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アメリカの声

スクロール

冒頭写真|計画的避難区域に指定された福島県飯舘村の二枚橋地区。田んぼの一角にヒマワリの花が咲いていた=2011年7月6日、林敏行撮影

 3基の原子炉が炉心溶融いわゆるメルトダウンを起こすという未曽有の原子力災害に立ち向かう方法を、東京電力がようやく見いだした2011年3月下旬。政府は住民に向けて出していた緊急時の避難指示を、計画的な避難指示に切り替える準備を始めた。「とにかく3キロ」「とにかく10キロ」と慌ただしく決めた緊急時の避難指示と違って、計画的避難区域の設定にあたっては、科学的な議論を綿密に積み上げ、最後は政治判断で決めるという手法をとった、と危機管理担当の官房副長官だった福山哲郎は説明している。

新たな退避

——— 3月31日以降、官房長官室でいわゆる計画的避難区域と緊急時避難準備区域の検討をして、これは福山副長官にも中心になって入っておられたと聞いておりまして、この計画的避難区域と緊急時避難準備区域については、初期の3月11~15日までの避難の決定と比べると、割といろいろ政務から指示を受けて事務方が作業してきたものに基づいて検討していたと聞いているのですけれども、まず新たな避難の考え方というのをこの時期にスタートさせた何か契機になるようなものというのはあったのでしょうか。

福山「それはSPEEDIが3月23日と、3月下旬から4月初めに空間線量のモニタリングの結果、アメリカから空間線量マップみたいなものが出てきていましたし、IAEAが3月の終わりに飯舘に入って1回もめ事を起こしていると思いますが、その話とか出てきましたし、一方でようやく3月の23、24日ぐらいからキリンの投入を始めとして、例のコンクリートポンプ車による注水がある種、一定できるようになるわけです。現実に日米協議が3月21か22日から始まるのですけれども、私が正式に出したのが事前協議も含めて20日ぐらいからだと思いますが、日米協議の中でそれぞれの炉の状況について、関係する全省庁と日米の専門家と東電の間で毎日議論があります。その中でどの程度メルトダウンしているかしていないかの見解の相違はあるにしても、注水作業すれば一定の安定が保たれるという状況の中で、一定の、炉がこうやって安定状況中で爆発や放射性物質の大量の飛散という状況がなければ、やっと屋内から出せるねと、出せるねという言葉は失礼ですけれども、避難していただけるねという状況の中で23、24日ぐらいから具体的にモニタリングの結果がやっと出てきたSPEEDIの状況などを基に避難のオペレーションをどうするか議論を始めたというのが実態です。先ほど官房長官室と言われましたが、これは別に私がと申し上げるつもりはありませんが、事前の仕込みは全部副長官室でやりました」

※計画的避難区域…積算放射線量が事故からの1年間で20ミリシーベルトに達する恐れのある地域が指定される。住民は1カ月かけて計画的に避難しなければならない、緊急時避難準備区域…福島第一原発から半径20~30キロ圏のうち計画的避難区域に指定されなかった区域が指定される。住民は緊急時に屋内退避や避難ができるよう準備することが求められる、SPEEDI…緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム、IAEA…国際原子力機関

写真|海上自衛隊の護衛艦「ひゅうが」の艦上で救援物資を米軍ヘリに積み込む乗員ら=2011年3月15日、仙台沖、海上自衛隊提供

 国際放射線防護委員会の勧告は、緊急時の避難や屋内退避の期間を数日間と想定している。米スリーマイル島原発事故や旧ソ連のチェルノブイリ原発事故はこの想定通りに収まったので、緊急時の避難・屋内退避の指示期間も想定通り数日間から10日間ぐらいだった。
 これに対し、福島原発事故では危機がなかなか去らなかったので、緊急時対応から計画的な対応に切り替えるのがこの想定よりかなり遅れ、福島第一原発の半径20~30キロ圏に対する屋内退避の指示期間が長く続いてしまった。