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〈メディア激変156〉米メディアの模索―16 ヤフー初の取材記者、世界へ

2010年11月19日17時43分

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写真カシミールで2006年、子供たちと触れ合うケビン・サイツさん=ヤシン・ダールさん撮影

 米兵による負傷イラク人銃撃を報じ、米国内で反発も受けた戦場フリー記者ケビン・サイツさん(48)。計約5年携わったNBCとの契約を打ち切り、2005年夏、ヤフーに入った。

 サイツさんは既存メディアに嫌気がさしていた。戦場報道は「爆発で何人死亡したか」に焦点が当てられがち。テレビは伝えられる時間が限られる。ネットなら分量を気にせずにすむ。

 一方、検索シェアでグーグルに引き離されたヤフーは、コンテンツ事業に力を入れていた。動画投稿サイト、ユーチューブが始まったこの年、ヤフーは動画の充実を図り、サイツさんを初の自前の取材記者として迎え入れた。

 05年9月、サイト「ホット・ゾーンのケビン・サイツ」がヤフーで始まった。紛争地に生きる人々の物語を軸に、背景を紹介する。サイツさんはビデオやスチルのカメラにノートパソコン、衛星通信機器を携え、世界を飛び回った。

 しかし、あるニュースがサイツさんを打ちのめす。天安門事件をめぐる中国当局の報道指針をネットに流したとして05年、中国の経済紙記者、師濤さんが懲役10年の実刑判決を受けた。その際、師さんの個人情報をヤフーが中国当局に提供していたことが判明したのだ。

 「ジャーナリスト投獄の手助けをした会社のために僕は働いているのか?」。ただ、サイトの閲覧者はすでに月約200万人。「こんなカネにならないプロジェクトに費用を出すメディアは他にない」との思いも捨てきれない。

 葛藤(かっとう)しつつ、創業者のジェリー・ヤンさんらにメールを送った。翌朝、ヤンさんから「会って話をしよう」と返事がきた。

 台北出身のヤンさんは、「中国当局は情報提供を求めた際、理由を説明しなかった。米国の司法当局も、理由を言わずに毎月何百もの問い合わせをしてくる」と説明したが、師さんの投獄は「個人的には耐えられない」と話した。中国の人権問題は何とかしたいが、ネットという人々の表現の場を中国で提供し続けるためには、中国の法令に従わざるを得ない。「中国にかかわり続けることが大切だ」とヤンさんは言った。話し合いは約1時間半にわたった。

 サイツさんは創業者の真摯(しんし)な言葉を受け、この問題について書いた。「ヤフーはそれも含めて一切、報道に干渉も検閲もしなかった」

 1年契約を3年に延長。イランにソマリア、ルワンダなど20以上の国・地域を取材した。フリーになったサイツさんはヤフー時代をこう振り返る。「金の心配をせず独立性を保ち、ジャーナリズムの新機軸を打ち出せた。自分のキャリアに最も重要な時期になった」(藤えりか)

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