メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

ことば談話室

ドル箱路線を旅する

大堀 泉

 国内の鉄道だったりバスだったり、飛行機でも国際線だけでなく国内線だったりして、「ドル箱路線」はどうしてドルが稼げるのだろうと気になっていた。そんなに外国人が乗るとも思えないし。しかもいかにも新聞っぽいことばではないか。そう思って「ドル箱路線」を追って朝日新聞の紙面を旅してみた。

 時間旅行の乗り物はというと、1879年の創刊号からたどれるのが電子縮刷版。見出しを対象に検索ができる。1984年以降は「記事データベース」に乗り換えよう。全記事を収録しているわけではないが記事の全文検索ができる。さて、ことばのタイムマシンいざ出発。

◇元々は舶来の金庫◇

 しかし出発する前に基礎知識が必要だ。ガイドブック代わりの「日本国語大辞典」(小学館)で「ドル箱」を見てみよう。その1は「金庫」。最初から意外だった。インターネットの質問回答ホームページなどにも出ているが、ドル箱はドルと共に日本にやってきたというのだ。ポンド箱やフラン箱もあっていいはずだと思ったこともあったので、なぜドルでなくてはならないのかがわかった。ドルと共に金属製の金庫も舶来品で日本にはなかった。国語大辞典の最も古い用例は1874(明治7)年の「開化自慢」(山口又市郎)の中のもの。アメリカのハリスと日米通商条約を結んだのはそれより15年ほど前で、この間にドルとドル箱がやってきて広がった。

 その2は「金を提供する人」。そしてその3は「収入の主要な源となるもの」。これらの用例は今もあるもので、すぐに想像がつく。

◇実物は「残っていない」◇

 さあ、紙上の旅。そのうちドル箱路線にたどりつくことを期待して、まずはドル箱を追ってみる。電子縮刷版で見つけた最初の用例はこれ。

○南区日本橋一丁目十六番地鍛冶職松井芳兵衛が川口にて製作して居る弗箱は舶来品より一層の上に出たる堅牢の物なれば来十四年内国勧業博覧会へ出品する由に聞り

(1880=明治13=年10月16日付)

拡大ドル箱最初の記事?
 創刊翌年、朝日新聞はまだ大阪の新聞で、東京でも発行を始める1888年より前の記事だ。当時の紙面は見出しがなく、頭に○をつけて記事を列挙する形。鍛冶職人が作る、舶来より堅牢な国産金庫の経済記事だ。地名はいずれも大阪市内のもの。川口(西区)は明治初年、開港場となり、のちの大阪税関が置かれたところだ。この記事の内国勧業博覧会は東京で開かれた第2回のものだろう。

 それでは、これがドル箱だ、という現物があるかどうか。日本セーフ・ファニチュア協同組合連合会にお尋ねすると、「とうに耐火能力がなくなっているので実用には堪えなくなっており、実物は残っていない」そうだ。また、横浜開港資料館に、所蔵の絵画や写真の中にドル箱や金庫が描かれたり写ったりしていないかお尋ねしたが、やはり、そういう資料は見当たらないということだった。

 この時代の「ドル」は米ドルに限らない。貿易にはメキシコドル、香港ドルも使われた。為替レートは?と思われる方も多いだろうが、当時は幕府の「両」を明治政府の「円」に切り替えるという国家事業があり、銀貨を仲立ちに「1ドル=1円(=1両)」をめざした。1884年の兌換(だかん)銀行券条例で日本銀行が銀貨の兌換券を発券するようになるのが1885年。日本銀行の資料では1893年からの為替レートを見られるが、最初は100円で平均66米ドルである。1ドル1.5円の計算。

◇明治期から派生の意味◇

拡大弗箱大臣は服と財布で勤まる=1918年

 明治の末ごろまでやって来ると、パトロンのことを「大切の弗箱」と表現しているゴシップ記事があった。「明治のことば辞典」(東京堂出版)では、「ドルばこ=金銭を蓄ふる鉄函」「=金庫」とあるが、明治末の辞書では「芸者などの旦那と仰ぐ人」「妾(めかけ)などの主人」などの説明も出現し、大正時代になると「金を持つ人」という説明も見える。新聞表現とほぼ重なる。

 大正に至り「尾車のドル箱・三杉磯」というのが登場。相撲の尾車部屋の稼ぎ頭が三杉磯という力士。政党のドル箱や「弗箱大臣」という政治風刺漫画もあった。また資金調達先を表すのに「女学校の軍資調達戦 いずれも大阪をドル箱に」という見出しもあった。これらの使い方はもう単に金庫の意味ではない。

 昭和になると、映画会社、レコード会社のドル箱もある。しかし、ドル箱路線は戦前の紙面には出てこないようだ。

◇「ドル箱路線」登場は66年◇

拡大文中に「ドル箱路線」
  戦争後、交通機関に関係するものでは、1953年1月の、私鉄のバス事業がドル箱になったという記事、65年の「新幹線 この一年」の「国鉄の‘ドル箱’的存在」でかなりドル箱路線に近づく。そして、66年11月14日付夕刊の全日空機松山空港沖墜落事故の社会面記事にとうとう「(大阪-松山線は)同社の運航線の中では…ドル箱路線となっていた」と出現した。大阪発の記事だ。見出しは「ドル箱だった松山線」。65年の新幹線の記事のときはまだそういう表現を必要としていなかったようだが、ここではドル箱と路線がくっついた。

拡大近鉄事故の見出しにも
 71年の近鉄特急の衝突事故の記事にも「伊勢志摩と京阪神を結ぶドル箱路線」。外国人がよく利用してドルが落ちる路線ではなく、やはり辞書の説明どおり、お金のもととなる路線の意味だ。この頃になると、明治時代とは大きく違うのが為替レートで、1ドル=360円時代はこの年に終わったものの、ドルが円よりずっと強い「収入の源」がイメージにあっただろう。

 こうしてみると今、ドルの強弱や基軸通貨としての存在が話題になるけれども、ドル箱は由来から考えて、ドルがどうなってもほかのお金には変わらないだろう。84年以降の記事データベースで「ドル箱路線」は約280件使われており、「ドル箱」だけなら1400件に迫る。特に経済記事を身近にということで使われやすい、裏を返せば紋切り型表現だろう。現在の新明解国語辞典では、ドル箱の説明にもはや「金庫」はない。お金を稼ぐ源という意味で、もう90年近く使われ続けている。新聞にとっては便利なことばで、これからもドル箱路線の旅ができそうだ。

(大堀泉)