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2012年8月21日18時50分
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15世紀にも連動巨大地震? 南海トラフと相模トラフ

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写真:15世紀末に起きたと考えられる津波の痕跡。目盛りの付いた棒の上端の赤い印の高さにある茶色の層=静岡県伊東市宇佐美、伊東市教育委員会の金子浩之さん提供拡大15世紀末に起きたと考えられる津波の痕跡。目盛りの付いた棒の上端の赤い印の高さにある茶色の層=静岡県伊東市宇佐美、伊東市教育委員会の金子浩之さん提供

写真:15世紀に起きたと考えられる津波の痕跡拡大15世紀に起きたと考えられる津波の痕跡

図:相模トラフと南海トラフ拡大相模トラフと南海トラフ

 相模湾を震源とする巨大な地震が15世紀に起きていたかもしれない。津波の痕跡や史料などから、1495(明応4)年に相模湾沿岸が大津波に襲われた地震が発生した可能性のあることがわかった。その3年後に南海トラフの地震が発生。明応4年の地震はこれと混同されたとして、理科年表にも載っていないが、専門家は相模トラフと南海トラフの大地震が連続する可能性も指摘している。

 相模トラフの巨大地震では、1703年の元禄関東地震があり、その4年後の1707年に南海トラフを震源とする宝永地震が起きている。明応4年に地震があったとすれば、相模トラフと南海トラフでは、これまでに少なくとも2回、3〜4年の時間差で大地震が続いたことになる。

 明応4年の地震については、「鎌倉大日記」に「大地震洪水 大仏殿破堂舎屋 死人二百余」などと書かれている。しかし、南海トラフで1498(明応7)年に起きた地震と混同した記載とされてきた。

 ところが、静岡県伊東市宇佐美の遺跡で、津波で運ばれた砂とみられる地層が見つかった。標高7.8メートルで、見つかった陶磁器片から15世紀末の津波でできた地層と考えられるという。

 駿河湾から西に延びる南海トラフの地震では、伊豆半島東側に8メートルの津波が来襲するとは考えにくい。

 疑問を持った伊東市教委の金子浩之さんは史料を調べ直した。熊野社(和歌山県)の「熊野年代記」や京都の公家の日記にも明応4年の地震の記録があった。明応時代の地震で相模湾に面した江の島が沈降した記録もあり、明応7年の南海トラフの地震とは別に、明応4年に相模トラフを震源とする関東地震があったと結論づけた。

 地震研究者の間でも、この時期の地震の解釈は議論になっており、伊豆半島から駿河湾の南側に新しいプレート(岩板)境界ができつつあり、そこが震源ではないか、との指摘もある。宇佐美の遺跡を調べた産業技術総合研究所海溝型地震履歴研究チームの藤原治主任研究員は「この時期の相模湾の津波をすべて南海トラフの地震が原因とするのには疑問がある」と話す。

 最近、三浦半島で1293年の地震によるとみられる津波の痕跡が見つかった。明応4年の関東地震があったとすれば、関東大震災(1923年)まで四つの地震が約200年間隔で起きたことになる。(編集委員・黒沢大陸)

     ◇

 《東京大地震研究所の佐竹健治教授(地震学)の話》 伊豆半島の宇佐美で7.8メートルの津波は、南海トラフの地震では考えられず、関東地震タイプの可能性が大きいと思う。南海トラフと相模トラフの地震は、近い時期に連続するのが普通かもしれない。

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