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〈メディア激変150〉米メディアの模索―10 コロラドの名門地方紙の廃刊

2010年11月12日17時42分

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 2009年2月26日、コロラド州デンバーの米紙ロッキーマウンテン・ニューズの本社。親会社のE・W・スクリップスのリッチ・ボーネ最高経営責任者(CEO)は、編集局のスタッフを見渡し、こう告げた。「明日、最後の発行になる」。目を赤くするスタッフに、「ビジネスモデルが変わった。ロッキーはその犠牲者になった」と言い、右手で両まぶたを押さえた。

 ボーネCEOが編集局で「ロッキーを売りに出す」と宣言した08年12月、記者たちはノートとペンで様子を書き取った。売りに出されても記者は記者、と主張するかのように。だが買い手はつかず、廃刊を言い渡されたこの日、多くの記者は腕を組み、顔を覆うばかりだった。

 創刊150年、地元で「マイ・ロッキー」と親しまれたコロラド最古の新聞。コロンバイン高校の銃乱射事件やイラクの戦死米兵などの報道で00年以降4度、ピュリツァー賞に輝いた。

 しかし、ネット戦略が立ち遅れていたところを08年秋の金融危機が直撃。08年は1600万ドル(約13億円)の赤字を抱えた。「我々はウェブや新技術について理解せず、努力の大部分を紙の競争につぎ込んできた。消費者中心の会社ではなかった」。ロッキー最後の発行人兼編集長、ジョン・テンプルさん(57)は振り返る。

 ロッキーは、創刊118年の地元紙デンバー・ポストと長く競り合ってきた。部数は08年時点でいずれも約22万5千部と互角で、その分、激しい価格競争を展開。デンバーの新聞の年間購読料は平均120ドルと、主な都市の約半分になった。広告も安売り合戦を続けた。

 過当競争に疲れた両紙は01年、コスト削減を狙い、広告や販売を共同運営する合弁会社を作った。だが、「1社で2紙を運営するのは複雑で、よりコスト高になった」とテンプルさん。

 「車売ります」「部屋貸します」――。広い米国で生活情報をやり取りするため、人々は新聞の有料案内広告を活用してきた。大企業の広告を多くは見込めない地方紙にとって、特に重要な収入源だったが、新規参入したクレイグスリスト(サンフランシスコ)が案内広告をネットに無料で載せるサービスを始め、各紙の収入を次々と奪った。01年にはデンバーにも上陸。合弁会社は、発足からロッキー廃刊までの間に、案内広告の収入を計1億ドル以上失った。

 約2千キロ離れたオハイオ州に拠点を置き、他にも新聞社やテレビなどを運営するメディア企業スクリップスは、デンバー撤退を決めた。

 「ネット時代は、『偉大な新聞』であるだけでは不十分だ」。テンプルさんは、講演やブログなどで教訓を伝え始めた。(藤えりか)

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