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梅雨特集2005

雨の映画を楽しむ<邦画編>

2005年07月15日

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黒澤明監督

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羅生門    

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小津安二郎監督

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浮草    

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人情紙風船    

 四季を味わい、自然に親しんできた日本人。古きよき日本映画のフィルムには、何げない雨の風景ひとつにも徹底的にこだわった映画人たちの技と心が焼きつけられています。邦画編では、日本を代表する名監督の作品から、雨の名場面を紹介します。

 映画という虚構の世界を生かし、現実の雨をはるかに超えるドラマチックな雨の名場面をつくりだしたのが黒澤明監督です。ベネチア映画祭で金獅子賞を受け、日本映画のすばらしさを世界に知らしめた「羅生門」(50年)には、白黒画面のコントラストをより際立たせるため、墨汁を混ぜた雨を降らせたという逸話があります。

 また、世界中の映画人に大きな影響を与えつづけている「七人の侍」(54年)には、地面に突き刺さるような激しい雨を撮るため、水より重い砂糖湯を降らせたり、小道具係が苦心して特製の雨降り装置をあつらえたりしたというエピソードが残されています。ラストの雨中の合戦場面は、雪が残る厳冬期の撮影だったとは思えぬほど、画面の隅々にまで熱気がこもっています。撮影を延ばしに延ばして理想を追い求めた黒澤監督と出演者、スタッフの心意気が結実した、奇跡の瞬間とも呼ぶべき名場面です。

 市井の人々の日常を端正な映像でとらえた小津安二郎監督は、土砂降りの雨は撮りませんでした。しかし、松竹の小津監督が大映で1本だけ撮った「浮草」(59年)には、小津映画唯一といってもいい、激しい雨の場面があります。

 戦前に小津監督が撮ったサイレント映画「浮草物語」(34年)を自らリメークした「浮草」は、米国映画「煩悩」(28年)を下敷きにした、旅役者の一座をめぐる人情話です。海辺の田舎町へやってきた一座は、特段客受けがよいわけでもないのに長逗留(とうりゅう)を決めこみます。なぜ座長(二代目中村鴈治郎)がこの町にとどまりたがるのかが露見した夜、愛人の女優(京マチ子)と座長は向かい合った軒下で、激しい雨をはさんで言い争います。高ぶる感情と豪雨がぴったり重なり、強い印象を残します。

 「浮草」を撮影した名カメラマン宮川一夫は、自伝「キャメラマン一代」で、この雨が自分のアイデアだったと明かしたうえで、「小津さんには申し訳なく思っているシーンです」と記しています。生涯でたった一度だけ組んだ小津監督が自由に撮らせてくれたことへの感謝の表れですが、雨の降りはじめから豪雨に至るまで、ドラマと情景が緊密に結びついた映像は、小津監督と宮川カメラマンの美学が幸福な「結婚」をしたからこそ生まれたのだと思わせます。

 「羅生門」、「雨月物語」(溝口健二監督)をはじめ、数々の日本映画の名作を撮影した宮川一夫は、「映画監督とカメラマンは夫婦のようなもの」が持論でした。その宮川が「実らなかった初恋」といい、一緒に仕事ができなかったことを終生残念がったのが山中貞雄監督です。戦地に赴き、38年に28歳の若さで病死した山中監督は、現存する作品が3本しかないのにもかかわらず、「夭折(ようせつ)の天才」としていまも多くの映画ファンをひきつけてやみません。

 遺作となった「人情紙風船」(37年)は、歌舞伎の「髪結新三」をもとにした娯楽作品であると同時に、戦争へ向かう時代の空気を映したペシミズムの色濃い時代劇。「髪結新三」の正式な題名「梅雨小袖昔八丈」の通り、梅雨どきの江戸の下町が活写されます。悪党・新三(中村翫右衛門)が白子屋の娘(霧立のぼる)を誘拐して連れてきた長屋の雨漏り、雨上がりのしっとりとぬれた路地、初夏の雲が流れる青空(画面は白黒ですが……)といったこまやかな情景描写と、歌舞伎の革新をめざして旗揚げした「前進座」の役者たちが総出演して繰り広げる勢いに満ちた演技があいまって、後世のフランスのヌーベルバーグやアメリカン・ニューシネマもかくやと思わせる、どこかニヒルで疾走感あふれる斬新な時代劇に仕上がっています。

 山中監督は「『人情紙風船』が山中貞雄の遺作ではチトサビシイ」という言葉を残して戦場へ向かったといわれます。自らも従軍中に山中監督の訃報に接し、雑誌で遺書を読んだ小津監督は、日記に「あきらめ切れぬ程(ほど)に惜しい男を失(な)くした」(38年12月20日)と記しました。「人情紙風船」のラストシーンで水に浮かんで流れてゆく紙風船は、まるで山中監督の魂のようにも見えてきます。21世紀のいまもまったく古さを感じさせない山中監督の世界を、ぜひDVDで味わってみてください。


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