国に本部を置くジャーナリ……[記事へ]
前回からの移動距離
ナイジェリア、エリトリアと中野智明さんとともに回っている。写真をさぼっているのだろう、と思われても仕方がない。 言い訳をすれば「アフリカの風に吹かれて」は……[記事へ]
前回からの移動距離
昼間はあまりに暑く、涼みがてらマッサワにある北紅海地域博物館に寄った。ジュゴンなど近海の生物、考古学、そして独立闘争の展示があった。 1枚の写真に目がとま……[記事へ]
前回からの移動距離
マッサワのホテルのレストランから、港のある島の古い地区が海を隔てて見える。けだるい空気の中で、古い町は目覚める。 時代の移り変わりをそのままとどめた建物群……[記事へ]
前回からの移動距離
23日は長時間の移動になった。朝6時のひんやりとした空気の中、北西へ。 アスマラを出てどの方向へ行っても、しばらくするとくねくねした山道になる。東のマッサ……[記事へ]
前回からの移動距離
アフリカ特派員をしていた2000年から02年にかけて、色んな場所に出かけては、誰かに語りかけるようにしていたのを思い出す。直面する出来事や光景が初めて尽くし……[記事へ]
前回からの移動距離
「未知との遭遇」のような山にたどり着いたら、まず塹壕(ざんごう)があった場所に行ってみよう。小さく見えた町の眺めを確かめ、それからセナフェに入ろう。そう思っ……[記事へ]
前回からの移動距離
エリトリアのぽっぽ屋の話をしたい。このシリーズに何度か首都アスマラと港マッサワを結ぶ鉄道のことは書いた。標高2400メートル近くから海辺の都市へ、くねりなが……[記事へ]
前回からの移動距離
涼しいアスマラから2時間半も車で走れば、真夏のマッサワにたどり着く。二つの季節を簡単に味わえる。小さな国の中に雄大な風景がちりばめられている。 ここでは、……[記事へ]
前回からの移動距離
エリトリアからナイロビに戻るはずだったが、ネルソン・マンデラ南アフリカ元大統領が危篤になったという報道が飛び込んできた。急な風に吹かれて南アフリカへやってき……[記事へ]
前回からの移動距離
いったん、病院の前を離れてみよう。昨年来、南アフリカを訪れるのは3度目になる。前にも書いたが、ここに来るとアフリカにいるという実感が薄らぐ。国際空港とヨハネ……[記事へ]
前回からの移動距離
再びマンデラさんが入院しているプレトリアの病院の前に戻る。空は晴れて、冬に入ろうとしているにしては暖かい。微風が街路樹の葉を散らしている。 差別と抑圧に根……[記事へ]
前回からの移動距離
随分と場違いなところに来てしまった。ここはザンジバル、その響きを聞くだけで全身の力が抜けてゆく。そんな東アフリカ有数のリゾートに居心地の悪さを感じるのは、生……[記事へ]
前回からの移動距離
ザンジバルのストーンタウンは、ユネスコの世界遺産に指定されている。世界遺産に宿泊するのは、マリの不思議な土の町ジェンネについで2度目になる。 インド洋を隔……[記事へ]
前回からの移動距離
これではできの悪い観光案内だ。少し観光から離れてみよう。 安心して歩けるリゾートの島と書いた。でも、ケニアの沿岸部などアフリカの他の地域と同様に、この島に……[記事へ]
前回からの移動距離
積もり積もってとば口を求める自立への希求を、この島を歩く鋭敏な旅人は感じとれるのだろうか。ストーンタウンで追いかけてくる、人々のあいさつの笑顔の中に。 「……[記事へ]
前回からの移動距離
間違いは、1964年の連合の作り方にあった。それがザンジバルの共通認識だと、島の出身でダルエスサラーム大で歴史学を教えた元教授のアブドゥル・シェリフさん(7……[記事へ]
前回からの移動距離
書きたくないが、書いておく。ツイッターに先走ってしまったし。 19日はタンザニアの中心都市ダルエスサラームから南部のイリンガに向かう。500キロ、車で10……[記事へ]
前回からの移動距離
前回のように書くと結局悪口になって、書かれる側は言うまでもなく、書く方も読む方もいい気がしない。本当は避けたい。でも「This is Tanzania」にス……[記事へ]
前回からの移動距離
「This is Africa」に余計な行数をとられ、いや、とってしまった。今回の道行きの目的の一つはキハンシというところを訪ねることだった。ここには、数奇……[記事へ]
前回からの移動距離
カエルの里の入り口に、立ち入り禁止の看板を見つけた。そこへ黄色いTシャツを着た若い男性が歩いてきた。どこに行ったら入る許可が得られるか尋ねると車で一緒に来て……[記事へ]
前回からの移動距離
カエルの谷を離れ、一路ドドマに向かう。言わずと知れた、ではなく、言っても知られていないタンザニアの首都だ。 道すがら、タンザニアの資源について考えた。この……[記事へ]
前回からの移動距離
ドドマはタンザニアのほぼ中央に位置する。標高1000メートルほどに、丘と呼んだ方が似合う岩山に囲まれてある。中心都市と首都が違う国は南アフリカ、ナイジェリア……[記事へ]
前回からの移動距離
水着もサンダルも持たずに、海の美しいリゾート地を訪れるべきではない。まあ、こんなことは書かなくても誰だってわかる。 ザンジバルの東海岸で長年、宿を経営して……[記事へ]
前回からの移動距離
マラウイとザンビアは、タンザニアから一気に行こうと思ったけれど、どちらに行くにもナイロビ経由になることがわかって、いったんナイロビに戻った。改めてマラウイに……[記事へ]
前回からの移動距離
南部アフリカは干ばつにたびたび襲われる。2002年、2年続きの食糧危機に陥ったマラウイを取材で訪れた。世界食糧計画(WFP)の緊急食糧配給を受けにきた男性は……[記事へ]
前回からの移動距離
日差しを少し強く感じる丘を風が渡っている。高原を鳴らすというほどさわやかではなく、音を立てるでもなく、でも肌に強く当たってくる。 案内してくれたシュクンテ……[記事へ]
前回からの移動距離
久しぶりに風にこだわったせいで、初回の導入部であれこれ書いたマラウイ湖に行き着くのに時間がかかった。南北に560キロを超える長さがある。どうせなら、南端にあ……[記事へ]
