第2回 孤独な剣士 己と戦う

ベテラン、今は新人

オリンピアンの強化拠点、東京にある国立スポーツ科学センター(ジェイアイエスエス)。フェンシングのトップ選手たちが練習する中、車いすフェンシングのやす なおきはぽつり、剣を振っていた。「教えてください、お願いします」年下の選手たちに頭を下げて回る。車いすバスケットボール時代はベテランとあがめられたが、あくまで今は競技歴1年の新人だ。車いすフェンシングの拠点は京都にあり、東京には常設の練習場がない。安はバスケ時代の実績と将来性を買われ、ジェイアイエスエスに専用の競技台を置けるようになったが、選手は基本的に安のみ。対戦相手を見つけるのもやっとの状態だった。そんな安を見かねたのか、代表チームのコーチ陣が練習相手を引き受けてくれるようになった。「大丈夫か?同じフェンシングのチームじゃないか」。五輪銀メダリスト・太田雄貴を長く支えるコーチ、オレグ・マツェイチュクもその輪に加わった。少しずつ、自ら道を切り開いていった安は「地道にコツコツやって来た努力が実った気がした」。フェンシングナショナルチームのコーチで、車いすフェンシングとの連携強化を進めている江村宏二は「最近、めきめきと腕を上げている。アスリートとして『何か持っている』と感じさせるものがある」と評価する。

練習用の人形に向かって1人、剣を繰り出す=東京

左から右に

競技を始めて7カ月たったころ、安は新たな壁に直面していた。それまで利き腕でない左手で剣を握っていた。車いすバスケで右腕のひじと肩を痛めていた上、左利きの方が何となく有利に戦えると思っていた。しかし、左足の股関節が曲がらないため、左手で剣を出しても体がねじれてバランスが悪い。自身2回目の国際大会となるハンガリーでの世界選手権は、そんな状態で戦っていた。対戦相手は2カ月前のワールドカップで敗れたブラジル人選手。逆転勝利し、国外で初の勝利をつかんだが、「たまたま勝てただけ」。試合を支配できず、満足のいく内容ではなかった。フォームが気になり計測してみると、右手でアタックしたときの方が安定していた。「左手でがっつりやりこんでいた。その努力が無駄になってしまうのでは」不安は大きかったが、思い切って剣を右手に持ち替えた。心配をよそにすぐに体勢が安定し、まっすぐ剣を繰り出せるようになった。

車いすフェンシングの選手と対戦形式の練習をする やすなおき=京都

「もっと大差で」

右利きに変えてから2カ月後の昨年末。東京・駒沢体育館であったオープン大会決勝の舞台に、安の姿があった。健常者フェンシングの全日本選手権と初の同時開催が実現し、多くの観客の目が注がれていた。相手はかつて健常者フェンシングの選手だった日本のエース。15点先取で9点までシーソーゲームが続いた。「ここで負けたら駄目だ」。緊張感はあったが意外なほど冷静だった。着実にポイントを重ね、15-11で打ち破った。全国に20人ほどの選手のうち、大会出場者は4人。決勝の相手は安より障害の程度が重いカテゴリーに属する。とはいえ、以前はまったく歯が立たなかった。安は「達成感を味わえた。次はもっと大差で勝てるようになりたい」と意気込んだ。

2020年への挑戦の動画(音声が含まれています)

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東京で結果を

「2020年の東京で結果を出す」安が掲げる目標だ。日本代表の強化指定選手とはいえ、カテゴリーAの安は男子フルーレの世界ランキングで67位。車いすバスケ時代、20年以上かけて手が届かなかったパラリンピックのメダルを、残り4年半でつかもうとしている。4月上旬にはリオ・パラリンピックにつながるアジア選手権がある。優勝すればリオが決まるが、当初、東京の糧になればぐらいに考えていた。「何を言っているの? そんなんじゃ、これから先も勝てないよ」。ジェイアイエスエスのトレーナーに一蹴された。厳しい言葉に安の中でスイッチが入った。最近、新たな目標が加わった。「メダルは当たり前。その取り方にまでこだわりたい」もはやビッグマウスと取られかねないが、本人は至ってまじめだ。モットーは「有言実行」。2020年まで大好きな酒を断つことも、わざわざブログで宣言した。2020年には安は42歳になっている。「結果をだす苦しさは身にしみている。挫折せずにこの挑戦を続けていけるのか。アスリートとして俺自身を試したい」(向井宏樹)

=敬称略