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3、10、20の裏側

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 福島原発事故の発生時、危機管理担当の官房副長官だった福山哲郎氏が、政府事故調査・検証委員会の聴き取りに答えた「福山調書」を朝日新聞は入手した。
福山氏は、刻一刻と悪化する原発の状況に追われるように、住民の避難区域を決めていった当時の首相官邸の様子、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)をどうして事故当初から使わなかったのか、計画的避難区域の決め方について詳しく話をしていた。

 政府事故調の最終報告書は、福山調書の内容を一部勘案した痕跡がある。しかし、住民避難について国は、地方自治体任せで一歩引いた状態で、事故調の報告書の避難に関わる部分が国の新たな原子力行政に生かされるかは疑わしい。関係自治体はそれぞれ独力で、今回明らかになった福山調書の内容を吟味して、本当にこんなことで住民を原発事故からうまく避難させることができるのか、根本のところから考える必要がある。(以下敬称略)

写真|公開されたオフサイトセンター内には、福島第一原発を中心にした巨大な地図が置かれ、避難についての記録が残っていた=2012年3月2日、福島県大熊町、相場郁朗撮影

 東日本大震災発生当日の2011年3月11日午後9時23分、政府は菅直人首相名で福島第一原発から半径3キロメートル圏内に避難を指示した。このころ福島第一原発所長の吉田昌郎は、1号機については非常用の冷却装置が働き冷却が続いていると判断していた。心配していたのは2号機の方で、午後9時2分、監督官庁である原子力安全・保安院に原子炉の水位が不明で注水状況も確認できないと報告していた。

なぜ3km

——— 3km、なぜ3にしたかという部分は覚えてらっしゃいますか。

福山「今申し上げたとおりです。まずもともとが2kmになっていませんか」

——— 2kmは福島が出しているのですね。

福山「それを私たちは知らないのですけれども、防災マニュアルはなんて言われていましたか。3kmでしたか」

——— マニュアル上、何kmで先に出せということは書いていないのです。

福山「3kmぐらいまでは準備ができています、みたいなのが保安院からあって、それで結果としていっぺんに出したら近くの人が簡単に言うと渋滞とかになると出遅れると。まず近くの人を出そうと。そんなに広くなくていいという話は班目さんからもあったので、そこで避難の指示は3kmにしたと思います」

——— 近い人を最初に逃がさなければいけないのでというような議論を誰がされたかというところまでは記憶はないですか。

福山「実は当時の会合の様子というのは、相当あまり役職とか関係ありません。みんなが簡単に言うとこれはどうなんだ、あれはどうなんだという中で収れんしていった実態のところなので、具体的に誰が言ったかというのはわかりませんが、現実問題としては近い人からやらないと、遠い人は逆に言うと逃げられる可能性は高いので、近い人からというのを優先したような気がします」

——— この3kmの避難を決めた段階で、班目さん辺りなのですけれども、ベントをするにしても管理された下でベントをするのであれば3kmで十分なんだというような発言をした。それはお聞きになったことはありますか。

福山「言っています」

——— それは班目さんですか。

福山「班目さんです」

——— というのは、班目さんはこの3kmを決めたときには私はいなかったのではないかという話。

福山「いなかったのか、いたけれども、どこかに行っていたのか、それはわかりません。だけれども、少なくとも寺坂さんや班目さんには確認しているはずです」

※班目さん…班目春樹原子力安全委員会委員長、寺坂さん…寺坂信昭原子力安全・保安院長

写真|「警戒区域」への立ち入り禁止に備え、道路には看板やバリケードの設置が進んだ=2011年4月21日、福島県葛尾村葛尾、小宮路勝撮影

 福島第一原発の周辺住民に最初に避難を指示したのは、福島県知事の佐藤雄平だった。3月11日午後8時50分、半径2キロメートル圏内の住民に避難を指示していた。国の指示は県より33分後だった。国からの指示について福山は、保安院から避難指示を出すよう求めがあり、原子力安全委員会委員長の班目春樹の「そんなに広くなくていい」との助言を踏まえ3キロとしたことと、「これはどうなんだ、あれはどうなんだ」という中で決まっていった会合の様子を淡々と話した。

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