前回からの移動距離
最初に注意しておきますが、食べ物に繊細な人は、写真を含めてこの回をパスした方がいいかもしれません。 首都リロングウェから7月31日、南部の商都ブランタイヤ……[記事へ]
前回からの移動距離
これまで、乗り物について何度も書いた。車の間を縫って走る南スーダンのバイクタクシー「ボダボダ」は、見るのも乗るのも怖かった。シエラレオネのオカダには3人の真……[記事へ]
前回からの移動距離
マラウイ南部の商都ブランタイヤに霧雨が降る。上着を着ても寒い。丘の数々に街が散らばっている。金融機関に、ホテルに、ショッピングモールに、南アフリカの影響を濃……[記事へ]
前回からの移動距離
マラウイの治安は昔に比べれば悪くなったらしいが、昼間の街中は問題なさそうなので、ブランタイヤを散策をしようと思っていた。でも、雨で果たせなかった。 前回、……[記事へ]
前回からの移動距離
リロングウェから南へ60キロほど車で走ると、道の左に小さな看板がある。「チョンゴニの岩絵 世界遺産サイト」とある。 ここの岩絵は複数の民族が描いた。初期の……[記事へ]
前回からの移動距離
マラウイに来た時から気になっていたことがある。国旗のことだ。なぜ気になったかというと、ナイジェリアで取材したビアフラの国旗にとても似ていたからだ。3年足らず……[記事へ]
前回からの移動距離
ザンビアに来ていきなり閑話休題で申し訳ない。もっとも、全編が閑話休題のようなものだけれど。 アフリカの国々をめぐって8カ月になろうとしている。ザンビアが2……[記事へ]
前回からの移動距離
ザンビアの首都ルサカには、12年前に1度来たことがある。このときは、珍しく日本大使館を訪ねた。ザンビアの日本大使が元朝日新聞記者だったためだ。でも、ザンビア……[記事へ]
前回からの移動距離
ザンビアといえば、銅。これは昔から変わらない。日本の10円玉にもかつては使われていた。だが、ザンビアはずっと貧しく、随分前から、過度な銅依存からの脱却が言わ……[記事へ]
前回からの移動距離
「意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい」「人間万事塞翁(さいおう)が馬」「ケセラセラ」 マラウイ、ザンビアを巡る今回は、いつものドタバタ……[記事へ]
前回からの移動距離
ふるさと、故国と信じたところを、石もて追われるとは。それでもなお、アフリカにとどまるとは。 ジンバブエから逃れて今はザンビアを故国と呼ぶジェームズ・チャン……[記事へ]
前回からの移動距離
ジンバブエからザンビアへ移り住んだジェームズ・チャンスさん方には小一時間いただけ。何とも慌ただしい。9日のうちにルサカに戻りたかったのは翌日、北のンドラを目……[記事へ]
前回からの移動距離
アフリカに来て、行く先々で「チャイナ」「チノ」と呼ばれることは、さんざんみんなが書いている。そう呼ばれることには、何も感じない。こちらだって、ケニア人とタン……[記事へ]
前回からの移動距離
ンドラに入ったものの、ちょうど週末になって取材の予定が全くたたない。仕方がないので10日は、とにかく車でチャンビシ方面を走ってみようと考えた。 ホテルにタ……[記事へ]
前回からの移動距離
毎日動いて、その日のうちに原稿を書いて、という暮らしを続けていると、だんだんものの見方が平板になって、ささいなことでイライラし始める。そうなると、寅さん流に……[記事へ]
前回からの移動距離
南アフリカの歌手ZAHARAのことをザンビア編に書いたら、「ナイロビのスラムのミュージシャンを取材しませんか」とツイッターで誘いを受けた。ツイートをくれたの……[記事へ]
前回からの移動距離
エチオピアの首都アディスアベバからひと山越えると、緑の高原だった。タンザニア、マラウイ、ザンビアと冬枯れのような風景ばかり見てきたので、心にまでしみてくるよ……[記事へ]
前回からの移動距離
エチオピアの首都アディスアベバからひと山越えると、緑の高原だった。タンザニア、マラウイ、ザンビアと冬枯れのような風景ばかり見てきたので、心にまでしみてくるよ……
南アフリカの歌手ZAHARAのことをザンビア編に書いたら、「ナイロビのスラムのミュージシャンを取材しませんか」とツイッターで誘いを受けた。ツイートをくれたの……
毎日動いて、その日のうちに原稿を書いて、という暮らしを続けていると、だんだんものの見方が平板になって、ささいなことでイライラし始める。そうなると、寅さん流に……
ンドラに入ったものの、ちょうど週末になって取材の予定が全くたたない。仕方がないので10日は、とにかく車でチャンビシ方面を走ってみようと考えた。 ホテルにタ……
アフリカに来て、行く先々で「チャイナ」「チノ」と呼ばれることは、さんざんみんなが書いている。そう呼ばれることには、何も感じない。こちらだって、ケニア人とタン……
ジンバブエからザンビアへ移り住んだジェームズ・チャンスさん方には小一時間いただけ。何とも慌ただしい。9日のうちにルサカに戻りたかったのは翌日、北のンドラを目……
ふるさと、故国と信じたところを、石もて追われるとは。それでもなお、アフリカにとどまるとは。 ジンバブエから逃れて今はザンビアを故国と呼ぶジェームズ・チャン……
「意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい」「人間万事塞翁(さいおう)が馬」「ケセラセラ」 マラウイ、ザンビアを巡る今回は、いつものドタバタ……
ザンビアといえば、銅。これは昔から変わらない。日本の10円玉にもかつては使われていた。だが、ザンビアはずっと貧しく、随分前から、過度な銅依存からの脱却が言わ……
ザンビアの首都ルサカには、12年前に1度来たことがある。このときは、珍しく日本大使館を訪ねた。ザンビアの日本大使が元朝日新聞記者だったためだ。でも、ザンビア……
