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朝日新聞社は中之島で120年以上にわたって新聞を発行。話題を呼ぶ建築物をこの地に建てつづけ、文化の発信役を担ってきた。
1879(明治12)年1月、現在の大阪本社の所在地から約500メートル南の江戸堀で創刊した。棟割り長屋の1軒に印刷機械を置いてのスタートだった。
中之島に本拠を据えたのは1885(明治18)年。梅田停車場が近く、船での新聞用紙の搬入に便利だったからだ。4千平方メートルの敷地がある旧宇和島藩の蔵屋敷を購入し、社屋に改装。刷り上がった新聞は長屋門から荷車で運びだした。
社員が増えて蔵屋敷が手狭になり、1916(大正5)年10月、当時珍しかった鉄筋コンクリート造りの新社屋が完成。4階建てで高さ40メートル近くの時計塔を備え、一般向けの見学会には11月28〜30日の3日間で1万6千人が訪れたという。
10年後には黒に黄金の彩色をほどこした朝日会館(6階建て)を建設した。2階までは印刷などの施設、3階に展覧会場、4〜6階に1600人収容の「公演場」を造り、国内外の演奏家らが来演した。
創刊50周年を記念し、1931(昭和6)年に建てた朝日ビルは今も健在だ。全館完全冷房で、屋上には国内初の航空灯台やアイススケート場を備えるモダンな建物だった。長年親しまれてきた丸みのある外観は、中之島フェスティバルタワーのデザインにも引き継がれている。