第3回 「人車一体」の境地へ

トップを支える

車いすテニスの歴史を塗り替えたかみじ ゆい。彼女を文字どおり支えているのが車いすだ。千葉市に本社があるオーエックスエンジニアリングがその製造・開発を担っている。かみじのほか、リオ・パラリンピックで車いすテニスシングルス3連覇を狙う国枝慎吾など、国内トップ選手のほとんどがオーエックス製の車いすを使用している。さぞかし大きな工場と思いきや、工場自体はテニスコート1個分ほど。会社の周りには畑や雑木林が広がっていた。工場では原寸大の図面と照らしながらアルミフレームを曲げたり、溶接したり。「熟練の職人たちが手作業で進めています」。広報担当者が説明してくれた。年間出荷台数は2800台。新潟に日常用車いすの生産ラインがあるが、全体の1割に当たる競技用は本社工場で仕上げている。安定性や操作性が求められるため車輪はハの字型をしており、幅も長さもアスリートの体形に合わせて1台ずつ異なる。そのため、日常用よりもより精密さが求められている。この小さな工場で生まれた車いすに乗り、世界の大舞台へと羽ばたいていったかみじ。その歩みをオーエックス社の技術者たちが見つめてきた。

「テニス車」のカスタマイズの動画(音声が含まれています)

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二人三脚で

「最初は勝てずにふてくされていたのに、みるみるうちに強くなっていった」そう話すのはエンジニアの安大輔。かみじが11歳で車いすテニスを始めたころからの付き合いだ。メカニックとして大会に参加するうちに会話を交わすようになり、当時から人並み外れたかみじのセンスに一目置いていた。例えばチェアワーク。思い通りに車いすを操る技術だけでなく、相手の打ったボールを予測して先回りする能力を、その頃から身につけていた。しかし、コートの外では10代の女の子。「安さん、宿題やって~」。お菓子を食べたり、ジュースを飲んだり。楽しみながらテニスをしているのが、年齢が20歳離れた安にも伝わってきた。かみじは初め、お下がりの車いすに乗っていった。地元の大会から全国遠征へ――。着実に活動の広げていく姿に将来性を感じ、オーエックス側から車いすのサポートを申し出た。選手と技術者が二人三脚で開発を進めていくのが安のスタイルだ。しかし、どんな車いすを求めているのか尋ねても、かみじは「結衣ちゃん、わからへん」が口癖だった。そんなかみじが中学、高校へ進むに連れて変わり始める。次第にプレーの幅が広がり、具体的な要求が増えていった。「もっとサーブを打ちやすく」「スムーズにターンしたい」要望を実現するため、背もたれを低く設計したり、旋回性能を高めるためにホイールベースを短くしたりした。かみじは「車いすの情報も知識もなかった時期から、感覚的な部分をくみ取り、形にしてもらってきた」と話す。

かみじを担当するエンジニアの安大輔、千葉市若葉区にて

50ミリの差

「グランドスラム」と呼ばれる四つの大会のダブルスを制した2014年。史上最年少となる20歳で偉業を達成したこの年は、車体としてはほぼ完成していた。かみじの車いすは、パラリンピックに向けて4年スパンで調整する。車いすの大幅な改良や調整は前半の2年間に集中させる。ここで問題点や改善点をあれこれ試し、完成形に近づける。「年間グランドスラム」を達成した14年までにはその作業が終わっていた。大きく改良したのは足を置くフットレストの高さ。左足のかかとの位置を50ミリ上げることで両足の高さをそろえ、上半身が安定するようにした。たった50ミリと思うかも知れない。ただ、世界と戦うパラアスリートにとっては大きな差だ。さらなる高みをめざして、1ミリ単位の調整にこだわる選手もいるほどだ。逆に残りの2年はほとんど手を付けず、改良した車いすを乗りこなす時間に当てる。「車いすを変えることはチャンスでもあり、リスクでもある」と安は話す。大会間際に改良し、万が一、体に合わずプレーに響けば、選手生命を脅かす恐れがあるからだ。この2年で車いすも「変化」していく。体重の重さで座面がたわんだり、背もたれが背中の形に合わせてなじんだりと、徐々に体にフィットしていく。革靴を履き慣らすように時間をかけて乗りこなし、自信に結びつけていく。

オーエックスエンジニアリングの車いす数々

照準、はや東京へ

リオ・パラリンピックまで残り4カ月あまり。リオに向けた車いすの調整はすでに終わっている。「あとは試合を楽しんでもらうだけ」と安も太鼓判を押す。ただ、2020年の東京に向けた戦いは水面下で始まっている。「上半身をもっと使いたい」「長身の選手と戦うため、目線や打点を上げたい」かみじからは早くもこんな要望が寄せられている。こうしたアイデアは、リオが終わってから出し合うのでは東京に間に合わない。大会が終わったと同時に改良・調整に取りかかれるよう、いまから準備を進めている。「車いすは生もの」。それが安の実感だ。体形の変化や求めるプレーに合わせて、車いすはミリ単位で形を変えていく。かみじも「自分の乗りやすい車いすをまだ探している途中」。2020年に向け、新たな構想を練る。人馬一体ならぬ「人車一体」の境地へ――。2人の挑戦に終わりはない。(向井宏樹)

オーエックスエンジニアリング・やすだいすけ アスリートと共に作るの動画(音声が含まれています)

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