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![]() 世界遺産へなぜ足踏み?彦根城と鎌倉、リストに載って16年2007年02月14日12時02分 世界文化遺産になるためには、国別の暫定リストに載ることが実現への第一歩といわれる。先月30日には、初の公募により、富士山などが新たにリストに加わった。一方で、「彦根城」(滋賀県彦根市)と「古都鎌倉の寺院・神社ほか」(神奈川県鎌倉市)は、リストに載ったまま他候補に次々と先を越され、ひっそりと16年目を迎えた。なぜ足踏みが続いているのだろう。
「他に先を越され、正直言って悔しいです」。彦根市教委文化財課の西田哲雄課長補佐は苦笑いを浮かべて話す。 彦根城と鎌倉が暫定リストに載ったのは92年。文化庁が「日本を代表する文化遺産」を基準とし、国宝、特別史跡、特別名勝のいずれかを含むことを指標に選んだ。 通常、記載後は地元を中心に準備、条件が整った候補を同庁が国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会へ推薦。国際記念物遺跡会議(イコモス)の調査などを経て世界遺産に決まる。 過去に同庁が推薦した候補は12件。うち10件が世界遺産になり、推薦中の石見銀山遺跡と平泉の文化遺産も、それぞれ今年夏と来年の登録が見込まれている。だが、彦根城と鎌倉は第一段階から先へ進めずにいる。同時にリスト入りした京都の文化財、日光の社寺など6件はもちろん、95年リスト入りの原爆ドーム、01年の紀伊山地の霊場と参詣(さんけい)道という後発組も念願を果たしているというのに。 彦根城は1622(元和8)年、琵琶湖に臨む戦略上の要衝に井伊氏が築いた。近世初頭の城郭の姿をよく残しているとされ、天守は姫路城、松本城、犬山城と並び国宝に指定されている。 彦根城にとって大きな壁は、93年に早々と世界遺産になった姫路城。文化庁記念物課の本中眞・主任文化財調査官によると、イコモスの幹部が数年前に来日した際、彦根城について「姫路城がすでに登録されている状況では難しい」と話したという。 本中さんは「多くの建築が連なる姫路城に対し、彦根城は山頂に天守のみがある古いタイプで庭園も整っている。違いをアピールできると考えていたが、外国の方にはそう映らなかった」と振り返る。 さらなる逆風は、世界遺産委が94年以降、登録の条件を絞っていることだ。建造物に偏らない(94年)、世界遺産の少ない国に協力する(99年)、新規推薦は1国1件に制限する(00年)――。「ハードルはどんどん高くなっている」と本中さんは話す。 地元の盛り上がりもいま一つで、市の担当者は実質2人。西田さんは「使命感はすごくあります。何とか軌道に乗せていかなければならないのですが……」と話すが、推薦のめどは立っていない。 一方の鎌倉は、対照的に推薦へ向けた準備が進む。 イコモス幹部から「京都や奈良に比べ価値のある建造物が少ない」と評価を受けた鎌倉市は、コンセプトを単なる古都から「武家の古都」へ変えた。武家政権が置かれた最古の都市として、仏教などの文化や、切通(きりどおし)など独自の景観があることを強調している。 国宝の建造物が円覚寺舎利殿のみという弱点を補う願いもかない、建長寺の山門と法堂が05年に重要文化財になっている。担当は04年に部級へと格上げされ、官民一体の協議会も昨年7月に誕生した。 玉林美男・同市世界遺産登録推進担当課長補佐は「準備が順調に整えば、文化庁に推薦してもらえると思う」と期待する。市は最短で2010年の推薦を目指すという。 文化庁は公募制を続ける意向で、両候補にとってライバルがさらに増えることも予想される。盛り上がる国内の世界遺産ブームに、文化審議会・世界文化遺産特別委員会のメンバーの一人、西村幸夫・東京大教授(都市計画)は、「本来は危機にひんした遺産を守るための制度。“スーパー国宝”のように見るのは行き過ぎではないか。安易に観光に活用しようとするのも疑問だ。世界遺産にならなくても、緩衝地帯の設置など、日本にはなかった保護の考え方を、地域の宝に当てはめることに意味がある」と話す。 では、彦根城と鎌倉に登録の見込みはあるのか。文化庁の本中さんは「彦根城はなお困難を極めている。鎌倉も、かなり努力しているが、予断を許さない。リストからの削除という話までは出ていないが、宙づりの状態が正常だろうか」と歯切れが悪い。 先月の文化審議会の特別委員会では、姫路城に彦根城、松本城を加え「日本の近世城郭」として世界遺産に登録する“ウルトラC”案も飛び出したというが……。 PR情報この記事の関連情報
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