第3回 「やる」を育む

生まれながら両手、両足にしょうがいがあったことで、アスリートの精神と肉体を養った。 長崎県西海市の高校3年生、ちょうかい れんしは、17歳でリオデジャネイロ・パラリンピックの男子車いすバスケットボール日本代表にチーム最年少で入った。スポーツ選手に欠かせない挑戦する心と強い体を育てたのは、母・由理江と父・隆一、そして保育園の「何でもやらせる」という方針だ。 幼少期を過ごした長崎市の菜の花こども園の運動会で、れんしは障害物競走に出ている。両ひざから切断した足で運動場を駆け回る。2メートル近くはある木製の壁に指2本の左手、指4本の右手を使ってよじ登って飛び降りた。どうしてもできない渡り鉄棒では、代わりに逆立ち走りをする。歓声と拍手に包まれてゴールした。

母・由理江さんインタビュー

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心の難題

障害がある子どもの心の成長には難題がある。障害児のスポーツを支援している橋本大佑さんは、「障害が原因で『できない』体験を繰り返すことで、挑戦前に本人が諦めるようになったり、それを最も近くで見ている周囲の方が、本人の限界を決めてしまったりすることがある。その結果、新しいことへのチャレンジ精神が失われていくことがある」と話す。 れんしは、そうはならなかった。「保育園(時代の過ごし方)が大きいのかな。自分のペースに合わせてくれていたし、周りから見てできないだろうということがあっても、『やる』と言ったことをやらせてもらった。それもあって、自分が決めたことを何でもやるし、自分には限界がないと考えるようになった」

1歳のころのちょうかい れんし選手

れんしは99年に長崎市で生まれた。由理江は「生まれてすぐに対面できなかったことと、夫の表情を見て何かあったとわかった」と出産した時のことを振り返る。両手の指が少なく、両足のすねの骨のうちけいこつがない。両足の裏が頭の方を向いていた。「一生そばで、面倒をみることになると思った」。由理江は、そう覚悟を決めたという。 れんしと病院に頻繁に通うため、1歳年上の兄・たいじゅを保育園に預けようと、由理江は「菜の花こども園」を訪ねた。そこで、園長の石木和子に「この子(れんし)はいつから預ける?」と聞かれた。「いじめられるかもしれない」と、由理江はちゅうちょしたという。が、「早めに色んな人と会って、周りにも理解してもらえるように、早く入れなさい」という石木の言葉に背中を押され、4カ月のれんしたいじゅと共に預けた。 ひざ下の細いひこつを利用して足を残す治療を続けていたが、れんしは補助具を着けるのをいやがった。東京都の医師に「この子は、自由にしてあげたほうがいい」と両足の切断を勧められたこと、埼玉県にいた同じ症例の子が、階段を下りてきたのを見て、由理江は決断する。3歳になって、れんしは両足を切断した。

全身で遊ばせる

菜の花こども園は「全身で遊ぶことで、脳も発達する」という考え方で保育をする。しょうがいじも健常児も一緒に、同じように育てた。かけっこでは、一生懸命走ったら、速い遅い関係なく褒めた。 れんしは、ひっきりなしに動き回る子で、好きなように遊ばせた。ただ、壁をよじ登って飛び降りる障害物競走をやらせるかどうか、「けがをしたら私が非難される」と、石木は迷ったという。しかし、「子どもは、できると感じているからこそ、やると言っている」と自分に言い聞かせ、本人のやりたいようにやらせた。由理江も隆一も、れんしがやりたいと言うことを止めなかった。 小学校時代は、ドッジボールも、両足に義足を着けてサッカーも、他の児童と同じ条件で一緒に遊んだ。義足でスノーボードにも挑戦した。そして中学1年で、女子バスケットボール部のコーチに誘われて車いすバスケを知る。れんしは「(バスケ専用)車いすのターンが速くて、面白いと思った」。持ち前の運動神経の良さで一気に上達し、高校1年で日本代表に選ばれた。

ちょうかい れんし リオに向けて

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脅かす力

れんしの選手としての長所は、手のしょうがいにある。 足だけでなく手にもしょうがいがあるため、れんしの持ち点はしょうがいが重く点数が低い2になる。2点の選手は、腹筋と背筋が完全に利かない場合が多いが、れんしは腰から上の筋力をフルに使って車いすをこぐことができる。車いすバスケはコート上の5選手の持ち点合計が14点を超えてはいけない。低い持ち点ながら、スピードと俊敏さがあり、バランスもとれる鳥海は重宝される。

アジア・オセアニア選手権の3位決定戦(日本―韓国)でパスをするちょうかい れんし選手=2015年10月

「自分よりうまい選手がいるのが悔しい。コート上の誰よりもうまくなってやる、という思い」とれんしどんよくだ。日本代表の年上の選手たちを脅かし、チーム内競争を激しくする存在だ。パラリンピックのリオデジャネイロ大会での活躍はもちろん、その4年後の東京大会ではチームをけんいんする存在となることを期待されている。 「東京パラでしっかり結果を出して、海外のプロに行きたい」。やると決めたことはやり遂げてきた。その夢も、いずれ実現させるだろう。ごとう たいすけ

=敬称略