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家族奔走、暮らし犠牲
東京・築地市場の生鮮マグロのセリ人。それが、増元照明さん(47)=東京都中央区=の仕事だった。筆頭セリ人として、今年の初セリも仕切った。だがこの3月、約17年間続けたセリ人を辞め、同じ水産会社の別の部署に移った。 97年3月の「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」発足当初から、事務局次長を務める。78年に失跡した増元るみ子さん(不明当時24)の弟としてやるべきことと、家族会幹部として担う役割は、昨年9月以後、それまでとは比較にならないほど増えた。 当時は午前2時に出勤。市場は午前中に一段落するので、午後を省庁訪問などの運動にあてた。記者会見や会合、要請……。欠勤が増えた。10月には生鮮マグロの仕入れ先に1カ月ほど海外出張する予定だったが、同僚に代わってもらった。 □ □ 出張に行けなかったもう一つの理由は10月、父正一さんが79歳で亡くなったからだ。照明さんは約10日間で父の入院した鹿児島の病院と東京とを3往復した。10月15日、危篤状態の父を残して鹿児島から羽田に飛び、北朝鮮から帰国した拉致被害者5人を迎えた。翌日鹿児島に戻り、17日に父の最期をみとった。 亡くなる前、父は告げた。「わしは日本を信じる。おまえも信じろ」 照明さんの目を見ながらの言葉だったが、意識はもうろうとしていたようだ。「ぼくに『救出するため日本を信じろ』と言ったのかもしれないし、姉のまぼろしに向かって『助けに来るから信じて待っていろ』と言ったのかもしれない」 仕事か、運動か。迷うたびに「日本を信じろ」という父の言葉が頭をよぎる。「いまは姉の救出が大事だ」。しかし会社に迷惑はかけられない。「この1年が勝負」と思っている。 □ □ 留学先の欧州で83年に消息を絶った有本恵子さん(不明当時23)の父明弘さん(75)は、兵庫県明石市で鉄工所を営んでいる。10代の時から鉄工所で働き続ける。恵子さんが生まれたのは、独立して約3年たった31歳の時だった。忙しくて、恵子さんを抱いてあやした思い出もない。 昨年9月17日、北朝鮮は娘を「死亡」と伝えてきた。それでも2日後には機械の前に立った。拉致被害者5人が帰国した日も鉄工所にいた。 「娘のことはきょう明日に解決する話じゃない。できるだけ日常生活を保っていきたい」 平壌で一緒に暮らしていることを伝える石岡亨さん(同22)の手紙が札幌市の石岡さんの実家に届いたのは、娘の失跡から5年後だった。しかし警察や外務省は相手にしてくれなかった。 昨春、よど号ハイジャック事件グループの元妻が拉致にかかわったことを告白した。北朝鮮にとって事実を認めやすい「最も解決に近い事件」との見方もあった。日朝首脳会談の日、恵子さんが帰国するとの情報が駆け巡った。「恵子、もうしばらくの辛抱や」。明弘さんは妻の嘉代子さん(77)と待っていた。 光が見えたかと思うと暗闇に突き落とされ、また必死で前へ進む。その繰り返しだった。 「向こうが『死んだ』いうんやったら、生き返らすための運動をせにゃしゃあない」 夜半にいつも目が覚める。恵子さんのことが「ふわーっと頭の中に浮かんでくんねんな」。 それぞれの家族の日常に、「拉致」は暗い影を落とし続ける。 (朝日新聞2003年9月12日付朝刊)
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