ザンビアに来ていきなり閑話休題で申し訳ない。もっとも、全編が閑話休題のようなものだけれど。 アフリカの国々をめぐって8カ月になろうとしている。ザンビアが2……
マラウイに来た時から気になっていたことがある。国旗のことだ。なぜ気になったかというと、ナイジェリアで取材したビアフラの国旗にとても似ていたからだ。3年足らず……
リロングウェから南へ60キロほど車で走ると、道の左に小さな看板がある。「チョンゴニの岩絵 世界遺産サイト」とある。 ここの岩絵は複数の民族が描いた。初期の……
マラウイの治安は昔に比べれば悪くなったらしいが、昼間の街中は問題なさそうなので、ブランタイヤを散策をしようと思っていた。でも、雨で果たせなかった。 前回、……
マラウイ南部の商都ブランタイヤに霧雨が降る。上着を着ても寒い。丘の数々に街が散らばっている。金融機関に、ホテルに、ショッピングモールに、南アフリカの影響を濃……
これまで、乗り物について何度も書いた。車の間を縫って走る南スーダンのバイクタクシー「ボダボダ」は、見るのも乗るのも怖かった。シエラレオネのオカダには3人の真……
最初に注意しておきますが、食べ物に繊細な人は、写真を含めてこの回をパスした方がいいかもしれません。 首都リロングウェから7月31日、南部の商都ブランタイヤ……
久しぶりに風にこだわったせいで、初回の導入部であれこれ書いたマラウイ湖に行き着くのに時間がかかった。南北に560キロを超える長さがある。どうせなら、南端にあ……
日差しを少し強く感じる丘を風が渡っている。高原を鳴らすというほどさわやかではなく、音を立てるでもなく、でも肌に強く当たってくる。 案内してくれたシュクンテ……
南部アフリカは干ばつにたびたび襲われる。2002年、2年続きの食糧危機に陥ったマラウイを取材で訪れた。世界食糧計画(WFP)の緊急食糧配給を受けにきた男性は……
マラウイとザンビアは、タンザニアから一気に行こうと思ったけれど、どちらに行くにもナイロビ経由になることがわかって、いったんナイロビに戻った。改めてマラウイに……
水着もサンダルも持たずに、海の美しいリゾート地を訪れるべきではない。まあ、こんなことは書かなくても誰だってわかる。 ザンジバルの東海岸で長年、宿を経営して……
ドドマはタンザニアのほぼ中央に位置する。標高1000メートルほどに、丘と呼んだ方が似合う岩山に囲まれてある。中心都市と首都が違う国は南アフリカ、ナイジェリア……
カエルの谷を離れ、一路ドドマに向かう。言わずと知れた、ではなく、言っても知られていないタンザニアの首都だ。 道すがら、タンザニアの資源について考えた。この……
カエルの里の入り口に、立ち入り禁止の看板を見つけた。そこへ黄色いTシャツを着た若い男性が歩いてきた。どこに行ったら入る許可が得られるか尋ねると車で一緒に来て……
「This is Africa」に余計な行数をとられ、いや、とってしまった。今回の道行きの目的の一つはキハンシというところを訪ねることだった。ここには、数奇……
前回のように書くと結局悪口になって、書かれる側は言うまでもなく、書く方も読む方もいい気がしない。本当は避けたい。でも「This is Tanzania」にス……
書きたくないが、書いておく。ツイッターに先走ってしまったし。 19日はタンザニアの中心都市ダルエスサラームから南部のイリンガに向かう。500キロ、車で10……
間違いは、1964年の連合の作り方にあった。それがザンジバルの共通認識だと、島の出身でダルエスサラーム大で歴史学を教えた元教授のアブドゥル・シェリフさん(7……
積もり積もってとば口を求める自立への希求を、この島を歩く鋭敏な旅人は感じとれるのだろうか。ストーンタウンで追いかけてくる、人々のあいさつの笑顔の中に。 「……
これではできの悪い観光案内だ。少し観光から離れてみよう。 安心して歩けるリゾートの島と書いた。でも、ケニアの沿岸部などアフリカの他の地域と同様に、この島に……
ザンジバルのストーンタウンは、ユネスコの世界遺産に指定されている。世界遺産に宿泊するのは、マリの不思議な土の町ジェンネについで2度目になる。 インド洋を隔……
随分と場違いなところに来てしまった。ここはザンジバル、その響きを聞くだけで全身の力が抜けてゆく。そんな東アフリカ有数のリゾートに居心地の悪さを感じるのは、生……
再びマンデラさんが入院しているプレトリアの病院の前に戻る。空は晴れて、冬に入ろうとしているにしては暖かい。微風が街路樹の葉を散らしている。 差別と抑圧に根……
いったん、病院の前を離れてみよう。昨年来、南アフリカを訪れるのは3度目になる。前にも書いたが、ここに来るとアフリカにいるという実感が薄らぐ。国際空港とヨハネ……
エリトリアからナイロビに戻るはずだったが、ネルソン・マンデラ南アフリカ元大統領が危篤になったという報道が飛び込んできた。急な風に吹かれて南アフリカへやってき……
涼しいアスマラから2時間半も車で走れば、真夏のマッサワにたどり着く。二つの季節を簡単に味わえる。小さな国の中に雄大な風景がちりばめられている。 ここでは、……
エリトリアのぽっぽ屋の話をしたい。このシリーズに何度か首都アスマラと港マッサワを結ぶ鉄道のことは書いた。標高2400メートル近くから海辺の都市へ、くねりなが……
「未知との遭遇」のような山にたどり着いたら、まず塹壕(ざんごう)があった場所に行ってみよう。小さく見えた町の眺めを確かめ、それからセナフェに入ろう。そう思っ……
アフリカ特派員をしていた2000年から02年にかけて、色んな場所に出かけては、誰かに語りかけるようにしていたのを思い出す。直面する出来事や光景が初めて尽くし……
23日は長時間の移動になった。朝6時のひんやりとした空気の中、北西へ。 アスマラを出てどの方向へ行っても、しばらくするとくねくねした山道になる。東のマッサ……
マッサワのホテルのレストランから、港のある島の古い地区が海を隔てて見える。けだるい空気の中で、古い町は目覚める。 時代の移り変わりをそのままとどめた建物群……
