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![]() 4:中台緊張の渦にもまれ
「将軍」と呼ばれる日本人が、台湾にいる。 長野陽一・元陸将補(56)。防衛大学校を卒業して陸上自衛隊に入り、中国の防衛駐在官、北海道の第1特科団長などを歴任。退官後の03年1月、台湾で大使館機能をもつ民間団体「交流協会」の主任に着任した。 72年の日台断交以後、日本は中国に気を使い、台湾と一定の距離を置いてきた。元自衛官の赴任は日台断交後、初めてだ。 昨年12月12日、台北市内の高級ホテル。交流協会が開いた天皇誕生日を記念するパーティーに、長野は台湾国防部(国防省)幹部や米仏韓などの元軍人を招いた。全員、背広姿。10人ほどの輪の中心に、長野がいた。 台湾で軍服着用が許されるのはハイチやセネガルなど、外交関係がある中南米やアフリカを中心とした27カ国に過ぎない。集まった元軍人の母国は台湾ではなく中国と国交を持つが、台湾の軍事情報や武器売買には国益が絡む。その思惑を背景に、私服の元軍人、事実上の「台湾駐在武官」として勤務している。 ◇中国通のOB 陸将補は旧軍でいう少将に相当する。長野の起用は、96年3月の台湾総統選を牽制(けんせい)して中国軍が行ったミサイル演習が一つのきっかけだった。 防衛庁は発射ミサイルを十数発と予測、「中台は低レベルの武力紛争に陥る可能性がある」と首相官邸に報告した。が、米空母2隻の急派が中国の反応を抑制し、結局、ミサイルは4発に終わった。台湾独力の防衛に危機感を抱いた当時の李登輝(リートンホイ)総統は改めて「国家安全会議」に指示した。 「日米との安保対話を急げ」 02年3月、台湾は国防部長(国防相)と米国防副長官との会談に成功した。だが、日本との交流は簡単には進まない。 00年5月に登場した陳水扁(チェンショイ・ピエン)総統は日本との対話重視を掲げ、「米軍に詳しい海上自衛隊の現役自衛官の派遣」を求めた。 誰を送り込むか。外務省は中国の反発を心配した。防衛庁は、台湾海峡危機で「米軍頼みの情報ばかりだった」(幹部)と反省。米台の軍事的接近に関する情報収集の必要性も感じた。両者は「中国に誤解を与えず、軍事情報に精通した人間を送り込む」ことで折り合い、「中国通の陸自OBの派遣」で決着した。 ◇冷めた視線も 中国と台湾。そのはざまで、長野は「仕事をしようと思うほど、苦しみが増える」と悩む。 中国は水面下で、この人事に抗議してきた。 小泉首相の靖国参拝で、日中軍事交流は停滞している。01年の李登輝訪日、03年の森喜朗前首相の訪台……。「中国の目には日本が台湾独立を支持しているかのように映る」(外務省) 長野はふと、台湾軍側の冷めた視線も感じる。 「将軍に話すと、日本外務省に漏れる」。そんな警戒のまなざしだ。 英米などと異なり、日本の在外公館では、暗号を使った公電をいったん外務省に集める取り決めがある。軍部が独走した戦前への反省からだ。 外務省と防衛庁の覚書によれば、防衛駐在官が防衛庁と直接やりとりできるのは電話やファクスによる事務連絡程度だ。 昨年9月4日、台湾の宜蘭で陸海空総合演習「漢光19号」があった。陳総統が観閲するなか、アナウンスが流れた。 「中国偵察艦と日本偵察機が現れた……」 中国と同様、日本もまた仮想敵国とみなすような空気。総統府高官は、日本の防衛力強化を「日本の狙いが分からないので心配だ」と話す。 東アジアの複雑な地政学の中で「台湾駐在武官」をどう位置付けるか。正面から議論する動きは、日本政府や国会にもない。
(朝日新聞2004年3月22日朝刊紙面)
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