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ことば談話室

二六時中? 四六時中?

松本 理恵子

 「如何に吾輩の主人が、二六時中精細なる描写に値する奇言奇行を弄するにも関わらず……」。夏目漱石の「吾輩は猫である」(1905~06年)を読んでいたら、「二六時中」という表現が出てきてアレッ?と思ったことがあります。ふだん見かけるのは「四六時中」だけれど……。不思議に思って辞書をひいてみると、もともとは「二六時中」と言っていたらしいのです。

◇江戸時代の時刻と関係あり

江戸期の時計拡大江戸期の時計

 なぜ「二六」なのでしょうか。その理由は、江戸時代の時刻の制度に関係がありました。当時は、日の出と日没を境に、昼夜をそれぞれ六つに分け、12刻で1日をあらわしていました。これを、子(ね)の刻、午(うま)の刻などと十二支で呼んだほか、真夜中の午前0時ごろを九つとして、八つ、七つ、明けの六つ、五つ、四つ、そして正午ごろを九つとして八つ、七つ、暮れの六つ……と数字で呼んでいました。六つとか五つとかの数字は時を知らせる鐘をならす回数からきています。「時の鐘」で広く時刻を知らせるようになった江戸中期以降は、数字式で呼ぶのが主流になったようです。

 つまり「1日が12刻」ということで生まれた言葉が「二六時中」。2×6=12、6+6=12というわけです。「一昼夜、一日中」や「いつも、年中」という意味で使われます(日本国語大辞典)。かつて存在した新聞「二六新報」も「一昼夜」の意味を込めて付けられた名前のようです。では、「四六時中」とは何でしょう。1872(明治5)年に採用された24時間制が関係しているようです。つまり、4×6=24で「四六時中」。辞書の用例をみると、早くも1876(明治9)年の用例が載っています。人々の暮らしに合わせて、言葉が変化したということなのでしょう。今では、もともと「二六時中」だったなんて知らずに「四六時中」を使っている人も多いかもしれません。

◇三五の歳、十三屋…かけ算や足し算で「しゃれ」

 江戸時代の人は2×6=12で「二六時中」のような、「しゃれ」がとても好きだったようで、似た言い回しがたくさんあります。かけ算でいえば、15歳、16歳を「三五(さんご)の歳)」「二八(にはち)の歳」といったり、1合12文でお酒を飲める店は「二六(にろく)屋」といったり。「二八そば」は、そば粉が占める割合という説のほか、江戸末期に1杯16文のそばを、2×8=16で「二八そば」と呼んでいたから、という説もあるそうです。1杯12文の二六うどん、なんてものもあったようです。うどんは100%小麦粉のはずなので、二八も値段からきているという説もうなずけます。櫛屋は、く(9)+し(4)=13だから「十三屋(じゅうさんや)」、五郎兵衛は2+3=5だから遊郭では「二三(にさん)」という替名(かえな)で呼ばれるなど、足し算の数字遊びもありました。

 四六時中のように今風にアレンジされたり、そのまま残ったり。江戸時代の時間のなごりは、今の暮らしにも見つけることができます。たとえば、おやつは「お八つ」。昼の八つ時に間食を取ったことからきているそうです。24時間制にあてはめて、午後3時ごろがおやつタイムになったんだとか。また、時代劇などでよく耳にする「草木も眠る丑(うし)三つ時」。丑の刻を4等分した3番目で、およそ今の午前2時から2時半ごろ。普段の生活で頻繁に使うわけではありませんが、「夜中」のことだなというのは広く認識されています。昼の0時をさす「正午」も午の正刻(正刻は一刻の真ん中の時間)からきています。

◇待ち合わせでも、のんびりと

 江戸時代は、待ち合わせも大変。江戸研究で知られる三田村鳶魚はこんな風に言います。「朝おたずねしますとか、昼伺いますとか、夕刻出ますとか言うと各々六時間程の時間が含まれている」(1938年「時刻の話」)。1日を12に等分した定時法では1刻はいまの2時間にあたります。ですから、夕刻に参上します、などという場合は、申・酉・戌の6時間の間にいけばよいということになってしまうそうで、待たされるほうもいい迷惑です。1刻をさらに三つや四つにわけて、細かい時間を表そうとはしていたようですが、それでも時間の最小単位は40分、30分といった具合です。

 ひるがえって現在はどうでしょう。時計メーカーのシチズンのインターネット調査によると、会社員1人あたりの腕時計の平均所有個数は3.1個(04年。首都圏在住の男女400人が回答)。正確さが売りものの「電波時計」も、20~50代の女性400人に聞いたところ、所有率は38.0%(05年)で2年間に17.5ポイントもアップし、着実に普及が進んでいるようです。このように、1分1秒まで把握して、時間に追われて暮らしている今の私たちからすると、「二六時中」とは、なんとも悠長に思える言葉です。

(松本理恵子)