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2012年12月23日03時00分
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〈新年取材班日誌〉「つながる」ってなんだろう

写真:支援物資として届いた卓球台をテーブルに、毎月1回の班長会議を開く被災者たち。卓球台は「テーブルにもできるし、寒い冬でも室内で楽しめるから、みんなでてきてくれるかも」と、要望した品だという=12月2日、宮城県気仙沼市内の仮設住宅拡大支援物資として届いた卓球台をテーブルに、毎月1回の班長会議を開く被災者たち。卓球台は「テーブルにもできるし、寒い冬でも室内で楽しめるから、みんなでてきてくれるかも」と、要望した品だという=12月2日、宮城県気仙沼市内の仮設住宅

 【宮崎園子】「ソーシャルメディアを通して見えてくるもの」と「ソーシャルメディアでは見えないもの」。ビリオメディア班に入り、その二つを「やりたいこと」に掲げた。それらを往来しながらつぶやき始めて、21日でちょうど1カ月。この間、首都圏、関西、東北を歩き、気づけばパスポートを持って海を越えていた。

〈特集〉新年取材班「ビリオメディア」

 「世の中、つぶやく人ばかりじゃないし」。この取材班に指名されたとき、そう思った。ネットをツールとしてもたない、使わない人たちは相当数いる。そんな葛藤を抱えながら、先月から今月にかけ、私は「被災地」を歩いた。三陸海岸と、「18年前の被災地」神戸。まずは、その報告をしたい。

 「人とあわないから、最近話し方がままならない」。宮城県気仙沼市の仮設住宅で聞いた被災者のおじいさん(72)のひと言は衝撃的だった。別の復興住宅の集会所では、おばちゃん(62)が、家から出てこようとしない住民の様子に気をもんでいた。支援物資を届けるついでに様子を探ろうにも、でてきてくれない。玄関口に置いておいた物資は気づいたらなくなっている。そこに人がいるのに、生身の気配を感じられない関係。距離感はどうやったら埋まるのだろうか。

 震災から1年9カ月。人と「つながる」ことができず、すでに孤独感を深めている人たちがあちこちにいた。18年後の被災地は――。東北から戻った私は、神戸に向かった。

 激震地・長田区の復興住宅。食事会を企画したり、お年寄りの見回りをしたりしながら、心臓の病気の治療を続けるおじさん(64)は、この年末も毎年恒例の大みそかの食事会を計画中だ。「ほんまは治療に専念したいけど、他の人見捨てられへんやん」

 集会所で年越しそばを食べる、それだけのことでも楽しみにしている人がいる限り続けるという。「自己満足っていわれても。集う場がある、居場所があるって大事やで。震災はそういうのを奪ったわけや」。今年、棟内で孤独死が2件起きたという。

 神戸の別の復興住宅では、ドアの扉に一枚の紙が3年前から貼られたままだった。部屋の住民が亡くなったが、家財道具の引き取り手がなく、住宅を管理する神戸市も手を付けられないようだ。管理人役の男性(77)が教えてくれた。

 男性はかつて時間さえあれば1階のエレベーターホールのソファに座り、出入りする住民と会話を続けてきた。だが、この2年は彼自身がしんどくなり、たまり場に現れなくなった。結果、住民同士のふれあいが全くなくなった。「こんな風に老いていくなんて、ここに入った頃は想像してなかったよ」

 「集う場」はどうやったらつくれるのだろう。「つながり」はどうやったら維持できるのだろう。ソーシャルメディアという「つながるツール」を使って取材を続けながら、被災地で会った人々の言葉が心の中でずっと響いている。

 悩みながらのつぶやきに、いくつかの反応も。「今回の選挙で復興の2文字がまったく見えない、これでは…。怒りにつながります」「もうすぐ2年になるのに実際はなにも復興なんて進んでないもんね」「仮設住宅では、一緒に作業する課題があることで、参加しやすくなる方もいらっしゃるでしょうね」「東北の被災者の側にたった報道を」――。

 ビリオメディア班として、あふれかえる発信の波に飛び込んだ。この膨大な「つぶやき」の中にも、私たちが気づいていない、小さなかぼそい声が埋もれているかもしれない。それを探しながら、また被災地に向かおうと思う。

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