昼間はあまりに暑く、涼みがてらマッサワにある北紅海地域博物館に寄った。ジュゴンなど近海の生物、考古学、そして独立闘争の展示があった。 1枚の写真に目がとま……
ナイジェリア、エリトリアと中野智明さんとともに回っている。写真をさぼっているのだろう、と思われても仕方がない。 言い訳をすれば「アフリカの風に吹かれて」は……
エリトリアについて語るとき、この国には不名誉なことにも触れなければならない。世界でもっとも報道の自由のない国と言われていることだ。米国に本部を置くジャーナリ……
ナイジェリア編でアブジャについて「今まで見たことのない都市」などと書いたけれど、考えてみれば初めて訪れる都市はたいがいそうしたものだろう。「どこにもあるよう……
ラゴスを離れる飛行機は、大都市の中心の空を上昇した。左側の窓から、海の上を走る高速道路が緩やかにカーブしてラゴス島を通り過ぎ、私たちが泊まったビクトリア島を……
次代を目指す若手アーティストにも会ってみたかった。ラゴスにある国立劇場の敷地に若手アーティストが芸を磨くアーティスト村があるというので、行ってみた。 ラゴ……
ナイジェリアの音楽シーンで注目のアーティストを紹介してほしいと、現地の通信社の芸能担当記者にお願いして、そのつてでKONGAに会うことになった。コンガという……
13日は日程をあけておいた。ノリウッド映画の撮影風景を取材したいと考えていた。その予定が入るかもしれなかったからだ。でも、撮影は主に野外なので雨の多いいま、……
昨日は、いささか唐突にノリウッドの話を始めてしまった。首都アブジャから北へ、南へ、南東部へと足を向け、最後にラゴスにやってきた。北部ではカニウッドという耳慣……
ハリウッドと同様に、ノリウッドという場所がナイジェリアにあると思う人がいるかもしれない。そんな場所はない。ノリウッドはナイジェリアのNをとってハリウッドと張……
南部の油田地帯を走っていると、軍や警察の検問が多くあると書いた。検問で止まり、外国人が車に乗っているのを見ると、兵士が「大丈夫か、問題は何もないか」と尋ねて……
3年足らずで滅んだビアフラの遺構をめぐり、国とは何なのかを思う。 植民地政策によって、一つの版図に囲われた200を超える部族。その中で対立し、追い込まれ、……
ナイジェリア南部の石油都市ウォリから、南東部のウムアヒアに8日、向かった。1968年、この都市は生まれて間もない国の首都になった。1年あまり後に消えゆく国。……
中野智明さんがキャッサバ干しの写真を撮り、こちらは女性たちに話を聞く。そこに若い男たちがきて、案内してくれた地元のフライデーに、許可は得ているのかと詰め寄っ……
ナイジェリア南部デルタ州の石油都市としてウォリは開けた。この国の豊かなエネルギー資源は地元を潤していないと言われる。ウォリの街並みは、その通りに見える。 ……
アブジャに別れを告げ、6日は一気に南部の都市ウォリに向かう。車で行くのは面倒だ。今までの運転手アバチャは北部の出身で、南部に行きたがらない。道を知らないこと……
必死に思い出しているのだけれど、昨年10月来アフリカの旅を続けて冷房のきく車に乗っているのはソマリアのAU(アフリカ連合)軍と、マリに続いて3度目のような気……
アフリカ通ならば、ノリウッドを知っている。ナイジェリアは映画大国で、インドのボリウッドよろしく、その映画をノリウッドと称している。 でも、カニウッドを知っ……
ナイジェリア北部の中心都市カノの道には多くのバイクが走る。シエラレオネなどと同様にオカダとも呼ぶが、現地の言葉ではアチャバという。言われて気がついたのだが、……
アブジャで泊まったホテルは市場と工場、それに未整備の区画が近くにあり、市の中心部からは外れていた。隣がキリスト教の教会だと気づいたのは2日、日曜日だった。早……
アフリカで日本より人口の多い国はナイジェリアだけ。北東部3州に非常事態宣言が出て、軍事作戦が続いている。イスラム武装勢力のボコ・ハラムが3年ほど前から勢力を……
ナイロビのアパートを出て14時間で、西アフリカの入り口、ナイジェリアの首都アブジャの道路を走っていた。今までに見たアフリカのどの都市とも違う街が、闇の中に垣……
毎度の旅の終わりに、そこに行こうとする人たちに参考になるような情報を入れられないだろうか。そんな提案が編集の担当者からあった。旅行会社の人間ではないし、ツボ……
ウガンダの旅は、南西端にあるカルト事件の現場だったカヌングと、北端に近いエボラ出血熱に襲われた町グルを入れたため、行程に少し無理が生じた。行きたかった場所が……
グルはウガンダ北部、南スーダンへ向かう幹線道路にある。2000年、この町をきわめて致死率の高い感染症のエボラ出血熱が襲い、170人以上が死亡した。うち、13……
5月26日は、車で10時間は覚悟しなければならなかったので、ひたすら走る。9割がでこぼこ道で、国立公園の動物に癒やされるわけでもない。でも、出発早々に西側に……
ウガンダに入って連日、長い移動をしてきた。毎日移動していると洗濯をしたり洗濯に服を出したりする時間がないので、25日はそのための日にしてウガンダ西端の町カセ……
カバレからカヌングまでは3時間かかった。最初の30分だけ舗装されて、2時間半はでこぼこ道だった。この日、5月24日は先が長かったので早々にカヌング村を去った……
2000年3月、ナイロビ支局に着任する直前に事件は起きた。コンゴ(旧ザイール)との国境近くのウガンダの村で教会が炎上、中にいた「神の十戒復古運動」という団体……
昨夜、というのは22日のことだが、ウガンダ西部のムバララのホテルでシャワーを浴びようとしたら、コーヒー色の水が出てきた。透明な水を期待しているわけではないけ……
ブガラの島に来たのは、島の姿がここ10年の間に大きく変わったからだ。前日、島にフェリーが近づいた時にぼんやり眺めていて水際の低地はジャングルなのに、湖面から……
ビクトリア湖へ。このアフリカ最大の湖が初めて強く印象に残ったのは、中島らもさんの小説「ガダラの豚」を一気読みした時だった。もう新聞記者をしていたが、その湖に……
