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08月24日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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1964東京五輪と「幻」の1940大会

写真:東京開催めざしIOC総会に臨んだ、柔道界の重鎮・嘉納治五郎(左)と伯爵・副島道正(右)=1936年7月、ベルリン拡大東京開催めざしIOC総会に臨んだ、柔道界の重鎮・嘉納治五郎(左)と伯爵・副島道正(右)=1936年7月、ベルリン

 アジアで初のオリンピックを1964(昭和39)年に東京で開く。59年5月の国際オリンピック委員会(IOC)総会で、そう決まった。

 「うれしいような、不安なような……悪道路のこと、下水もろくにないこと、泥棒の心配などを思うと、大変だなという気がする。それに金はどうするのか」(5月27日付朝日「天声人語」)。東京五輪は、戦前の40年に開催することが決まっていたのに「“戦時態勢”でお流れになった」。だから、悲願ではあった。

 幻の東京大会は、36年に決まった。日本にとっては「皇紀2600年」祝賀行事の一つだ。しかし翌年、日本は中国との戦争に踏み出す。陸軍は、馬術競技への将校の参加を撤回。政治家からも東京開催反対論が出て、混乱した。

 12月に日本軍は、南京を占領。年が明けて38年になると、イギリスや北欧から東京大会反対の声があがった。

 朝日は、こうした反対は日中戦争が長引いたためだ、と書いた。そして、「政治とスポーツは別だ」と東京大会を後押しした米五輪委員会会長ブランデージの主張を、よくとりあげた。「横槍(よこやり)を恐るるな! 米国・東京大会を支持」(38年1月20日付)

 一方、英国の競技者のボイコットの動きについては「不可解」、中国の反対は「泣言(なきごと)」と断じて、3月のIOC総会で東京大会の日程が正式に決まると、「凡(あら)ゆる策動陰謀も 正義には勝てず」(3月18日付)と書いた。ニューヨーク・タイムズが社説で反対しても、「迷論」(6月22日付)と切って捨てた。

 だが紙面上の勢いとは裏腹に、日本政府は38年7月、「物心両面で不適当」として、五輪返上を決めた。「すべてを戦争目的に集中せんとする現下の事情に照し、誠に已(や)むを得ずといふ外はない」(7月15日付朝日社説)

 当時の朝日読者には知らされなかったことがある。「日本軍の南京での蛮行や無防備都市爆撃に、民主国家の反対が広がっていた」(7月16日付ワシントン・ポスト)

 実はIOC会長ラツールは、4月に日本の大使に会い、東京大会反対の電報が150通届いたことを告げて、辞退したほうが日本の面目のためにもよいのではないか、と勧めていた。

 また、極東で協調路線を探るイギリス外務省も、ボイコットはまずいので東京大会を「必ず自然死させよ」と記した文書を残していた。青沼裕之・武蔵野美大教授(51)が近年の研究で明らかにしている。

 他国が反対した理由を、多くの人はくわしくは知らないまま、戦後の五輪を迎えた。

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