第2回 王者の日常

5食のノルマ

曲がっても、コースロープにぶつかっても、木村敬一(25)は、泳ぎ続ける。失速も痛みもはねのける強さは、その体作りにある。現在の筋肉質な体は、どうしてできあがったのか。始まりは、水泳の練習を本格的に始めた中学1年の冬から、筋力トレーニングに力を入れたことが基礎になっている。もともと痩せ体質で、食も細い。今でも食べる量が減ると、途端に体重が落ち、スタミナが一気になくなってしまうこともある。食べるのも、練習の一部だ。日本大学入学時から一人暮らしを始め、自炊をしていた。盲学校では中学、高校時代、調理実習がある。カップの内側に指を入れて分量を量ったり、包丁の刃先に左手を添えて食べ物を切ったり。1日3.5合の米を炊き、野菜炒めやカレーを作っていた。

日本大学のジムで筋力トレーニングをする木村選手

2012年のロンドン・パラリンピックでは銀と銅のメダルを獲得した。翌年、同大大学院に進学し、同時に東京ガスに選手生活を優先できる社員として入社した。大学院修了後の2015年からは日本大学を拠点に、さらに練習に集中できる生活になった。ロンドン大会前、木村の体重は60キロほどだった。いまは身長171cm、体重66~68キロ。体脂肪は7%だ。リオデジャネイロ・パラリンピックを見据えたコーチの指示は、今冬の強度を上げた練習に耐えるために、1日5食でさらに大きな体を作ること。この冬で3キロ以上は増やし、上半身も太くなった。一日の食事は5回。まずは、早朝6時半からの練習前におにぎりやパンを食べる。朝練後にどんぶりご飯におかずの定食、そして昼食も同じように食べて、夜の練習前にまたおにぎりなどほおばり、練習後は夜食を食べる。炭水化物やたんぱく質を意識して摂取している。

木村けいいちの食事についての動画(音声が含まれています)

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木村にとって、毎日5食を確保することはとても面倒だ。疲労のため、最近は自炊からも遠ざかっている。コンビニやスーパー、また飲食店で、誰かの助け無しに一人気ままに買い物や食事を済ませることも難しい。最近ではほとんどの食品のパッケージの裏に表示されている栄養素やカロリーも、木村には確認ができない。昨年は国が五輪やパラリンピックの選手に行う栄養士による食事指導を受けた。昨秋には実際に毎食何を食べたか全て報告し、食事を見直した。免疫力を上げるために乳製品をとるよう指導を受け、定食屋で木村に必要な栄養が考えられた特別メニューを作ってもらったこともあった。山盛りのご飯は時に、泳ぐことよりつらいこともある。ハードな練習で疲れ、箸が重く感じることもしょっちゅうだ。「食べることも、トレーニング。体を鍛えることと同じだ」と、自分に言い聞かせる。自宅や大学の周辺で毎日のように通う近所のなじみの飲食店や商店には、活躍を応援しながら、体もいたわってくれる人たちがいる。「あいつが店に入ると、食券を買わなくてもどんぶりが出てくる」友人たちの笑い話も、励みに感じている。

暗闇の衝撃

木村の精神面を支える大事な時間がある。何でもさらけ出せる盲学校や大学で知り合った数多くの友人たち。その仲間とワイワイ盛り上がり、大笑いすること。それが木村をより強くする。日本大学で同級生だったつだ たかし(25)とおがた のぶき(25)は、授業や水泳サークルで共に大学生活を楽しんだ友人だ。2人とも、初めの数カ月は全盲の友人にどう接すればいいか、戸惑いの連続だった。腕を貸して歩く時は一歩ずつ段差に気をつけたり、食事は何がどこにあるのかお皿まで手を引いたり。料理の内容も事細かに説明した。携帯電話の音声読み上げ機能でメールができると聞いた時は、返信メールの絵文字に「使えるんだ」と驚いたと振り返る。しかし、そんな戸惑いの日々は長くはなかった。木村と毎日のように一緒に過ごすなかで、必要なアシストは自然に生まれた。「そんなに気をつかわなくても大丈夫なんだって、すぐに気づいた」と尾形。授業中の板書を小声で読み上げ、言葉で説明するのが難しい図面はノートを切って立体模型を作り、触れて理解できるように工夫した。盛り上がり過ぎて教授に怒られたことも、今ではいい思い出だ。

ジャパンパラ水泳競技大会で係員に誘導されプールに向かう木村選手

日常生活に慣れる一方、木村の「特別なすごさ」を実感したのは、水泳サークルで練習を始めてからだ。2人とも、子どものころから競泳で活躍していた選手だった。木村との日々の練習では、ゴールの手前で頭を軽くたたいて合図を出すぐらいで、特に違和感はなかった。しかし、木村のような全盲選手が試合の時に着用を義務づけられている真っ黒く塗られ、何も見えないブラインドゴーグルをつけて泳ぐ体験をして、木村への見方は一変した。「暗闇の中を泳ぐのは、いま思い出しても怖いぐらい衝撃だった」と津田は振り返る。まっすぐ泳げず、コースロープにもぶつかった。尾形は、「あいつはこんな世界を泳いでいるのか、しかも俺より速いスピードで。それを知ったら、ただただすごいと思った」。

ロンドン・パラリンピックで、銀メダルを獲得して笑顔を見せる木村選手

厳しさを見守る

ともに大学4年生だった2012年のロンドン・パラリンピック。尾形や津田を含めたサークルの同期8人は、木村を応援するために現地にも駆けつけた。旅費の20万円はそれぞれがバイトや貯金を切り崩して捻出した。しかし、限られた滞在期間中には、木村がメダルをとるレースは見ることができなかった。津田は、木村が期待されていた種目でメダルを逃し、落ち込んでいるのではないかと心配していた。しかし、一足先に帰国した直後、木村がメダルを取ったと報道で知った。津田は、水泳選手だった自らを振り返りながら言う。「僕は選手時代、緊張やプレッシャーが嫌で逃げてしまった。でも、木村はパラリンピックの大舞台で緊張と戦いながら、思うような結果が出なくても最後まで諦めなかった。大学時代の練習でも自分に厳しかった。パラリンピックに出場するって、そういうことができなければかなえられないんだと思う」

日常を支える仲間たちの動画(音声が含まれています)

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大学を卒業後、津田は高校の非常勤講師になり、尾形は飲食店に勤める。以前のように一緒にすごす時間は減った。それでも電話やメールでのやり取りは続いている。冗談を言い合い、悩んでいる気持ちを吐露する。大学時代と同じように。「話を聞いてほしいとき、夜中でも受け止めてくれる仲間がいる。何を言ってくれるわけじゃないけど、それだけでまた前に進める」つながるうれしさを木村はそう語った。(斉藤寛子)
協力:日本大学

=敬称略