パノラマ写真

第5回 見えないだけ

痛みを笑う

「練習中に負傷しました!(笑)しばらく水に入れなさそうです」全盲スイマー、木村敬一(25)に取材を申し込んでいた予定日の前日夜、突然、木村からメールが届いた。練習中にプールのコースロープに手を突っ込み、親指の爪が割れたという。目が見えないために転んだり、ぶつかったり、木村は頻繁にケガをしているため大したことはないと笑った。だが、出血を見た周囲に、慌てて救急病院に連れていかれたという。幸い、ケガはその後すぐに完治した。木村には以前、クロールで手を前方に入水するときに指を上部へそり上げてしまう癖があった。原因は、一つ。プールの壁やコースロープで突き指することへの恐怖心だ。突き指を防ごうと思えば、スピードを抑えて泳げばいい。スピードに余裕があれば、コースロープの位置も感じながら泳ぐこともでき、進路を大きく曲がってしまうこともない。日頃から白杖(はくじょう)をつき、周囲の障害物に気をつけて生活を送る。習慣から身についた癖が、泳ぐ上で思わぬブレーキになることもある。

上手じゃないから

木村がリオデジャネイロ・パラリンピックで金メダルを目指すバタフライ。ドルフィンキックは、足首をしならせ、こうで水をとらえなければならない。木村の泳ぎは鍛え上げた上半身が力強いかきを生む一方、弱点は足首の柔軟性が足りずにキックを生かし切れないことにある。木村を指導するコーチの野口智博はその理由を、木村が歩く時に段差に気をつけ、すり足気味になる長年の習慣が原因ではないかと見ている。細かく、ピッチを上げたキックができるようにするため、腰回りの筋力を鍛え直し、腰の動きにキックを連動させる練習に励んでいる。「僕は泳ぐのが上手じゃない。だから、すこしでも休めば筋力が落ち、タイムも落ちる」パラリンピックに向けて、練習の強度は日々上がっていく。全力で泳げば泳ぐほど、ケガのリスクも上がるが、それを恐れていては勝利はない。いまの木村にブレーキは要らない。

2000年10月、競泳男子200メートル個人メドレー(視覚障害・SM11)で銀メダルを獲得し、メダルの感触を指で確かめる河合純一=シドニー・国際水泳センター

大きな背中

木村には、追いかける大きな背中がある。筑波大付属盲学校の先輩で、同じ全盲スイマーの河合純一(40)だ。河合は、1992年のバルセロナから2012年のロンドンまで、6大会連続でパラリンピックに出場し、金メダル5個を含む計21個のメダルを獲得した。現在は日本身体障害者水泳連盟会長を務めながら、日本スポーツ振興センターに勤務し、選手のサポートや後進の育成に力を入れる。「ぶつかると痛くないですか」「怖くないですか」河合には、水泳を始めた視覚に障害のある子どもたちからこう尋ねられることが度々ある。河合はこう返す。「痛かったら、正しい泳ぎ方に改善すればいい。初めはつらいけど、頑張ればその先には痛みより楽しいことがある」河合は生まれつき左目が見えず、わずかに視力のあった右目も中学生のころから見えなくなり、15歳で全盲になった。しかし、悲観しているひまはなかった。水泳を始めたのは小学生のころ。中学のころは1日に7千メートルをも泳ぐ練習をしていた。徐々に全てが見えなくなるなか、大きな大会に出場すること、レースで勝つことに集中した。「見えないだけ。死ぬわけじゃない」。そう思えば怖くなかった。経験を積んでいくと、見えなくても水をつかむこと、押すこと、蹴ることを的確にできるようになった。泳ぐことは恐怖心を上回る、好奇心と向上心を芽生えさせてくれた。パラリンピックに出場し、世界一になる。その夢は揺るがなかった。

日本身体障害者水泳連盟 河合純一会長に聞くの動画(音声が含まれています)

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2020年に東京でパラリンピックが開催されることが決まり、選手への期待は、河合自身が選手だったころとは比べものにならないほど大きくなっていると感じている。パラリンピックのレベルは年々上がり、見えない恐怖心やケガのリスクより、もっと色々なことを犠牲にしなければレースでは勝てないだろう、と話す。「選手時代にはいつか終わりがくる。メダルが狙える時期にも限界がある」思い返せば、自身の選手時代は人生で最も楽しい時だった。日本代表チームで励まし合いながら戦えたこと、周囲のみんなが応援してくれたことは、幸せなことだった。でも、選手は練習漬けの毎日に、自分は世界で一番つらいんだ、大変なんだと思ってしまいがちだ。「時にネガティブな気持ちが生まれてしまうこともあるだろう。でも、選手にはそれをポジティブに変える力が大事。そうやって前に進んでほしい」(斉藤寛子)
協力:日本大学

=敬称略