071000分の1秒の先へ

第1回 両足義足のサイクリスト

じてんしゃ

自分の足でペダルを踏むことによって車輪を回転させて走る乗り物(大辞泉から)

辞書の定義を覆す自転車競技者がいる。ふじたまさき、31歳。大学時代に交通事故に遭い、両足のひざから下を失った。代わりに義足をペダルに連結してこぐ。世界的にもめずらしい両足義足のサイクリストだ。自転車、選手、義足が一体となりスピードは時速60キロに迫る。1000分の1秒単位の勝負を繰り広げる。

日本のエース

リオデジャネイロ・パラリンピックイヤーの幕開けとなった1月、アジア選手権が開かれた静岡・伊豆ベロドロームに藤田の姿があった。出場種目の一つ、相手を追い抜くか走りきったタイムで競う3キロ個人追い抜きは、リオでメダルが期待されている。藤田は中国の選手を軽々と抜き去り優勝を決めた。 藤田のベストタイムは日本記録の3分36秒164。自転車競技は伝統的に欧米選手が強く、トップ選手は3分30秒台前半で走る。藤田はそこに風穴を開け、この種目で日本人初の金メダルをもぎ取ろうとしている。 「『足がない』『腕がない』ではなくて、自転車競技者としてどこまで成長できるのか。その戦いに挑んでいる」 自転車に再び乗り始めて10年あまり。日本のエースとして着実に実力を積み重ねてきた。

「できない」は嫌だ

パラ・アスリートのための自転車競技「パラサイクリング」はしょうがいの種類と使用する自転車でクラス分けされている。目の不自由な選手は目の見えるパイロットと2人乗りのタンデム自転車に乗り、下半身が思うように動かない選手はハンドバイクを使う。 藤田は通常の自転車に乗るクラスの選手。自転車の規約(レギュレーション)や競技ルールは原則、一般の自転車競技と同じ。種目を大きく分けると、競輪のように競技場を周回するトラック競技と、ツール・ド・フランスのように公道を走るロード競技がある。 両足を失う前、藤田は大学でトライアスロンをしていた。事故からわずか2年後に現役復帰し、スイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロの計51.5キロを完走した。 「落ち込んだこともあったけれど、足が無くなったならば義足でやったらいいじゃないかと」 できない、と言われるのが嫌だった。根拠のない自信もあった。トライアスロン以外にも自転車のレースに出場するようになり、その走りが注目されるようになった。 才能は本格的に自転車競技を始めてまもなく花開く。2008年の北京パラリンピックに出場し、トラック競技2種目で銀、ロード競技で銅といきなり三つのメダルを手に入れた。それでも藤田は「金メダルをめざして乗り込んだ。勝つためにはまだ経験が足りなかった」と悔しがる。 その4年後、ロンドン大会ではロード競技で銅メダルを獲得したが、トラック競技では惨敗した。「これでは何をしに来たのか分からない」。再起を誓う藤田は、あるトレーニング方法を取り入れることになった。

リオ・パラリンピック パラサイクリング日本代表選手の動画

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科学的な視点

伊豆ベロドロームであった日本代表チームの合宿。練習が終わりほかの選手たちが引き上げた後も、藤田は1時間近く、ひざをつき合わせて話し込んでいた。相手は工学博士のかきのき かつゆき。2014年からチームに加わり、科学的な視点で選手をサポートしている。 かきのきのアプローチは運動生理学の知見をもとに、選手の能力や目標、トレーニングの質や量を数値によって示すことだ。自転車に計測器を設置してペダルの回転数や踏み込む力、巡航速度などを測定し分析。そこから選手のいまの能力を導き出し、目標とするレースが要求するレベルに達するためのトレーニングを提案していく。 かきのきは「選手が本当に頑張っているのかどうか、データを見れば分かる。選手の力を正確に測って分析し、選手強化に生かしていけば、トレーニングは『技術』になり得る」と話す。 藤田自身、それまでも走行データは計測していたが、詳細に分析し活用するまでには至っていなかった。「すごく強力な人が加わった。データによって自分の現状を知ることができる」

メダリストの弱音

パラリンピック2大会連続のメダリストの藤田だが、世界の競技レベルは年々上がっている。データ分析をしたかきのきにはまだ練習量が足りず、トレーニングの強度も十分ではないと映った。 「藤田君がメダルを取ったかどうかではなくて、高いレベルの中で戦う場合、まだ選手と呼べる水準には至っていなかった」 練習メニューはメールで届く。持久力を上げパワーと高めるための項目がずらりと並ぶ。練習量はそれまでの1.5倍から2倍に増えた。 かきのきは「プロでもこなせない選手はいる。続けられるかどうかが大きな分かれ目」と話す。 藤田は向き合った。フルタイムで仕事をしながら夜間や週末に課題をこなした。疲労が蓄積するなかで、走りのパフォーマンスを上げ続けた。 「言い方は悪いが、自分で拷問を与えて、それに耐えている感じ。でも、やめてしまうとゴールにはいけない」 2015年3月、藤田とかきのきは世界選手権が開かれるオランダに向かうため飛行機に乗っていた。これまでの取り組みを振り返りながら藤田が打ち明けた。 「トレーニングがきつすぎる。殺されるかと思った」 冗談交じりとはいえ、肉体的にも、精神的にも追い詰められていた。 むかい ひろき

=敬称略

藤田征樹選手 インタビューの動画

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