第4回 たたいて頂点へ

「タッパー」

全盲スイマー、木村敬一(25)の目になり、一緒に泳ぐ人がいる。レース中の木村の頭をたたき、ターンやゴールのタイミングを教える寺西真人(56)がその人だ。プールサイドに立った人が、棒の先に付いたスポンジのようなもので頭や体の一部をたたき、プールの壁を知らせる。視覚障害のある選手にだけ認められたルールだ。棒をタッピング棒、合図を出す人を「タッパー」と呼ぶ。

タッピング棒を手に、泳いでくる木村選手を迎える寺西

タッパーの寺西は、木村が中学、高校を過ごした筑波大付属盲学校の教諭で、本格的に水泳を始めさせた元コーチでもある。中学1年だった木村に、「おい、お前やってみるか」と声を掛けたのが、きっかけだった。寺西は当時、木村に特別な才能を見いだしたわけではなかった。ただ、人一倍練習し、厳しい課題に「先輩はもっとできたぞ」と発破をかければ悔しがり、タイムはどんどん伸びた。たたけば響く、負けず嫌いの性格に、可能性を感じたのだという。木村が大学進学後は指導から離れたが、その後も日本身体障害者水泳連盟員の立場から国内外の大会や日本代表合宿に同行し、タッパーとして木村を支えてきた。「まるで息子」寺西は、木村の存在をそう例える。「本心を言えば、あいつがどこまでやれるか、最後まで一緒にチャレンジしたい」。離れていても、競技生活から恋愛まで、何でも相談に乗り、力になってやりたいと思っている。

乗りうつる

水泳は、1秒に満たないタイム差を競い合う。木村は0.01秒の差で何度も勝利を勝ち取っている。1センチで0.01秒、げんこつ一つで0.1秒。寺西は、たたくタイミングで距離がずれた場合のタイムロスをこう分析する。木村は、タッパーがたたいた瞬間にターンやゴールのタッチ動作に入るが、水をかく手の動きと推進力は、その日の調子によって少しずつ違う。寺西は、レースごとに木村の体調や精神状態を把握し、どのタイミングでたたけば、無駄なく、最速でターンやゴールができるかを見極めている。「木村がスタートして飛び込んだ瞬間から、自分が木村に乗りうつった気持ちで一緒に泳いでいる。そうすると、たたくタイミングが『ここだ!』と、わかる」ゴール後は、寺西も木村とともに息を切らす。2012年のロンドン・パラリンピックでは、100メートル平泳ぎで木村が2位に入り、念願だった初メダルを獲得した。寺西は泳ぎ終わった木村の腕を取り、突き上げた。木村とともに涙を流した瞬間を寺西は振り返る。「一緒にやってきてよかったな、と。本当にうれしかった」

ロンドン・パラリンピック男子100メートル平泳ぎで銀メダルを獲得した木村。寺西コーチと拳を突き上げた

メダルへの自負

寺西には、悔しい思い出があった。 木村と同じ全盲のスイマーで、寺西が盲学校で水泳を指導し、初めてパラリンピックに送り出した河合純一(40)。河合は、0.04秒でメダルを逃したことがあった。タッピングのタイミング次第で勝てた勝負だったかもしれないと思った。寺西はタッパーとして、どうしらた選手の実力を全て出し切らせてやれるのか、考えるようになった。また、1996年のアトランタ・パラリンピックでのこと。河合が金メダルを獲得し、表彰台に立った時、両脇の海外選手が河合よりはるかに体が大きかった。パラリンピックのレベルは、年々上がっている。体を大きくし、もっと鍛え上げなければ戦えないと実感した。盲学校のプールは、もともとは防火用水池だった場所で、短水路プールの半分に満たない、12メートル。河合が生徒だったころは、このプールを100回以上往復するような泳ぐ練習ばかりさせていた。木村も同じプールで練習していたが、水泳以外に、筋力トレーニングを意識して指導するようにした。

タッピング 一緒になって泳ぐの動画(音声が含まれています)

この動画の内容をテキストで読む

リオデジャネイロ・パラリンピックでも、寺西は木村のタッパーを務める。「自分はタッパーのスペシャリスト。木村にメダルをとらせるためにやっている自負がある。『あの人がたたいて失敗したならしょうがない』。そう思われるぐらい、信頼される存在になりたい」(斉藤寛子)
協力:日本大学

=敬称略