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【北朝鮮拉致事件】
 
地村保志さん、富貴恵さん夫妻の手記全文

 地村保志さん(48)、富貴恵さん(48)夫妻の手記全文は次の通り。(富貴恵さんの思いが記されてある段落の末尾には富貴恵さんの署名があります)

 <帰国当初の思い>

 北朝鮮では「10年過ぎれば河、山が変わる」という言葉がよく使われるが、あちらにおいて日本への一時帰国を知らされた時、24年という長い歳月が流れた今日の日本社会、生まれ育った故郷の風景は相当変わっているものと想像していた。

 しかし帰国当初、そのような社会的変化よりも日本国民の盛大な歓迎と出迎えに正直、驚きと戸惑いを隠せなかった。特に地元小浜市民体育館での歓迎行事と実家での出迎えには自(おの)ずと感激の涙が流れた。日本を離れ孤独な異国生活を余儀なくされてきた私達にとってその歓迎と出迎え、家族親戚と旧友たちとの再会は言葉に言い表せない感動と勇気を与えてくれた。

 <ふるさとへの思い>

 ふるさとに対する思いは、その存在感が遠く離れているほど募るものである。異国で長年生活した私達夫婦にとって生まれ育ったふるさとは、憧(あこが)れの地でもあり、夫婦共通の話題でもあった。24年ぶりに見たふるさと小浜は町並みこそ変わっていたが、和やかで優しい人々の心は変わっていなかった。特に、帰国後も子供たちの早期帰国実現のため署名運動をしてくれている同級生、友人には感謝しているし、子供たちが帰国した折りには、誰よりも先(ま)ず彼らにお礼を述べたい。

 <日本に留まることを決めるまでの葛藤(かっとう)>

 帰国直後は、まだ一時帰国という認識を強く持っていた。それは当然家族を残してきたからだ。当初家族、友人の説得に曖昧(あいまい)に答えざるを得なかったのも、子供たちを残して永住帰国することが果たして親としての取るべき行動なのかと思い悩んだからだった。

 この心情を知ってか家族親戚は帰国を強要する説得は控え、冷静に私達の決断を見守ってくれた。それ故、帰国問題をめぐって家族との目立った葛藤はなかった。ただ私達の分からないところで(例えば日本政府との交渉とか拉致被害者家族間での協議など)その努力をしていた。半面友人、特に同級生たちは子供たちのことを心配しながらもこのまま留まることを再三勧めた。

 日本に留まることを最終的に決めたのは、結局日本国政府が「一時帰国者を帰さない。北朝鮮と毅然(きぜん)とした態度で臨む」と言明した時点であった。それは家族、友人の思いより日本国政府の決断、対応が今後の問題解決の決め手であると確信していたからだった。

 <北朝鮮バッジを外すまでの葛藤>

 バッジを外す問題は帰国者5人がそれぞれ自分の決断で決めた。新潟で帰国者5人が再会する時期、マスコミ及び世論においてこの問題が大きな関心事項になっていた。中にはバッジを付けていることに批判的な見方も多々あった。帰国者5人は、この機会にバッジの問題をはっきりする事で意見が一致し、それぞれの決断に委ねることにした。

 当初、子供たちの今後の処遇を考えると多少の戸惑いがあった。しかし一方で胸にバッジを付けて共和国民になりすまし、一方で日本人として国民の支援に甘んじるという二重人格的な態度に自己矛盾を感じていた。時間が経(た)ち国民の支持、支援が高まるに連れ、この矛盾感は究極に達していた。この時点でバッジを外すことに何ら躊躇(ちゅうちょ)はなかった。子供たちの今後の処遇については、北朝鮮が子供の問題を外交カードに利用している以上、身の安全は保証されるものと確信していた。

 <子供に書いた手紙の内容>

 子供たちに実際手紙が届くのか半信半疑だったし、届いたとしても北朝鮮当局に読まれるという前提で書いたため、詳しい事情説明、心境といった内容は意識的に書かなかった。ただ「日本人」であるということは、子供たちに状況判断を暗示するため、精神的衝撃も覚悟の上、明記した。

 <子供たちからの手紙を受け取った時の心境>

 日本に帰ってきて初めて娘からの手紙を受け取って、「お父さん、お母さんと離ればなれになって初めて親の尊さについて感じました」という文面を読んで、何か込み上げてくるものを抑えることが出来なかった。一人でいると知らないうちに子供のことを考えてしまう。考え出すとたまらなくなるので一人になりたくない。子供たちは私たちにとってかけがえのない、命のような存在だ。子供たちには今何もしてあげることが出来ないのが一番つらい。(富貴恵)

 <24年間の「空白」の意味>

 社会復帰を果たした今日、切実に感じる空白とは、ただ単純に24年間という長い年月の空白を意味するのではなく、その間における自分自身の社会的地位とか役割に関する空白を意味する。自分が今後日本社会においてどういう位置でどんな事ができるかといった解決しがたい問題である。同年代の人たちが今日に至るまで築き上げてきた人生経験とか社会経験、職場での地位とか役割というものは、到底取り戻すことができない。そこに24年の空白を実感するという意味である。

