第1回 褒められる悔しさ

手探りの朝

誰もいない薄暗いプールに、慣れた足取りの男が近づき、そして勢いよく飛び込んだ。午前7時。木村敬一(25)のいつもの光景だ。水しぶきと激しい息づかいがリズムを刻んでプール内に響き渡った。木村の起床は朝5時過ぎ。起き抜けに頬張るおにぎりやパンは、前日にコンビニで買ったものだ。手探りで手に取ったパンは、食べてみて初めて具の中身がわかることも。練習の場に向かうために玄関を出ると、頬を切る冷たい風が、まだ日が上がっていないことを感じさせる。一日が始まった。

白杖をつきながら練習場に向かう木村選手

プールで木村は準備運動代わりに400メートルを一気に泳ぎ切った。幅2.5メートルのコースを時々左右に曲がりながらも、鍛え上げられたたくましい腕が木村の体をぐいぐいと前に押し上げる。練習を始めて30分が過ぎたころだろうか。木村の上腕は、プラスチック製のコースロープにこすれて、うっすらと赤くなっていた。慣れた痛み。気にするそぶりもないまま、激しく息を上げて練習を続けた。

金メダルへの期待

2008年の北京、2012年のロンドンとパラリンピックに2度出場した。今年夏に迫ったリオデジャネイロ・パラリンピックには、競泳界でもっとも早い昨年7月に出場が内定した。水から上がった日常生活は、木村にとっては決して優しくない。木村を導く白い杖を頼りにしても、電柱にぶつかり、車にひかれそうになることもある。しかし、木村はそれを嘆く姿をいっこうに見せない。頭の中は、3度目のパラリンピックに向かっているからだ。金メダルへの期待は、日に日に重みを増していくように感じている。今までに感じたことのない不安が眠りを妨げることも増えた。「日々の練習は間違ってない。コーチを信じて、自分を信じて、結果を信じて、泳ぐしかない」朝練を終えて外に出ると、頬には太陽の暖かさが伝わってきた。いつもの木村の一日が続いていく。

2歳の誕生日パーティーで

「電気付けて」

木村敬一は1990年9月、滋賀県栗東市に生まれた。会社員の父、稔(56)と母、正美(54)は、よちよちと歩き始めたばかりの息子が度々食卓の角にぶつかり、目の焦点が合っていないことに気づき、小児医療センターに駆け込んだ。増殖性硝子体網膜症。医師はそう診断し、言った。「治療をしても、見えるようにはなりません。盲児として育てて下さい」。それでも手術をすれば良くなる、両親はそう信じた。1993年、2歳4カ月から4カ月にわたり入院し、全身麻酔で手術を繰り返した。敬一に目が見えた記憶はないが、最後となった3度目の手術が終わり、眼帯を外した時の息子の声を、正美は忘れられない。「真っ暗だ。電気付けて」県立盲学校の小学部は自宅から車で1時間ほどかかるため、1年生の時から寄宿舎生活を送った。正美は、金曜の夜に自宅に帰ってくる息子のために毎週末カレーライスや焼き肉などの好物を作った。稔は敬一と自宅近くの琵琶湖へ泳ぎに行ったり、野球やF1の観戦、栗拾いに連れ出したりした。見て学ぶことができない息子に、手触りや音、匂い、空気で色々なことを体感させたかった。小学校卒業後に上京し、都内にある筑波大付属盲学校中学部に進学。本格的に水泳を始めた。もともとは正美が週に1度、寄宿舎から息子を数時間連れ出せることがうれしくてスイミングに通わせたことが、才能を開花させるきっかけになった。

父・稔さんインタビューの動画(音声が含まれています)

この動画の内容をテキストで読む

正美は今でも、ちゃんとご飯を食べているか、駅のホームに落ちていないか、敬一を心配しない日はない。でも、「本人が『大丈夫、大丈夫』と言うときは、きっと私が思うより大変なときなんだと思う。心配より、応援してあげなくちゃと思う」と話す。稔は、敬一が「パラリンピックは一般の人が見たら『なんだ、遅い』と思われるんじゃないか」と話していたことが印象深い。「一生懸命やって、歯がゆい思いもあるだろうけど、障害を理解してもらうために、パラリンピックの魅力を伝えるために、息子なりに考えているのだろう」

11歳のころ、地元のスイミングクラブで泳ぐ木村選手

五輪との差

14.36秒。木村敬一と、五輪の差だ。木村がロンドンパラリンピックで銀メダルを獲得した100メートル平泳ぎ。木村のベストタイムは1分12秒28だ。一方で五輪はどうか。現在の世界新記録はアダム・ピーティ(英)がもつ57秒92。北京で北島康介が金メダルをとった時に更新した当時の世界新記録は58秒91だ。

14秒以上の差について、木村はこう話す。「パラリンピック選手は、五輪選手よりタイムが遅くても、周りの人は自分をアスリートとして扱ってくれるし、褒めてくれる。それが悔しい。その気持ちに甘えて、五輪選手よりタイムが遅いことを全盲のせいにしたら、成長は止まってしまう」五輪選手と同じ競技者として、タイムが追いつけないことへの劣等感は常に感じている。「パラリンピックだから、こんなものか。しょうがない」とは思われたくない。(斉藤寛子)
協力:日本大学

=敬称略