ウガンダとケニアといえば一衣帯水の間柄、アフリカ最大の淡水湖が間に横たわる。このコラムを再開して、ケニアからまずウガンダに向かうことにした。 ナイロビから……
たまたま診療所まで運ぶことになって、近くまでしか連れて行けなかった女性が気になった。元米海兵隊員のボランティアと言っていたサニーのこともなぜか引っかかったの……
昨年10月からアフリカ各国を旅するコラムを続けている。3月にいったん日本に帰国するためケニアの首都ナイロビを去る直前、町は大統領選の結果待ちの緊迫の中にあっ……
「アフリカの風に吹かれて」は、11年前の4月に殺されたナイロビ支局の助手、デグワさんの墓参りから始めた。もうアフリカに戻ることはないと思っていた身にとって、……
13年前、ロンドン経由でナイロビ支局に着任した。当時はそれが一般的だったと思う。昨年と今回はドバイ経由だった。これも今では一般的だろう。この十数年の間に、ド……
このコラムを再開するにあたり、ちょっと原点に立ち返ってみたい。ここで目指すもの、というほどの大げさではないけれど、それは普通の新聞記事とは全く違う何かだった……
アフリカをうろうろして5カ月ぶりに戻ってきた3月11日、東京はなんと緑の少ないところだろうと思った。でも、いつもより早い桜が散ってツツジもはや花じまいを迎え……
ケニアの大統領選の投票が3月4日から5日にあり、きょう9日、やっと正式な選挙結果が出ました。 この4日あまりは、不思議な日々でした。道路はすいて、店もすい……
中央アフリカでは、ほとんど外を歩きませんでした。一つにはとても暑くてすぐに汗みずくになってしまうこと、最初の日に荷物を狙われるような出来事があったこと、それ……
残り日数が2日になって、追いたいテーマも二つ。反政府勢力の支配地の様子を見に行くことと、中部アフリカ一帯で横行する密猟の話を少し聞くこと。どちらも1日では終……
27日は奇妙な朝を迎えた。知らないおばさんに突然、声をかけられた。テレビとか大統領とか言っている。何だろう。そのわけはしばらく後にわかった。 前日の大統領……
一国の大統領にインタビューをして言い訳するのも変だけど、このコラムは本来、そういう趣旨でやっているわけではない。ただ、通訳をしてくれているウィリアム・バンサ……
急な取材が入る可能性もあるので、25日の昼はバンギにいなければならない。そこで、その日の午前中を利用して45キロほど離れたところにある、政府と反政府勢力が定……
24日の日曜日、ある取材依頼の結果を待つ間、朝のウバンギ川に行ってみることにした。中央アフリカはウバンギ川とシャリ川の間に国土が広がるので、フランスの植民地……
中央アフリカにはこれまで来たことがない。2000年から02年のナイロビ支局時代、記事を書いた記憶もほとんどない。調べてみると、クーデター騒ぎや象牙の密猟など……
今回のシリーズを「アフリカ南部」としたのは当初、どの国に行くことができるのかわからなかったからです。ジンバブエの入国許可を待ちながら南アフリカで過ごし、ボツ……
17日は日曜日なので、街を散策しようと考えた。 ローマ法王ベネディクト16世の退位表明から1週間になろうとしていたが、驚きは次第に引いて退位の日が近づく。……
世界遺産歩きを始めたわけではない。ただ、グレート・ジンバブエについては国の名前にもなったことに加え、その考古学的な検証をめぐっては人間の業の深さを浮き彫りに……
先日のジンバブエの教育の話をもう少し。2012年のO(オー)レベルの試験の合格率が前年を下回り、18・4%にとどまったことについて、メディアは「犯人捜し」に……
教育のことをもう少し追っかけたかったけれど、取材の約束を取り付けることができなかったので、14日は目先を変えて「新しい農家」に話を聞いてみようと考えた。 ……
13日朝、6時半に起きて地元のテレビをつけると、学生の一斉テストの話をずっとしている。その結果が思わしくなかったと言っている。 ジンバブエはアフリカでも最……
ヨハネスブルクのジンバブエ総領事から、携帯電話にテキストメッセージが届いたのは11日午後2時ごろだった。ローズバンクという、大型モールにあるホテルの部屋でポ……
南アフリカで開かれていたサッカーのアフリカ選手権(アフリカ杯)が10日に終幕を迎えた。試合会場に足も運んでいないし、小学校の時にサッカー少年だったというだけ……
ハボローネに戻り、9日はある人と待ち合わせをした。会ったことはなく、ツイッターをフォローしあう関係だ。ボツワナ行きを決めたときに連絡した。ツイッターが縁で人……
朝、けたたましい声で正気に戻る。寝たのか寝てないのかあまりわからない夜が白んでいた。ヴァルチャライと呼ぶ鳥の声らしい。クイナのようでオレンジ色のクチバシをし……
ツォディロ周辺にはサン、ハンブクシュの人たちが住んできた。特にサンの人たちは、神の山とあがめてきた。 丘と呼ぶ方がふさわしいかもしれない四つの山からなる。……
ツォディロ、神々の山に行こうと思ったのには、いくつか理由がある。ここがユネスコの世界文化遺産に登録された2001年、ナイロビ支局に勤務していた。しかし、その……
毎日、話がショッピングセンターから始まっている。きょうはゲームシティーという大きなモールから。ボツワナのモールに来て、ケニアとはどこかが違うと感じた。ケニア……
不明を恥じなければならない。前日に市の中心部に行って、あまり変わっていないと思ったが、改めて周辺部を車で回ってみると、新しいモールやショッピングセンターがい……
4日はボツワナのハボローネに移動する。そそくさと南アフリカを後にするには、いくつか理由がある。南アフリカは、いろんな意味でアフリカを引っ張っていく国で、アフ……
日曜日にできることを思いつかなかったので、3日は少しゆっくりすることにした。4日には次の訪問地のボツワナに移動する。ただゆっくりしても何もならないので、少し……
からっと晴れた土曜日の2日、近くで国際的なスポーツの試合があるというので、でかけた。クリケットの国際テスト試合で、地元南アフリカがパキスタンを迎え撃っていた……
