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2013年1月15日08時00分
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「観光資源」の地位確立 クラブ文化の先進地・ベルリン

写真:閉鎖に追い込まれた人気のレゲエクラブ「YAAM(ヤーム)」の存続を訴えるグラフィティ。ファンらが署名運動やデモを起こし、ベルリンの壁近くの別の場所への移転が決まった=ベルリン、宮崎園子撮影拡大閉鎖に追い込まれた人気のレゲエクラブ「YAAM(ヤーム)」の存続を訴えるグラフィティ。ファンらが署名運動やデモを起こし、ベルリンの壁近くの別の場所への移転が決まった=ベルリン、宮崎園子撮影

 【宮崎園子】ダンス営業を規制する風俗営業法のあり方を問題視する声が高まる中、クラブカルチャーの先進地といわれるドイツ・ベルリンを訪れた。クラブ経営者や音楽関係者らは、行政当局と良好な関係をつくって「観光資源」としての地位を築いていた。

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 人口350万人余りの首都中心部。12月末、低層で古びた建物が続く街並みを歩くと、建物外壁の至るところにグラフィティが描かれ、催しのフライヤー(ビラ)が貼られているのが目につく。「汚い」か「かっこいい」か。評価は人それぞれだろうが、ゴミやポイ捨てのたばこが散乱する風景はない。

 日中も厚い雲に覆われ、朝昼晩の街の空気感が、日本のそれとはだいぶ違う。現地で活動する音楽ライター浅沼優子さんによると、市内には300ほどのクラブがあり、ピークタイムは、朝方から昼にかけてだという。

 中心部フリードリヒスハイン地区の倉庫街の一画にある有名クラブを、午前7時ごろに訪れた。時間帯によっては、入り口で客が長蛇の列をなす人気スポット。入り口で厳重なセキュリティーチェックを受ける。「カメラはないですね」。女性スタッフは最初にそう尋ね、くまなくボディーチェックをした。ポケットに入れていたリップクリームの中身まで見せ、再入場用スタンプを手首に押してもらい、中に入る。

 2階と3階で、趣向が異なるフロア。3階のダンスフロアは、すき間なく人で埋まっていた。かつて変電所だった建物は、内装の随所に機械的な要素が残り、バースポット、喫煙所などに分かれている。休憩できるようなボックスも。抱き合う恋人たち、一人で音楽に体を揺らせる男性、男性同士で親密そうに語り合う様子も。楽しみ方はさまざまだ。「ここは、外国からのクラブ目的で来る観光客が絶対に来たがる場所」と浅沼さんが教えてくれた。

 昼ごろ、別のクラブに移動した。大きなゲイパーティーがあるという。どんな雰囲気かと思いきや、私たちのような女性同士から女性一人の客、60代くらいとみられる男性の団体など、客層はさまざまだった。ひときわベビーフェースの男性DJが気になった。「彼はまだ20歳。でも、いまとても注目されている若手の一人」と浅沼さん。

 いずれもクラブの外で客がわめき散らしたりゴミが散乱したりということはなかった。周囲の建物とのほどよい距離感が保たれ、外観は整然としていた。

 駅前の商業地区にある小さなクラブにも行った。建物がホテルに改装されるため、大家からの通告で、移転を余儀なくされているとのことだった。

     ◇

 市中心部のベルリン観光局。「窓の外を見て」。ブルクハード・キーカー最高経営責任者(CEO)が指さす先には緑がまぶしい広場が広がっていた。「街の65%は第2次大戦で破壊され、その後40年間街は分断されていた。私たちはデメリットをアドバンテージに変えた。パリにも東京にもマネできません」

 この街の特異な歴史と、クラブカルチャーの発達は密接に関係している。旧東ドイツに囲まれた自由の地、西ベルリンには海外のアーティストなどが多く滞在した。1989年にベルリンの壁が崩壊し、首都の再開発がされる中、廃虚となった旧東ドイツの土地や建物には、アンダーグラウンドなクラブが、次々と産声をあげていく。管理の目が行き届かないため、実験的な試みをするクラブも多く、そこで無名のDJらがどんどん育っていった。だが街の開発とともに、次々に閉店に追い込まれていった。

