テロリスト侵入阻止を目的とするイスラエルの「分離壁」建設が着々と進んでいる。ヨルダン川西岸地区を分断する計画総延長約350キロの「壁」はいよいよエルサレムでも姿を現し、多くのパレスチナ人の生活圏が分断され始めた。3大宗教の聖地をも囲い込む壁は、パレスチナ人の新たな怒りを買い、聖地帰属問題とともに、イスラエルとパレスチナ間の和平交渉の新たな火種となりつつある。
●病院・学校、壁の向こう
エルサレムの東に隣接するパレスチナ人の村アザリア。キリストがエルサレム入りした際に滞在した村ベタニアとして新約聖書に記される由緒ある村だが、住民の多くはイスラエルの身分証明書を持っている。
67年の第3次中東戦争でイスラエルはヨルダン領だった東エルサレムを併合し、西エルサレムと合わせて不可分の首都と一方的に宣言。その建前を通すために、東のパレスチナ人にもイスラエルの市民権を与えてきた。彼らの多くはその後、人口増に伴ってアザリアなど郊外の村に移住してきたが、現在、イスラエル軍が建てた高さ2メートルの壁が村とエルサレムを隔てている。
かつて村人の子どもは何の問題もなく東エルサレムの学校に通い、東エルサレムの総合病院を頼りにしてきた。今では子どもたちは高さ2メートルの壁を乗り越えて自宅と学校を往復する。女性や高齢者は、少しでも低い場所を探して壁を越える。イスラエルの身分証明書を持ってエルサレムの飲食店に通勤する青年(20)は「車なら10分の距離が、今じゃ歩いて1時間だ」とぼやく。3〜4キロ先の病院に車でたどり着くのに10キロ以上の遠回りを強いられる。
●礼拝も難しく
イスラエルは、昨年6月から分離壁建設を開始、今年7月末までにヨルダン川西岸地区の北西部など計140キロが完成した。すでに「ベルリンの壁」(約160キロ)に匹敵する長さだ。
エルサレム周辺では、8月下旬から壁建設が本格化し、11月までにアザリア周辺の土地収用と整地作業がほぼ完了。イスラエル国防省によると、現在の壁もいずれ、乗り越えられない高さの金属フェンスかコンクリートの壁に替わる。そうなれば、聖地は壁の向こう側になり、礼拝に向かうことも今まで以上に難しくなりかねない。国防省は「各所に人が通れる場所を作り、物流のために中継基地も設ける」と、人道面の配慮を強調するが、中継点開閉の権利はパレスチナにはない。
分離壁がパレスチナ人の生活圏を分断する問題は、ヨルダン川西岸地区の各地で起きているが、エルサレムの場合、さらに問題を複雑にしているのは、エルサレム市民として扱われてきたはずのパレスチナ人がエルサレムから切り離される事実と、聖地問題がからんでくることだ。郊外の村の一つ、サワヒラ村に住む女性は「壁の内側に住むのは良いパレスチナ人で、こちらはみんなテロリストだというのか」と怒った。
●逆効果の恐れ
クレイ自治政府首相は5日、欧州連合(EU)特使との会談の席で分離壁問題を取り上げ、「建設を止めて欲しい」と訴えた。国連総会も10月、建設中止を求める決議を採択した。しかし、内外からの批判の声にイスラエル政府が耳を傾ける様子はない。
分離壁問題は、聖地エルサレムをどう分け合うかに直結する。クリントン米大統領(当時)が00年に提示した、東をパレスチナ、西をイスラエルに分割する案に、一時は双方が歩み寄った。双方の和平派は現在もこの案が現実的な解決策と訴える。だが、分離壁はエルサレム全体をイスラエル側のものと既成事実化しかねない。和平の要である聖地帰属問題の解決が遠のく懸念は大きい。
パレスチナ人ジャーナリストのアタ・ケイマリ氏は「東エルサレムのパレスチナ人はイスラエルとの結びつきが強く、過去3年間の衝突の間も比較的平穏だった。ただ、壁ができて生活が脅かされる事態になれば、彼らの不満に火がつかないか」と話し、テロ抑止どころか、かえって油を注ぐのでは、と懸念する。
【聖地エルサレム帰属問題】
旧市街の「神殿の丘」(イスラム名ハラム・シャリーフ)にある「岩のドーム」を、ユダヤ教はダビデ王と神との契約が納められた箱を祭った場所とし、イスラム教は預言者ムハンマドが昇天した場所とする。キリスト教では、キリストが十字架にはりつけにされた受難の地として重視されている。キリストの墓がある「聖墳墓教会」も旧市街にある。
47年の国連総会決議は、聖地エルサレムを国際管理都市としたが、48年の第1次中東戦争で西側をイスラエルが、聖地がある旧市街を含む東側をヨルダンが押さえた。67年の第3次中東戦争でイスラエルが東を占領して併合。93年のオスロ合意後、東西に分割して主権をイスラエルとパレスチナで分け合う案も米国が提示したが、結局決裂した。和平交渉最大の難題の一つとされる。
(11/07 09:07)
|