1月31日は午後にヨハネスブルクに着いてホテルに荷物を下ろし、ジンバブエ総領事館に出かけることにした。ナイロビにある総領事館は何度電話してもだれも出なかった……
これまで散々、ベテラン記者にあるまじき醜態をさらしてきた。話題作りのためにへまを繰り返しているわけではない。もはや説得力など皆無だろうが、これまでドジな記者……
今回のマリ行きは、内戦が激化してフランス軍が介入するという機をとらえて現地に入った杉山正・ナイロビ支局長に同行する形になりました。アフリカに来たときから「い……
27日は取材の予定を入れようとしたけれど、日曜日で難しかった。この日の夜にバマコを出発する便でナイロビに戻ることにしたので、それまでの時間がすっぽりあいた。……
前日に引き続き、マリの宗教指導者に会う。その前に、前日の指導者たちとの会話でやり玉に挙がったマドラサ(学校)の運営者に話を聞こうと思った。会うことはできたの……
バマコに戻り、杉山正・ナイロビ支局長や中野智明さんとは別れて行動することにした。これまで前線を目指すアフリカ特派員の取材ぶりをそのまま書いてきたけれど、少し……
路上の旅も5日目になると、見るものすべてが珍しく心動かされる時はもう過ぎている。今回は同じ道を行ったり来たりしたのでなおのこと。きょう24日は首都バマコに戻……
マリ中部の町サンのホテルを午前8時に出て、23日はもう一度、モプティ方面へ向かう。前に書いたが、モプティはその北にあるコンナへの入り口にある。武装勢力に制圧……
ニョノの町外れの民家で一夜を明かした。5部屋を7人で分けることになった。申し訳ないことに1人の部屋に入った。申し訳ないので、午前2時半ごろまで原稿を書いた。……
21日は午前6時ごろに目覚めた。前夜、原稿を書きながら寝てしまった。 ジェンネのホテルは吹き抜けの中庭を囲む2階建てで、食事はその中庭でとった。真っ青な空……
20日早朝、バマコを出て北のモプティを目指す。イスラム武装勢力と、マリ政府・フランス軍のせめぎ合いが続いた要衝コンナに通じる都市だ。いったん武装勢力の手に落……
バマコから出ようということで、19日は車2台に分かれて北東を目指した。行き先は杉山正ナイロビ支局長が決めている。こちらはついていくだけだ。 バマコを出ると……
18日は、もう何年もしていないことから始めた。新聞に普通のニュース記事を書くことだった。 アルジェリアの人質事件について、マリでどのように報道されているか……
日本とマリの間には時差が9時間ある。ニジェール川の向こうにオレンジの日が昇るとき、冬の日本はもうわずかな日だまりが消えるころだ。 日本で朝刊づくりのたけな……
マリへ向かってケニアの首都ナイロビの空港を飛び立った時と、マリの首都バマコに飛行機が着陸した時とでは、世の中が変わっていた。 16日午前10時、日本時間の……
携帯電話を失うことの大変さが身にしみた。互いに情報を補完しあっていた2個を盗まれたものだから、日本の連絡先も、アフリカの連絡先もきれいさっぱりなくなってしま……
アフリカの東にある二つの島国を訪ねる旅は、これまでの旅とは少し違っていました。行き当たりばったりという点ではこれまでも変わりはなかったのですが、これまでは「……
海外の高級品を売る大型のショッピングセンターが新しくできる一方で、街を歩くと殺伐としたものを感じる。それが10年ぶりのアンタナナリボの第一印象だった。10年……
行くならここで、と思っていた。 こういう大仰な書き出しは、大したことのない話につながると思って間違いない。深刻な話が続いたので、アンタナナリボ最後の一日ぐ……
マダガスカルも5日目になったところで、少しこの国の状況について。 クーデターのような形でラバロマナナ大統領が政権を追われたのは2009年だった。代わってラ……
ここのところ長渕剛さんの「とんぼ」が知らないうちに頭の中でぐるぐる回っている。特に好きな曲ではない。なぜかと考えると、ずっと昔に会社の先輩が酔っぱらってよく……
「アフリカの風に吹かれて」というより、アフリカの「べからず集」になってきた。ちなみにディケンズ原作の「二都物語」は70年以上も前に映画化されてアカデミー作品……
1日遅れで6日、アンタナナリボに着いて、日曜日だったので何もできなかった。7日、まずは携帯電話のSIMを買って、いくぶんかのドルを現地のお金アリアリに換える……
6日朝4時半に起きて食事をし、迎えのバスに乗って空港に向かう。前日に心配した通り、激しい雨と雷になっている。まあ、考えてもどうにもならない。 空港に着くと……
5日はマダガスカルに移動する。飛行機の出発が午後3時過ぎなので、ホテルを昼ごろ出ることにした。フランス語圏の取材はうまくいかないなあと思いつつ、さて、マダガ……
アフリカに来て、10カ国目の訪問地がコモロだった。これまでの9カ国と全く違い、コモロの人々が誇っていいと思うことが少なくとも一つある。 この島に来て、街な……
副大統領を務めたナドイムさん(63)が再会の時に言っていた、あることが引っかかっていた。それはコモロ最大のヌジャジジャ島、つまりいまいる島の北部にホテルを誘……
最近、原稿を書いていて間違いが多い。何かに追われるように出かけては、奥歯をかみしめる日々が続く。なぜかみしめているのか、わからない。ゆとりがないので、余計な……
12年前にクーデターの頻発するコモロを訪ねた時の記事には、3人の名前が登場する。クーデターで職を追われた元首相のジュスーフさん、建設資材会社社長のナドイムさ……
コモロで1月1日を迎えた。イスラム教の国なので特に祝うことはないとみんな言っていたが、外国人の集まるホテルでは、カウントダウンがあって年が改まってもなかなか……
気分も新たに紛争やクーデターからは少し離れて、夢のある話を追うのはどうだろう。12年前にコモロを訪れた時、マンゴーの木をくりぬいた漁師の丸太舟に乗せてもらい……