 そうした中、周辺との話し合いが必要となり、対地域のクラブ側窓口として2000年に「クラブコミッション」(CC)が誕生した。「地域に出ていって、自分たちの存在を説明して、解決策をさがす。それが僕たちの使命」。喫茶店で落ち合ったCCの広報担当、ルッツ・ライヒセンリングさん(33)は、まっすぐ前を見据えて、そう語った。

 地域住民には、音楽から派生するファッションなどの文化の価値について説得し、行政当局には、まちづくりや観光への波及など、業界が生む経済効果を説明。「ネガティブではなく、ポジティブな部分に光をあてた」。同時に、ドラッグ問題や騒音問題も内部で議論。バイクの路上駐輪で苦情が来ていたクラブには、駐輪場をつくらせた。

 外の世界と話ができる、少し中心から離れた立ち位置の人材をリーダーに据えた。それまでは、先にそこにあったクラブが後からできる建物側から立ち退きを迫られる例が相次ぎ、「裁判所に行くか閉店するか」の選択肢かなかったが、話し合いをするという選択肢ができた。「思いを伝え、姿勢を示すことが大切だと思う」。ライヒセンリングさんは、笑顔で語った。

 オペラや交響楽団のような「ハイカルチャー」には、公的な資金援助があるのに、ベルリンの“売り”でもある「サブカルチャー」の価値を認めないのはなぜ――。そんな問いをCCは、行政に突きつけた。すると、ベルリン市議会が「ミュージックボード(音楽委員会、MB)」をつくることになった。「山ほどの書類を用意し、業界の人たちにヒアリングをした」。1月1日に事務所を構えて正式発足したMBのリーダーで、元女優のカチャ・ルッカーさんは笑う。

 クラブ周辺の騒音問題などの話し合いの場の設定▽不動産開発の参考資料にもなるクラブのマップの作成▽若いアーティストの育成――。市から下りた予算で今年取り組むこととして、ルッカーさんはそれらを挙げた。「私自身政治出身でないし、何かを代表しているわけでもないからできる。これから、新しいことをやっていくわ」

 「ベルリンを訪れる観光客の35%が、訪れた目的の一つにナイトライフを挙げた」「観光客の42%は、ドイツ国外から。ベルリンは国際都市です」。ベルリン観光局のキーカーさんは、マーケティングや統計上の数字を挙げながら、ベルリンの魅力をアピールした。そして、言った。「クラブは私たちにとってとても重要。彼らが街のブランドを保ってくれている。宣伝費を払わなくてもね。CCが努力をして、私たちに『クールシティー(かっこいい街)』の魅力を気付かせてくれた」

 若い文化がベルリンに定着した背景を訪ねると、キーカーさんはこう答えた。「街に3Tがあるから」。Talent(才能)、Tolerance(許容、包容)、Technology(技術)という。

 二つ目のTに首をかしげる私に、キーカーさんはこう説明した。「ベルリンにはいわゆる『オールドエリート』がいない。市民の5割は、20年前にはここにいなかった人たちなんだ。特異な歴史を経て、『ずっとあった物が永遠にあり続けるわけがない』ことも知っている」。新しいものや異質なるものを認容する空気が漂っているようだ。

 ベルリンの街を歩くと、日本では考えられない光景を目にする。地下鉄には改札がなく、自転車やペットも特定の車両ならば乗り込める。デパート内でも、犬を連れて買い物が楽しめる。他人のやりたいこと、自分が守りたいこと。その二つが衝突するとき、折り合いをつけるのはいつも困難だ。だが、皆それぞれ主張があるということを「許容」し、距離を置くなり、話し合うなりするという文化が、この街の独特の雰囲気を支えていると感じた。

     ◇

 ドイツと日本は歴史、風土、言葉、政治、すべてにおいて異なる。だが、風営法問題やその背景を考えたとき、日本が見習うべき点があると感じた。それは、風俗営業法の議論のみならず、日本社会が抱えるさまざまな問題に通ずるものでもあるのではないか。多様性を認め、どう折り合いをつけていくか。社会の根底が問われていると感じた。

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