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ことば談話室

二つの「狎鷗亭」~韓国編~

大西 秀明

 「冬のソナタ」をきっかけとして起こった韓流ブーム。日本ではいまも「韓流ドラマ」が次々にテレビ放映され、人気を集めています。そんな番組のロケにもよく利用される場所があります。韓国・ソウル特別市の流行発信地である狎鷗亭(アプクジョン)。15世紀に権勢を誇った高官・韓明澮(ハン・ミョンフェ)が建てた別荘「狎鷗亭」が、その名の由来です。一方、日本にも同じ名前の史跡があります。朝日新聞東京本社のすぐそばにある浜離宮恩賜庭園(東京都中央区)の「中島の御茶屋」の別名が「狎鷗亭(こうおうてい)」なんです。名前に関連があるという説もある、二つの「狎鷗亭」の昔と今を追いました。

 ◇かつては絶景の場所◇

 韓流ブームの影響で、日本国内の書店の棚には韓国旅行のガイドブックやムック本が多数並んでいます。その多くで、ソウル・江南区の狎鷗亭がファッションストリートとして紹介されています。周辺には有名ブランド店が立ち並び、「天国の階段」「美しき日々」などのドラマに登場したカフェやジャズクラブもあり、読者の皆さんの中には観光で訪れた方もいらっしゃるかもしれません。

拡大ソウルの地下鉄3号線・狎鷗亭駅の駅名表示板

 にぎわう中心街の北側、漢江の左岸に大規模な「現代アパート」群が立ち並んでいます。韓明澮(1415~1487)の別荘「狎鷗亭」はかつてそこにありました。現在は都市開発により様変わりしていますが、金永上著「ソウル600年 第5巻 漢江・漢江流域」によると、往時は足元に漢江が悠々と流れ、川向こうの北方には北漢山連峰や道峰山、南方には清渓山や冠岳山が一望できる絶景のスポットだったようです。しかし、その風光明媚(めいび)な地に別荘を設けた韓明澮は、自然の中でのんびりと生きるような穏やかな人物ではなかったようです。首陽大君(のちに7代目の王・世祖となる人物)と共謀して幼齢の第6代の王・端宗を追放して死に至らしめ、反対派の重臣を粛清、2人の娘を第8代・第9代の王に嫁がせて強大な権力を手にしたといわれています(姜在彦著「世界の都市の物語7 ソウル」)。

 別荘の名「狎鷗亭」は、韓明澮が明(中国)に使臣として赴いたとき、明の学者である倪謙に依頼して命名を受けたと言われています。「鷗」は文字通りカモメ、「狎」は親しくする、飼いならすというような意味。倪謙は、宋の時代の高官・韓琦の亭名も「狎鷗」であったことを挙げたうえで、「飼いならすのが難しいカモメと親しくするには、飼いならそうという私心を捨てなくてはならない。万事は無心であってこそ成立する」と命名の意図を記しました(朝鮮時代の地理書「新増東国輿地勝覧」)。数々の謀略で権力を握った韓明澮がどのように感じたのか、今となっては知るよしもありませんが、「狎鷗亭」は倪謙との縁もあって、明からの使臣を接待する際に利用されるようになり、名所として明でよく知られる存在となりました(ソウル特別市史編纂委員会編「ソウル六百年史」)。韓明澮と「狎鷗亭」に関するエピソードは韓国ドラマにもたまに登場します。韓国KBSのテレビドラマ「韓明澮」(1994年放映)の第72話には主人公・韓明澮が倪謙に別荘への命名を依頼するシーンがあります。また、第90話と第91話には、明からやって来た使臣を接待する場面が登場します。2007~08年にSBSで放映された「王と私」の第4話には、韓明澮が文書に、自分の号として「狎鷗亭」と記す場面が登場します。

 風光明媚な名所として知られた「狎鷗亭」ですが、歴史の波の中で姿を消してしまいます。朝鮮王朝第26代の王・高宗の時代には、日本と結んで改革を行おうとした政治家・朴泳孝の所有となりましたが、1884年のクーデター(甲申政変)に失敗して朴泳孝は財産を一時没収され、「狎鷗亭」は撤去されてしまったといわれています。1941年、植民地下の京城府で発刊された「京城府史 第3巻」では「現在は雑木叢生し」「唯寂しき畑の中に僅かに其の礎石の四散するを見るのみである」と記されています。

拡大「狎鷗亭址」の西側には石碑が
拡大「狎鷗亭址」の小さな公園

 ◇正確な地点、調査中◇

 さて、広大な現代アパート群の中、「狎鷗亭」のあった場所はどうなっているのでしょう。14階建ての72号棟と74号棟の間に「狎鷗亭址」があります。小さな公園になっており、早朝には散歩途中で足を休めるお年寄りが思いにふけっています。解説板にはハングルで、そこが「狎鷗亭」の跡地であると記されています。しかし、漢拏大学の韓再洙・教授(建築工学)によると、大規模な都市開発で地形が変わった影響もあり、「狎鷗亭」があった地点を特定するためにはさらに調査を行う必要があるのだそうです。また同教授によると、ソウル特別市が「狎鷗亭」の復元を計画しているらしく、往時の姿を示す資料を収集しているとのことです。眺望を復元するのは不可能にしても、かつての雰囲気を感じとれるような「名所」になったらうれしいのですが……。

 次回は日本の「狎鷗亭」を訪ねます。どんな建物で、どんな歴史があるのでしょうか。

(つづく)

(大西秀明)

(次回は9月2日に掲載予定です)