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。 と書いたが、年賀状のようなもので、実は今まだ日本時間の31日だ。 島国根性の抜けない人間と……
コートジボワール、リベリア、シエラレオネの3国を訪れて記事を書きましたが、言葉についておことわりしておきます。 記事にはいちいち書きませんでしたが、今回の……
ドタバタで始まった西アフリカへの小旅行は、やはりドタバタで終わる。フリータウン最後の日、22日から嫌な予兆はあった。 3日連続で車が故障して、4日目はとい……
フリータウン最後の22日に、戦争の傷から立ち直ることについてもう少し聞いてみたいと思った。実はこの後、さらなるドタバタが待っていたのだけれど、恥ずかしくてど……
どこかの呪術師に聞くまでもなく、呪いを受けていると言うだろう。21日、ボーの町で取材している間に車のファンベルトがまた切れて、運転手は修理しに行ってしまった……
フリータウンから東に300キロほど離れたボーという町で、3人の男性に会った。3人ともに元戦闘員だった。内戦終結から10年、3人とも定まった職をもたない状態だ……
シエラレオネ中部の町マケニに来た。ここには11年前に訪れた。内戦中、反政府勢力の革命統一戦線(RUF)の拠点だったところで、政府と和平交渉に転じたRUFの幹……
また記者登録から一日が始まる。朝10時に来いと言われたが、8階にある情報省の事務室は、10時には鍵も開いていない。 担当者は気のいいおじさんで結局、1時間……
そう、ドタバタはリベリア・コートジボワール国境でおしまいにしたはずだった。シエラレオネに着いた今、煩わしい手続きは残っていない。ただ、情報省で記者登録をしな……
ケニアを出発して12日、シエラレオネに向かう。フライトが夕方なので、この日の午前にいくつか取材をしようと思っていた。すると、ホテルに国会議員が訪ねてきた。 ……
リベリアにとっては「米騒動」が時代の歯車を動かす一つのきっかけだった。かつて日本にとっても、そうだったように。騒動が起きた1979年のリベリアは、一党独裁か……
日本の歯車が大きな音を立てて回ろうとしていた16日、日曜日を利用してリベリア中部の町バンガを目指すことにした。モンロビアから車で4時間ほどかかる。 道沿い……
コートジボワールで紛争後の和解の難しさについて書いた。リベリアでも1989年から2次にわたり2003年まで続いた内戦に関し、「真実と和解委員会」が設置された……
モンロビア郊外の街道沿いで、スーツケースに座ってぼーっとしていた。13日に宿泊したホテルは、インターネット接続がうまくいかず、別のホテルに移ることにした。そ……
あらかじめ言っておきますが、13日は移動だけです。 ナイロビをたって1週間、ようやく2カ所目のリベリアに向かう。午前11時の飛行機で、いったんコートジボワ……
記者として立ち会い、いまここにいることは忘れまいと思う瞬間はいくつもある。順位をつけられるものではないが、たとえば紛争がらみでは次のようなものが浮かぶ。 ……
アビジャンに戻った11日、朝からリベリア行きの便の確保に回る。この日に予約していた便はどっちみち乗れなかったようで、そう聞くと2日かけてリベリア国境を目指し……
10日朝、6時前に起きると、ダナネの町はもやに包まれていた。7時、ホテルを出発し、一路27キロ先にあるリベリア国境を目指す。アビジャンにいたときに、一応、ネ……
リベリアのビザはとったものの、飛行機が確保できない。フライト2日前になっても、まだ待機者リストのままだ。もともと西隣の国に行くのに、いったん東のトーゴに向か……
アビジャンの中心部近くを車で走っていた時だ。人だかりがあると思ったら、軍服姿の背後の路上に死体が転がっていた。車で通り過ぎただけなので、確認はできなかったが……
ララは死んでいた。朝日新聞に載った写真を見た人で、いまも生き続けていると思っていた人は少ないかもしれない。ララはコートジボワールのアビジャンにある国立動物園……
ナイロビから5時間半、赤道を北へまたぎ、グリニッジ子午線を西へ越え、コートジボワールの中心都市アビジャンに6日、降り立った。乾期に入っているはずなのに、蒸し……
アフリカの風に吹かれようと思ったとき、予定が全部決まっている出張はやめようと決めた。大げさに言えば、多少の苦労やイライラも風のうちと、吹かれてみようと思った……
10年前、10年前と連呼しているのでもう聞き飽きた方も多いでしょうが、その10年前、アフリカの特派員として一番悩んだのが、記事を届けたい人には届かないという……
本当は、このことは書きたくないのです。なら書かなければいいのですが、このシリーズの整合性のためには書くべきなのだと思うわけです。 今回のコンゴ編を通して読……
ケニアに来るときに決めていたソマリア、南スーダン、コンゴ(旧ザイール)への旅を、いささか慌ただしく終えた。もともと小さな話の集合体のようなこのページだけれど……
コンゴ(旧ザイール)の反政府武装勢力「M23」のメンバーにインタビューした。現地で知り合ったナイロビ支局の杉山正支局長が、連絡先を教えてくれた。パトリック・……
反政府武装勢力の「M23」に撤退の動きが見られると聞いて、ゴマの町に出てみた。重火器を備えた大型車両が止まっていたガソリンスタンドには、その姿がない。朝、来……
27日にサケに行こうと思ったのは前日、ゴマ郊外にある避難した人たちのキャンプ、ムグンガ1を訪ねたからだ。定点観測と称して溶岩の上に腰を下ろしていたとき、オマ……
街なかにいる人たちの中には、ひとまず安定が訪れ、自分の暮らしに戻ることのできた人たちがいる。では、ゴマ郊外にできている国内避難民のキャンプにいる人たちはどう……
普通の記事と違うことをと、考えはした。いい知恵が浮かばない。事情もあって、26日は定点観測をすることにした。動かずにゴマの町や人を見つめようという「ものぐさ……
どうせ日曜日でコンゴ(旧ザイール)大使館は開いていない。駄目なら戻ればいい。25日午前9時にルワンダのキガリを出発して、とりあえずコンゴ国境を目指すことにし……