 このような環境と条件の中で、最近自分が果たしてこれから何ができるか、自分にできる事は一体何なのか自問自答しながら考えている。

 魚釣りに行ったり同級生と集まったりするのは、そういった現状の苦痛や苦悩、子供たちへの想いを紛らわすための自己慰安と言える。

 <子供の帰国を待つ心境>

 自分たちの家族が、長年署名活動や救出運動を繰り広げてくださり帰国が実現した訳だが、最終的には日本政府、小泉総理が訪朝し日朝首脳の直接協議で実現の運びとなった。子供たちの早期帰国の問題も自分たちと全く同じケースである。日本政府が動かない限り解決の糸口は見い出せないというのが現実だ。そういった意味で政治家でもない自分たちにできることと言えばただ子供たちの早期帰国実現を日本政府に訴えるしかない。そこに当事者としての無力感を感じる。

 「家族・親子が一緒に暮らす」というのは、通常の生活形態である。しかし、世の中には家族・親子がそれぞれ生き別れになって生死も分からず暮らす不幸な人々がたくさんいる。身近な例を挙げれば、在日韓国・朝鮮人の人、この人たちは個々の事情により自ら日本に渡って来た人もいると思うが、過去の戦争による犠牲者も少なからずいる。また朝鮮半島においては、朝鮮戦争時、生き別れになり今日までお互いの生死すら分からないまま暮らしている離散家族と呼ばれる不幸な人々がたくさんいる。これらの人々にとって「家族の絆(きずな)」というものは並々ならぬ想いがある。

 そもそも北朝鮮による拉致事件はなぜ起きたかを考えると、そのひとつに戦後国交が正常化されていない日本との対立関係が背景にあるものと考えられる。そういった意味で拉致は戦争の延長、犠牲とも受け止められる。このように国家間或(ある)いは国内の内戦の犠牲になり生き別れになった人々にとっての唯一の願いは、家族の再会であると思う。しかし私自身、拉致問題は戦後に起きた国家犯罪であり北朝鮮が拉致事実を認めた以上、早期解決と謝罪があって当然だと思う。まして家族の帰国問題は、人道上の観点から考えても、無条件、即時実現されるべきである。

 <北淡町震災記念館で綴(つづ)った「生」という文字の意味>

 淡路島の北淡町震災記念館で綴った「生」という文字は、「生きることの大切さ」という意味を込めて書いた。「生きることの大切さ」というのは、帰国後感じたことではなく、北朝鮮で24年間生活する間胸に秘めていた言葉である。「生きていれば何かがある」。この言葉は特に家内が口癖のように言っていた文句でもある。家内のこの言葉に幾度となく励まされ夫婦円満に家庭を築き支え合ってきた。

 最初は何度も死にたいと思った。しかし死んだら自分に負けることになると気づき、命の続く限り生きてやるという決心をした。その時から胸のつかえが取れた。生きていたからこそ主人と結婚できたし、恋しいみんなとも会うことが出来た。生きていれば必ず良いことがあると実感したからだ。(富貴恵)

 金比羅山では、一番上まで階段を上り、「生きてさえいればいつかまた子供たちと一緒になれる」という確信と願いを込めお参りをした。

 生きていれさえすれば、何かが起きる。その過程で、当然悲しい事や不幸な出来事に遭うかもしれない。しかし常に物事を楽天的に考え、前向きに対処していけば、必ず自分なりに満足感、幸福感というものを見いだすことが出来るというのが私達夫婦の一致した思考である。「生きてさえいればいつかは子供たちに会える。家族一緒に暮らせる時が必ず来る」。そうした信念を持って毎日を精一杯生きているし、これからも生きてゆく覚悟だ。

 <七夕のつどいに参加した時の心境>

 七夕のつどいは、私達夫婦の生存と帰国を祈願し、毎年家族を中心に恒例的に行われてきたものである。その当事者の帰国が実現した今年のつどいは、子供たちの早期帰国を願う集会となった。私達夫婦は、その場がどんなところであろうとその席に参加し、まずお礼を述べるのが道理だと思った。また多くの皆さんに拉致問題の悲惨さを認識して頂き、子供たちの早期帰国実現とすべての拉致問題解決を風化させることなく訴えて行くためにも参席が必要だと判断した。私達夫婦の不運の始まりは正にその場であったし、子供たちが不本意にも背負う羽目になった不幸も元を正せばその場に起因がある。そういった意味で拉致現場を見たとき言葉では言い表せない憎悪感がこみ上げてきた。

 日朝交渉が膠着状態で問題解決に進展が見られない今、拉致問題はこれからだという認識を持っている。

 <帰国して一年が経った今の葛藤>

 自分自身、帰国当初に比べ落ち着きを取り戻し、多々なる問題を冷静に処理対応できるようになったと自覚している。

 今後は、自分の第二の人生について真剣に考えてみたい。できることがあれば何でもしたい。当面はお世話になった国民、県民、市民の皆様に少しでも恩返しができるよう全力を尽くす考えだ。とりあえず今の市役所、嶺南振興局での仕事に励み、与えられた役目を一生懸命果たしていくことが何よりも大切だと思っている。

 これからの人生で、今までの経験を生かし自分だからできるといった仕事を精一杯やってみたいと思う。 (10/14 21:03)


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