第5回 もうひとつの支え
働きながら
慶応大学を卒業した高桑早生は今春、芸能大手エイベックスに就職した。タレントのマネジャー業務で知られる会社だ。歌手や俳優、モデルが多く所属する。障がい者雇用にも積極的で、早生を含む12人の障がい者アスリートを採用している。早生は、東京・六本木にある本社の広報課に配属され、社内外のPRなどを担当する。紺色のビジネススーツに身を包んだ早生は、本社で会うと、パリパリの新入社員風だ。「2年目からはカジュアルな服で出勤してもOKなんですけど、1年目はスーツ着用がルールでして」と照れ笑いを浮かべる。出勤が求められるのは火曜、木曜、金曜。コンピューターの電源を落として午後3時に退席すると、まっすぐ横浜か代々木の練習場へ向かう。トラックに着くと、日常用の義足を、競技用の義足にはきかえる。

姉と暮らす
練習を終えると、新宿区内の家へ帰る。姉の生恵(25)と2人暮らしだ。生恵は埼玉県内に住んでいたが、ごく最近、転職をして、妹のもとへ合流した。「早生があちこちの大会に出るようになって、ロンドンのパラリンピック前からは新聞やテレビの取材も増えた。落ち込むことや辛いこともある。食生活も含め、だれかのサポートが必要かなと思って、私の学生時代以来の姉妹2人暮らしを再開したわけです」生恵によると、早生は幼いころから運動神経に恵まれていた。三輪車も一輪車も自力でスイスイ乗り始める。自転車も、親や姉が後ろから支える必要すらなかった。鉄棒の逆上がりも得意中の得意。テニスを始めれば3歳上の生恵の技量をやすやすと超えた。
4人のシャツ
そんな天性のアスリートに左足切断の運命が待っていたとは、生恵には予想もできなかった。早生が中1の夏、手術を終えて退院した直後、一家はペットを飼い始めた。早生を励ますためだった。パピヨンという犬種のオスを選び、「ポロ」と名付けた。

早生は子供のころからハンバーガーやフライドポテト、炭酸飲料が大好きだ。しかし世界というステージで戦うためには栄養摂取にも気を配らなくてはいけない。大会が近づくと、生恵は「ハンバーガー断ち」を妹に命じる。「競技内容のことはよくわかりませんが、メンタルな面なら支えてあげられる。競技に集中できるよう生活環境を整えてあげたい」ほんの数年前まで、早生は大会や練習に家族が来ることをあまり好まなかった。「恥ずかしいから見に来ないで」「来ても声援は控えめに」最近は言わなくなった。単身赴任中の父、生一が上海から応援に来ると素直に喜ぶようになった。昨秋の韓国・仁川での大会には、母と姉、友人ら女性4人で応援に出かけた。そろいの紺色のシャツに一文字ずつ「高」「桑」「早」「生」と名前を大書して、スタンドから遠慮なく大声援を飛ばした。

早生が抗がん剤治療のたびに悲しいほど無口になった10年前の夏が、遠い昔の幻のことのように思えた。(特別編集委員・山中季広)