23日夜、コンゴ(旧ザイール)東部の中心都市ゴマに入った杉山正ナイロビ支局長が電話をくれた。ルワンダとの国境もコンゴの反政府武装勢力M23が抑えていて、入国……
ブジュンブラのコンゴ大使館を再度、訪問する。こちらは反政府武装勢力がゴマを制圧する前からビザを申請している。それなのに、今になってビザを出さないというのでは……
ブルンジに来た理由は、コンゴ入国のためのビザを手に入れるためだった。ブルンジ入り前に申請の手続きを進めた時には、行き先のコンゴ東部ゴマの周辺で戦闘が起きてい……
話は少しさかのぼる。10月にナイロビから最初の訪問地、ソマリアのモガディシオに向かう飛行機で機内誌をパラパラめくっていて、途中で手が止まった。そのページには……
死んだ街が生き返った。そんな感慨を、ブルンジのブジュンブラに入ってもった。12年前から10年前にかけてここをたびたび訪れたころ、街のごく周辺で戦闘が繰り返さ……
ソマリア、南スーダンに続いて、コンゴ(旧ザイール)に向かう。この三つの地域は12年前、ナイロビ支局に勤務したとき、内戦のさなかにあった。いずれも一定の区切り……
ソマリア、南スーダンへの短い旅を紹介してきました。右往左往や個人的な思いや泣き言も含めて書いてきましたが、こうした経験は特別でも何でもなく、海外にいる特派員……
南スーダン編で、校舎もなく、木陰で学んでいる子どもたちについて書いた。拉致されるのが怖くて、学校に行けない子どもたちについても書いた。 ジュバの町中を移動……
ジュバのホテルで車を待っていた時、泥だらけの四輪駆動車が3台、続けて駐車場に入ってきた。随分ひどい状態の車だと思ってよく見たら、内装にビニールがかかり、ホイ……
ジョングレイ州まで来て、さてどうする。 国という新しい形ができたけれど、この州では古くからの対立がなお続いている。ここに住んでいる人たちは、新しい国ができ……
それで、ジョングレイ州にいったい何をしに来たのか。そう言われると、風に吹かれてというだけあって、確固とした目的があるわけではない。ただ、新聞で「紛争地をめぐ……
11日はジュバからジョングレイ州のボルに向かった。丈夫な車がなかなか手に入らず、出発が昼になってしまった。悪路で、ボルの宿泊先も確保していないので、できるだ……
ジュバの街にあふれるオートバイタクシーに興味はあった。ボダボダと呼ぶらしい。一説によると、境界から境界まで走るので「BORDER BORDER」、ボダボダと……
土曜日だし、大きな宣伝の看板も出しているし、一つやわらかいものでも眺めてみますか。とまあ、その程度の関心で10日にジュバで開かれた「ミス・マライカ」コンテス……
南スーダンのジュバの街には、携帯電話、電化製品の宣伝に交じって、標語のような看板が目につく。「独立を選んでくれてありがとう」と、誰が誰に言っているのかよくわ……
内戦を引きずるソマリアと違い、南スーダンは独立して1年を経ている。 首都のジュバは建築ラッシュだ。平屋、2階建ての小さな店が街道沿いに白や黄土色のまぶしい……
1日たっても、何も進まないというのはつらい。8日は外国メディアの登録が必要だというので、最初に情報省に出かけた。朝8時から開いていると聞いていたが、8時半に……
南スーダンに到着したからには、何か書かなくてはと思うのだけど、着いてすぐに実のあることをさらさらと並べられるほど能力はなく、コオロギのことぐらいしか思いつか……
ここで、おことわりというのか、紹介というのかわからないけれど、書いておきます。朝日新聞にはれっきとした「アフリカ特派員」がいます。杉山正ナイロビ支局長がその……
ナイロビに戻りました。ナイロビの空港を出ると、にわか雨が降っていて、ものすごく大きな虹が空にかかっていました。よく見ると、二重になっています。 郊外のひら……
ナイロビからモガディシオに向かう場合、「行きはよいよい帰りは怖い」となる。本当は「怖い」ではなく、「面倒」なのだけど。 モガディシオ行きはナイロビから1時……
ソマリアへの6泊7日の旅も終わりを迎えた。そこで、書き漏らしたことを思いつくままに。 【安全】日本にいたころ、ネットで「ソマリアに旅行に行きたいのですけど……
故郷に戻れない人があふれる一方で、ソマリアには次々と人が帰ってきている。内戦を逃れて海外に渡っていたディアスポラと呼ばれる人々だ。 ハッサン・アブカールさ……
福島第一原発の事故と状況は全く違う。でも、ここにも災害と人災が重なって故郷へ、家へ戻れない人たちがいる。 まだ完全に安全というわけではないので、モガディシ……
「風に吹かれて」って、全然、風が吹いていないじゃないか。そう言われそうなので、街角の様子を書いておく。といっても、実際に風はほとんど吹かない。夜中に連日、激……
アフリカに来るにあたってどんな準備をしたのかを書けと、このコラムを担当してくれている国際報道部のデスクに言われました。恥ずかしいことにほとんど準備らしいこと……
右から左から、声がかかる。アブディ・モハマド・イスマイルさん(35)は笑って言う。「みんな、シャバブに気をつけろ、だって」。今年に入ってソマリアでは17人の……
体に染みついて離れないと感じるにおいというのはあるもので、新人記者の場合はたいてい火事現場のそれだ。風景や音のように頭の中で再現することがにおいはできないの……
マハムード・ガイウエロさん(60)が歌の封印を解いたのは、つい2週間前のことだ。若者のつどいで彼が歌った自作の曲は氏族主義を非難する中身だった。様々な氏族の……
27日午前9時過ぎ、アフリカ連合(AU)軍の装甲車両6両を連ねてモガディシオを出発し、北西に向かった。前線近くまで連れて行ってくれるという。そもそも、地域に……
海岸沿いにあるソマリア・モガディシオの国際空港に降りる。26日午前11時半(日本時間午後5時半)、駐機場にはこの朝ナイロビから到着した2機のジェット旅客機が……
61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。